6ムーの畑の話
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2017年11月10日】父親の家は農村に、母親の実家は街にあります。40年前、母親は街から農村に嫁ぎ、当時、農村では親族が村を取り仕切っていたので、街では母親の戸籍が留保され戸籍を移さないはずだったのですが、母親の戸籍を農村に移すことになりました。私が生まれた時、私の戸籍も自然と農村に残りました。

 当時、私たちの家の近くに15ムー(訳注:1ムーは15分の1ヘクタール)の畑がありました。その時、畑の戸籍を移動さずに与えられた土地であったことが少し気に入りませんでした。これらの畑は穀物や野菜を栽培して家計の足しにしていました。

 私が16歳の年に一家はおばあちゃんの家がある街に引っ越し、私の戸籍も街に移るはずでした。しかし、街の警察官のミスで私の農村の戸籍は保留され、農村の戸籍が無効になりませんでした。農村にあった畑はみな請負に出していました。そのため毎年、地代の収入がありました。

 私と母親は法輪大法を学んだ後、母親はもともと虚弱な体だったのが健康になり、私もとても明るくなりました。

 一歩一歩学法を深めていくにつれて、この法を本当に修めなければならないと感じるようになりました。そして、大法の基準に基づいて行わなければならず、つまらない利益に欲を出して、絶対に国家の利益に損害を与えてはいけない、と感じました。

 そこで2003年ごろ、自ら街の警察署へ行って私と母親の農村の戸籍を無効にし、街の戸籍だけを残しました。すると、もともと15ムー近くあった土地はすぐに6ムーちょっとに減り、父親の畑だけが残りました。

 それを聞いた街の親族が「あなたたちは戸籍を取り消してしまい、6ムー以上の畑を失い、毎年国からもらえる補助金と畑を請負っている人からもらえる地代のお金は、少なく見積もっても2千元はあるでしょう。さらに、土地は30年変わることはないのだから、いったい合計でどれくらいのお金を失ったのか、あなたたちは本当にばかだ」と言いました。

 すると母親はいつも「私たちは法輪大法の修煉者なので、何を行うにしても他人のことを考え、人を思いやらなければなりません。当時、この道理がわからなかったので、街の戸籍が転出されない状況下で、畑が分けられ、畑を耕して17年たちましたが、これは畑を私用に用いていたということです。ですから、国家の畑を国家に返すのです。こういうことですから、自分が得るべきものに関しては何の損失も受けていません」と言いました。

 私たちがこの決断を断行するのを見て、街の親族たちはそれ以上何も言わなくなりました。

 実際、私と母親が法輪大法を修煉してから、父親は法を学んでいませんでしたが、父親も含め、長い間に大法の法理が少しずつわかり、アクシデントが起きた時でも、他人を思いやることができるようになりました。

 たとえば、街で果物を売っている時に、偽札を受け取ることがあり、額面は100元のことも50元のこともありました。こういうことはいつでも遭遇するのですが、そういう時はいつも焼き捨てたり、廃棄したりしました。この10年間で1、2千元分の偽札がありました。また、青果市場で仕入を行う時、商品の供給元が何度も父親に多めにおつりを渡してしまったことがあり、ある時などは600元以上にもなっていました。そういう時、父親はいつもお札を数えて商品の供給元に多めのおつりを返しました。父親から多めのおつりを受け取ると、商品の供給元は「ありがとうございます」と礼を言いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/7/356427.html)
 
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