明慧法会|長い人生で苦しみを味わい 修煉を始めて夜明けを見る
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年1月11日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は東北地方の出身で、5歳の時母親がなくなり、母親がどんな人だったのか覚えていません。大きくなってから結婚し2人の娘がいますが、下の娘が8、9歳の時、夫を亡くしました。重い家庭の負担がすべて私に降りかかってきました。お金を稼いで家族を養い、2人の娘を育てるためにどんな仕事もやり、炭鉱や石炭採掘などのつらい仕事もやりました。

 長い苦しい生活の中で 神が現れた

 幼い頃に母親を亡くし、中年になって夫を亡くし、1人で2人の子供を育てるという苦しみは、本当に一言では言い尽くせませんでした。しかし、なぜかはわかりませんが、知らず知らずに不思議な力を感じるようになり、その力が私を守ってくださっているように感じました。しかし、それがなぜなのか、はっきり説明できませんでした。

 はっきりと覚えているのですが、ある年の春、木の芽がまだ出ていない頃、当時私は炭鉱でアルバイトをしており、鉱山の中腹でワイヤー巻き上げ機の運転を任されていました。毎日、山のふもとから坂道に沿って山を登りました。すると、ある日突然、山道を歩いていた時、なぜかわけがわかりませんが行き届いた配慮を感じ、とても感動し、泣きたくなりました。それにしても当時、私の生活はとても苦しかったにもかかわらずです! しかし、いったい誰が私に対してよくしてくれているのでしょうか? それはどれほど素晴らしい法なのでしょうか? 自分でもはっきり説明できませんでした。

 山道の上空はとても広広としていたので、私は自分の感情をコントロールできなくなり、1本の大木を抱きかかえ、蒼天に向かって「神様! あなたが私によくしてくださっているのですか? 私を助けてくださるのですか? なぜ私にこんなによくしてくださるのですか?」と独り言を言いました。私はこのように大木を抱きながら泣き出しました。このような状態が1ヵ月続き、毎日その道を歩くと同じような感覚がありました。

 しかし、苦しい生活は果てしなく続きました。上の娘は母親の困難を助けるために、15、6歳の時に学校に行かなくなり、早々と社会に出てアルバイトをして家族を養いました。その後、はじめに上の娘がかばんを背負って一人で天津に行き、そこには私の兄がいました。そして、それほど経たないうちに、下の娘を連れて天津に来るように、という手紙が届きました。そこで、私と下の娘もたった一つのカバンをそれぞれ背負って天津に行きました。

 天津に着きましたが、生活は同じようによくならず、だいたい2000年の年末年始めに、私の体に問題が起こり、おなかの内臓に9.7~10.3cmのこぶし大の悪性腫瘍ができました。数軒の病院での診断はみな、余命5カ月でした。当時、私には治療するお金がなく、1300元払って体を検査し終わると、お金は底をつきました。私のおばは、かすかな望みを抱いて腫瘍の専門病院を探して専門家に見てもらうと、医者は単独でおばと話をし、出した結論は余命3月でした。しかし、医者が不思議に感じたことは、私の病状がこんなに重いのに、なんと家族と一緒に長時間バスに揺られて診察に来たことでした。ドアの隙間から医者とおばの話し声が聞こえてきて、失意のどん底に落ち、2人の子供がかわいそうでなりませんでした! まだ15、6歳だというのに、これからどうすればいいのでしょうか?

 治療するお金もなく、ただ家で死ぬのを待つだけでした。しかし、そのころ、毎晩ベッドに横になると、紫色の袈裟を着た佛さまと白い服を着た菩薩さまが、それぞれベッドの横でシュロの葉で編んだうちわを持ち立っているのが見え、ニコニコしながら私をうちわで扇いでいました。毎日こんな風でした。ある日、なんとベッドからふわふわと浮き上がり、その後、ゆっくりと降りていきました。その時は、何が起こったのかわかりませんでした。日一日と時が過ぎていき、5月が過ぎても私は死んでおらず、それどころか、日に日によくなっていました。この珍しい経験により、神と霊魂の存在についてよくわからないながらも、感じるきっかけとなりました。

 修煉を始める

 2003年になり、隣近所の人と世間話をしていた時、法輪功修煉者のことを知り、修煉者は大法書籍を1冊くれましたが、当時の私の悟性は実に悪く、毎日お金を稼いで家族を養うのに忙しく、数ページ読んで本を置いてしまいました。しかし、その本はきちんとしまっておきました。

 さらに2010年の初めになり、ある偶然の機会が訪れ、友人の家で別の法輪功修煉者に出会いました。その修煉者の性格はよく、修煉者は私に「この本を学んでください、人はこの世にいなくても苦しみます、この世のなんと苦しいことでしょう、もし本当にあなたがこの大法を修煉すれば、その霊魂は本当に救われ、神になるでしょう」と言いました。私はずっと人には霊魂があると信じていたので、修煉者の話を聞くと、体に「サーッ」という感覚が走り、全身が震えました。そのころ、私はこの世にとどまりたくないと思っており、なぜなら、この世は苦しすぎたからです。私は自分が『轉法輪』を1冊保存していたことを思い出し「家に帰って3回読みます」と大法弟子に答えました。

 家に帰ってから時間さえあれば『轉法輪』を読み、読めば読むほど読みたくなり、娘たちが邪魔をしても読み進むことができたので、娘たちの影響を受けませんでした。しかし、読めば読むほど「本は私の手元に何年も置いてあったのに、どうして早く学ばなかったのか?」と後悔しました。そして、本を抱きながら「最初からこうして欲しかった、と言うでしょう? この本はとっくに手元にあったのですから!」と泣きました。「修煉を始めるのが遅すぎた」と自分を恨みました。

 本を読んで、法輪功には五式の功法があることを知りました。しかし、他の修煉者が見つからなかったので、以前大法を修煉していた人に、教えてもらえないかと聞いてみました。すると、その人は私に『大圓満法』という書籍をくれ、書籍に沿って煉功するよう教えられ、私の動作は規範からはずれていましたが、全身が楽になるのを感じました。このようにして、私は数カ月間自分で煉功しました。

 師父のお手伝いをして人を救う

 師父の按排の下、ついに同修と接触し、同修は他の同修の家に私を連れて行き、そこで私は多くの同修と知り合ったのです。ものすごく喜び、感極まり、誰もいない家でこっそり泣きました。というのも、大法弟子と会えたからで、心が楽になりました。

 大法弟子に会ってからは大法弟子達をつかんで離さず、いつも一緒で、年配の旧い同修と一緒に人を救いに行きたいと思っていました。そこで、私たちは毎日小さな電気自動車に乗って、三退を勧めるための電話をかけに行き、1台の車に数人が乗り、森の中に着いたら分かれてお互いに影響しないようにしました。7、8時間電話をかけ、夏は蚊に刺されましたが、毎日真相を伝え続け、ほとんど毎日、私が三退させた人数が最も多かったのでした。

 このように、時間を無駄にせず人を救っていると、他の空間の邪悪要素は関わらなくなりました。しかし、ある昼間のことですが、家で静功をして壁に向かって座っていると、他の空間からの物質がやってくるのが見えました。その物質たちの顔も見ることができ、ある物質は灰色の服を着て、ある物質は黒い服を着ており、前面に4、5体、後ろ側にはそれに従って3、4体がおり、それが私に向かって来て「何をしているのだ、何をしているのだ?」と怒鳴りつけました。私は意識の中で「煉功ではないですか」と答えました。物質たちは上がってくると私を殴り、髪の毛を振り乱しながら私を殴り、殴りながら「なぜこんなにも多くの人を救うのだ? 言わないか?」と怒鳴りました。物質たちは殴りながら問い詰めてきました。しかし、私も何と答えてよいかわからず、というのも、当時修煉を始めて間もなく、法も多く学んでいなかったので、何を言えばよいのかわかりませんでした。物質たちは殴り続け、殴ることをやめず、私が坐っていられないようにしようとしました。そしてその後で、私にもよくわかりませんが頭の中に「学法と煉功、使命をやり遂げることは、これは私の責任だ」という言葉が入ってきました。そして、その言葉を言い終えると、それらの物質は「サーッ」といなくなってしまいました。あらまー、こんなに殴られて、この体はもう終わりかと思い、体を横にすると体の具合が悪くなり、1週間、体の具合が悪いままでした。その時は修煉を始めて間もなくのことで、師父にお願いすることも知らず、正念を発することも知らず、気ばかり急いでただ真相を伝えるだけでした。

 私は勤めておらず、自分に保証されているものは毎月の500元だけですが、多く真相を伝えるために毎月、この500元で生活していました。テレホンカード代に200~300元を必要としたので、お金をかけずに人を救いたいと思い、その方がよりよいのではないでしょうか? 私たちの学法グループは法の勉強が終わると毎日、同修達は2人一組で面と向かって真相を伝えに行きました。しかし、老年の同修は私が新しい修煉者であることを気にかけ、私の再三の要求にもかかわらず、私を連れて行きませんでした。3日間続けて要求しましたが、誰も私を連れて行きませんでした。そこで私はすぐに張り切りだし、誰も当てにできないと思い、明日は1人で行おうと思いました。なぜなら大法がある限り、私も大法弟子だからです。

 次の日、法の勉強が終わった後、私は2時間出かけて行き、駅や店頭で人を見かけると真相を伝え、初日は13人を三退させました。これに私は喜びを覚えましたが、これは私が行ったのではなく師父が加持してくださり、行わせたのであり、これは私の責任だということがわかりました。

 それからは毎日、午前中に集団学法に参加し、家に帰って時間の都合をつけて一講学び、午後に出かけて面と向かって真相を伝え、これをほとんど毎日行いました。毎日、十数人から二十数人に真相をはっきり知らせることができました。特に大きな市では人が多く、普段ならどこであんなに多くの人を見つけられるのか、という程でした。また、ある期間、足が痛くなって動けなくなり、それでも出かけなければなりませんでした。というのも、師父が私のために業を消し、体を浄化してくださっていることを知っていたからでした。

 私たちのところでは毎週、大きな市があり、ほとんど毎回の市で、私は4、50人を三退させることができ、時には7、80人を三退させることができました。しかし、ある大きな市で真相を伝えても三退せず、真相を伝えても三退しなかったので、脇の方で正念を発しようと思いました。「いかなる妨害をも根絶します。私は大法を広め、法を実証しに来たのですから、いかなる生命も妨害する資格はない。師父ご加持をお願いします」と正念を発しました。するとあらまー、なんて効果があるのでしょう。再び真相を伝えると順調にいき、多くの人を三退させました。

 真相を伝え終わって自転車を押して家に帰ろうとした時、張という姓の私服警官に出会いました。私は出迎えて「こんにちは、張さん、みんなあなたが特に素晴らしいと言っています。特に庶民に関心を寄せており、あなたのようなよい人こそ警官であるべきです」と挨拶すると、警官は笑いました。そこで、私はまた「少しお尋ねしたいことがあります」。すると警官は「何ですか?」。そこで私は「平安を保つことができることについてお聞きになったことはありませんか?」。「平安を保つ、あっ! 法輪功でしょう?」。「そうです、法輪功です」。「ああ! あなたは私に法輪功を伝えようと思っているようですが、私が何をしているのかわからないのですか?」。「知ってますよ、あなたにお尋ねしていいのかどうかはまだわかりませんが。現在、警察は法輪功をする人を捕まえるのではなく殴っており、不当に判決を下したり、多くの悪事を行っています。今日、お会いしましたが、みんなあなたを素晴らしいと言っています。あなたにはこのような悪事は行えないと思いますが、あなたは良い警官なんですよね?」。「うーん、私が関わっているのはまさにそのことですが」。そこで私は「あなたが関わってどうなのですか? 神佛が人を救いに来られているのに、その機会を失い誰も後悔しないのですか? 現在、平安を保つためであっても、誰も脱退しないというのですか?」。すると、この警官はやはり凶悪になり、私に向かって「なにが法輪功だ!」。そこで私は「法輪功だけがあなたを救い、脱党すれば平安が保たれるということを誰かから聞いたことがありますか、ないでしょう? 法輪功だけが人を救っているのです。ところで、あなたは党員ですか?」。すると警官は「私は警官です、党員でないはずがないでしょう?」。「それなら、あなたを脱退させてあげます」。「脱党したら、仕事がなくなってしまうのではないですか?」。そこで私は「もしあなたが心の中で脱党すれば、何の影響もなく、あなたはやはり警官で、お金を稼いだり、商売には何の影響もありません。さらにいいところは、あなたは『私は共産党員ではなくなった、警官をすべきであるから警官をしているだけだ』と思えばよく、災難が来臨した時にあなたの平安が保たれればいいわけですから」。すると警官は「そんなに効き目があるのですか?」。そこで私は「こんなに効き目があるのです。脱党しますか?」。すると警官は「じゃあ、脱党しましょう」。そして、三退に同意した後、警官は自転車を押して歩いて行きました。

 ある年のある月、もうすぐお正月だったので、同修がたくさんのカレンダーを持って来て、次の日が大きな市が開かれるので、ちょうどいい機会でした。私は真相を伝える度に一つ配り、三退しない人にはカレンダーをあげませんでした。なぜなら、資料は大法のものであり、とても大切なので大法を信じない人に資料をあげるのは浪費だ、といつも感じていたからです。もし三退しないのにカレンダーを欲しがる人がいた場合は、1部渡し、カレンダーに書かれている真相を家に帰ってきちんと読むように伝え、その人が救われるためのものであることを伝えました。しばらくすると、すべて配り終えました。そこで、私は同修の家に戻って40冊を持って、再び配りに行きました。お昼になってお腹がすいたので、市場で5角を払って小さなお菓子を買って食べ、このようにして4往復しました。最後にカレンダーを持って行こうとした時、同修が「私たちにも少し残しておいてください、明日、私たちも配りに行きますから」と言われました。その時、私は少し不機嫌になり「あなた達が配りに行くとみんなに配ってしまいますが、私は1冊配れば必ず1人三退させています。それなのに私が持って行かなかったら、どうしようというのですか? もし私が市場に行かず、もともとカレンダーもなく、そしたら私も三退を勧めに行かなかったのではないですか?」と思いました。新年の大きな市では、同修は散らばって遅くまで配り、私も行き、20人を三退させました。そしてその日、私は合計で170人を三退させました。

 またある時、20冊以上のカレンダーを持って人を救いに行き、最後に1、2冊だけが残っていたので「残りの1、2冊は家に帰る時に野菜を買うところで、2人に真相を伝えればいい」と思いました。小路の入り口まで歩いてきた時、背が高くがっしりとした若者が急いで駆け寄って来ました。まさかその若者が私服警官だとは思いませんでした。警官は私に「あなたは何をしているのか? ポケットに何を入れている?」と聞かれ、そこで「私が何をしたかということまであなたは関わるのですか? 私のポケットに何が入っているかということまであなたは関わるのですか?」。「あなたは法輪功(修煉者)ではないのか?」と言われ、私は声を出しませんでした。すると、警官は近づいて来て私のカバンを奪ったので、私は「勝手に人のカバンをひっくり返せると思っているのですか?」。しかし、警官は無理やりかばんを横取りし「あっ、見ろ、これは何だ? これを取り締まっているんだ。お前たちを捕まえに来た。これは資料じゃないか? どうしてここにある?」。そこで私は「他の人がくれたんです」。「どこでだ?」。私が反対の方向を指さすと、警官は「いつもらった?」。そこで私は「ちょうど配り終わったところでした」。すると警官は「そいつを捕まえに行く」。警官が私の資料を脇の下に挟んで歩き出したので、私は追いかけて「カレンダーを返してください、私のものにかかわらないでください」。私は警官に追いつき「これは私がもらったものです、どうして持っていくのですか?」と言って、資料を奪い返しました。そして、警官は私が指さした方向へ追いかけて行ったので、私はその場で胸をなでおろし、笑い出しました。

 またある時、商店の店先で、背が高くて黒い男性が木陰で涼んでいるのを見かけたので、男性の前まで行って真相を伝えました。男性は私の話を聞くと急に慌てだし、私の手を捕まえて「私が何をしているのかわかりますか? 私は公安局の局長で、定年退職したばかりでまだ半年もたっていない」。そして「公安局へ行って自首するか、私が110してあなたを捕まえるか、自分で選びなさい」。そこで私は「どちらも選びません。家に帰らなければなりませんから」。そして、さらに私は「あなたが私の話を聞かないのならそれでもかまいません。他の人に伝えに行きます。あなたは私の話を聞けば救われますが、聞かなければ引き落とされます。すぐに離してください。私は良い人間です。あなたを救おうとしているのが間違っているというのですか? どこにこのような機会があるのですか? 悪いことをしてはならない、と私はあなたに伝えます」。話しているうちに大通りの野次馬が多くなってきて、あるおばあさんが「彼女を放してやりなさいよ。人の腕をつかんで何をしているのですか」。そこで私は「彼が私の腕をつかむので赤くなってしまいました」。やじ馬たちは「解放しろ」。すると、男性が手を放したので、私はその場を離れていきましたが、急いで歩いたので、男性は追いかけてきませんでした。

 毎日、真相を伝えに行くときは正念を発し、無事に行って無事に戻って来られるよう、師父にご加持をお願いしました。人を救うための知恵は師父が与えてくださったものであり、人を救うことに対して、私は毎日しっかり整理し、不足を探し、自分の伝え方のどこが悪いのか、なぜ三退しないのかを考えます。このように整理すると、師父が悟らせてくださり、知恵がどんどん頭の中に入り込んできました。

 この夏休み、子供が私の所にいましたが、人を救うためのやる気は変わりませんでした。それは、苦労して人々の背中を引き寄せ、天に送ることを師父が悟らせてくださったからです。以前、人を多く救った時、師父が演化してくださった光景は、軽々と一人、また一人と救った人々を天に向かって送っている、というものでした。また、別の体験もあり、人を救うことに対して熱心でない時は、元気がなくなり、体力も追いつかなくなりました。

 2013年5月のある晩、同修の家に学法へ行き、学法し始めた途端、警察署から警官が8人来て、その内の4人が家の中に侵入し、4人が玄関の外で見張り、不当に連行しようと試みました。同修の家を出ようとした時、私は外で見張っていた警官に警察署に連行されました。その時、私は心の中で絶えず「師父、お助けください、師父、お助けください」と念じていました。そして、私が心の中で「師父、私の体を一時的に悪くしてください」と言うと、本当に問題が発生し、息ができなくなりました。警官は驚き、私を病院に送り、検査すると以前の腫瘍が見つかりました。しかもそれが大きなものでしたが、私はそれが虚像だとわかっていたので、まったく怖くありませんでした。そして最終的に、私は家に送り返されました。家に帰ると、私の体の悪いところは全くなくなってしまいました。師父が私を救い出してくださったのだ、ということがすぐにわかりました。

 まとめ

 大法に出会い修煉を貫いてきたこの数年の経験を振り返って、以前味わった苦は、後に大法に出会い修煉を貫くためのものだったのだ、と今はわかりました。師父がずっと私を見守ってくださったことに、師父への限りない感謝の念が心に満ちています。ただ多く学法し、多く人を救い、自分の使命を成し遂げて初めて、師父へ最も良いご報告ができるのです。弟子はここで師父に深謝いたします!

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/19/356196.html)
 
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