【明慧日本2018年1月13日】現代人で、ゲームで遊ばない人はほとんどいないと言っても過言ではないと思います。携帯電話ゲームやコンピュータゲーム、さまざまなゲームは子供から大人までを虜にし、夢中にさせています。しかし、これは本当に良い現象でしょうか? ゲームに溺れている人はゲームがもたらす弊害を冷静かつ客観的に見ることができず、ただその面白さと時間を潰すことができることに気を取られて、それが一種の変異した文化で、知らず知らずのうちに人間の命を消耗していることに気が付いていません。
ゲーム遊びは身体を傷め、神経を疲労させます。今のゲームは精巧であればあるほど、種類が多ければ多いほど、人々をますます夢中にさせています。子供や大人を問わず、誰もがそれに対して抵抗力がないようです。あまりにもゲームに夢中になって、幼いときから近視になっている子供をよく見かけます。大人は、ゲーム遊びで遅く寝たり、夜更かしをしたりして生物時計が乱れ、1日3食をきちんと食べず、日が経つにつれて身体に大きなダメージを受けてしまった人もいます。しかも、ゲーム好きな人たちには急性結膜炎や手が震える病状が現れる以外に、精神的に萎えていて元気がなく、情緒も不安定で、常に不健康な状態にいることが見られます。
危害その二
ゲーム遊びは人のメンタルヘルスを損ない、人を病みつきにさせます。この病みつく「嗜好」はうまく制御しなければ、一種の心理的疾病を形成します。同時に、ゲームに心を奪われた人たちは常に自分をゲームの世界に封じ込めているため、外部(特に家族)との正常な交流能力が弱まったり、喪失したりしています。ゲームに溺れて自閉的になり、親と交流したくない子供をよく見かけます。ゲームに心を奪われ、家庭に対する責任を疎かにして家庭内トラブルを誘発した大人もいます。さらに、ゲームの仮想世界に巨額の金銭を費やす人もいますが、それは賭博と何の違いもありません。いかなる娯楽も、少しやれば気分転換になりますが、大いにやれば身体を傷めるしかありません。しかし、今の若者たちはゲームを熱愛するあまり、手放せないほど随時随所で遊んでいて、「道楽に深入りして本職に励む気がなくなった」と比喩してもいいと思います。
危害その三
ゲームは手口を変えて一種の変異した文化を提唱しています。賢明な親たちは子女に多くの聖人の本を読むように教育し、子供の思想に正しい価値観を形成させています。しかし、今の若者は「聖人の本を読む」どころか、普通の本さえも滅多に手にせず、逆に多くの時間をゲームに費やしています。ゲームの中では、往々にして怪力を持つ乱神や闘争、暴力がまつり上げられています。人は長期に渡り耳や目でこれらの情報に触れていると、闘いや残忍さを好んで包容性が欠けるようになり、間接的に人間性の「悪」の一面を助長してしまいます。
危害その四
ゲーム遊びは人間性を破壊します。伝統文化の洗礼を受けた人々は皆、中華文化の真髄は「性善説」を宣揚し、「天人合一」や「上善は水のごとし」を重んじることを知っています。しかし、今のゲームは画面からプロットまで美感が皆無である上、暴力と殺し合いを鼓舞し、魔性を帯びた情報を伝導しています。知識と教養が比較的高い人は人間の身体が自然と対応していることを知っていて、摂生を重んじ、自然の法則に従って勤務と休憩を行ないます。しかし、今の人は昼夜を厭わずにゲームに没頭し、人体の正常な新陳代謝を壊しているだけでなく、隠れた危険をももたらしています。最近のもっとも人気なそれらのゲームを見て下さい。よくプレーヤーにいくつかの妖怪の役を演じさせています。その広告の文言も「その面白さは鬼しか知らない」と公然と宣伝しています。これを見ると、「ゲームの背後にある情報は人類の文化ではない」と警戒すべきではありませんか? 昔の人はよく子孫に「夜道を歩かない。真夜中の12時以後は外出しない。夜更かししない……」と諭しています。昔の人は陰陽の理に精通し、夜はあの世の人々の活動時間で、諺の「陰気が強い」ことをよく知っているからです。そのため、人々はその時間帯に活動することを避けています。ある意味、それはあの世への配慮とも言えるでしょう。しかし、今の若者はゲームで遊び出したら夜は寝ず、昼間は起きないようになっています。これは人間の勤務と休憩の規則どころか、逆に鬼の勤務・休憩時間にもっと近いのではありませんか。
危害その五
ゲーム遊びは時間を浪費し、生命を消耗してしまいます。ゲームは人を病みつきにさせてしまいます。一部のゲームは遊び出したら数時間があっという間に過ぎてしまい、時間を無駄に消耗し、生活も無になってしまいました。人は1台のパソコンまたは1台の携帯電話に縛られて、大自然のすばらしい景色を見ることができず、家族との暖かい団欒も享受できなくなっています。一部の人はゲームが楽しいからやっているのではなく、退屈に感じる時間をゲームで紛らわせるからやっているケースもあります。実はこの類の人はもっとも哀れなもので、生きる夢と目標がないから人生がつまらなくて退屈に感じてしまい、ゲームで自分を麻痺させなければならず、時が過ぎ去って人生が晩年にさしかかったとき、やっと何も成し遂げておらず、ただただゲームによって人生の大半の時間を無駄に消耗していたことに気づきます。その時になって後悔してももう遅いでしょう。
神は人々に平等に毎日24時間を与えており、公平だと言われています。しかし、その24時間の使い方によって、勝者、普通の人、敗者が区分けされてしまいます。解釈によって成功の定義が若干違っていますが、ある分野において一定の手柄を立てている人なら、虚しさや退屈さを感受する時間はないはずで、自分の貴重な時間をゲームに費やすこともありえません。事実が証明している通り、ゲームに溺れれば人は志を喪失してしまいます。これは1人の人間、または一つの民族にとっても悲しいことです。1人の生命は千年百年の輪廻転生を経てようやく人間として生まれると言われています。ようやく人間として世に生まれたのに、どうしてゲームに惑わされて人間としての志を軽々しく忘れてしまうのでしょう?! それなら、人間として世に生まれ変わった機縁はあまりにももったいないではありませんか!