大連市の法輪功学習者の楊淑文さん 迫害死
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 【明慧日本2018年1月17日】大連市金州区の楊淑文さんは、自宅マンションの下で警官に連行され、不当に4年6カ月の実刑判決を宣告され、遼寧省女子刑務所で迫害を受け続けた。その間、結腸癌になり、保釈されて間もなく、2017年12月30日の夜、冤罪が晴れないままこの世を去った。享年65歳だった。

 身寄りのない身体障害者の楊さんは、もともと生活が大変で、当局のいわゆる「法治」社会で、政府や地域から適切な社会保障や福祉を享受するどころが、かえって、度重なる連行や家財を押収され、私物までも押収されるなどの迫害を受けた。その理由は楊さんが「真・善・忍」を信仰し、良い人になろうと努力し、本当のことを言うことを堅持したためだった。

 耳が不自由な楊さんは大連市金州区八一路に一人暮らしをしていた。楊さんは性格がおとなしく、本分を守り、人を助けることを喜びとして、隣近所と仲よく暮らし、違法な事を決してしない人だった。楊さんはもともと3人家族だったが、十数年前の交通事故で息子を亡くし、楊さん自身も重傷を負い、何度もの治療を経て、命は助かったものの耳が聞こえない後遺症が残った。楊さんは息子を失った悲しみのあまり死にたいと思った。その後、夫も彼女から離れて去り、一人ぼっちになった楊さんは心身共に傷つき、もう人生もお終いだと感じた。

 幸運なことに、楊さんは大法の修煉を始めた。大量に大法の書籍を拝読することによって、楊さんは次第に人生の多くの道理が分かり、そして、心が広くなり、顔には笑顔が現れ、忍耐強くなった。

 しかし、中国共産党は法輪功を迫害し、耳の不自由な楊さんも見逃さなかった。楊さんは何度も連行され、大連留置場、撫順の羅台山の洗脳班(思想改造施設)で迫害を受けた。2011年6月29日午前8時頃、楊さんは家で家事をしていた時、誰かがノックをしていると感じ、ドアの覗き穴から女性の姿を見て、ドアを開けた。突然、大勢の私服警官が押し入り、楊さんを撫順市の洗脳班に連行し、134日間にわたり迫害を加え、法輪功修煉を放棄するようにと強要した。楊さんは「私の命は大法からいただいたもので、大法を習っていなければ、今日まで生きていなかったでしょう。私は心から大法と師父に感謝しています。師父と大法を裏切ることは絶対にできません」と言った。

 2014年10月15日の夕方6時頃、楊さんは自宅マンションの下で、金州区擁政派出所の警官に不当に連行された。その日、警官は3台の車を出動し、数人の警官が楊さんを車に押し込み、直接擁政派出所に連行した。そして、楊さんの家の鍵を使って、家族が同行していない状況の中で、不当に楊さんの家を家宅捜索し、家にある大法書籍、師父の写真、説法DVD、パソコン、プリンター、携帯電話と現金などの私物までも押収して立ち去った。

 その夜、健康診断の時、楊さんには高血圧、心臓病の持病があるという診断結果が出たにもかかわらず、警官は強行に楊さんを大連市留置場に移送し、その後、不当に逮捕状を発付し、罪に陥れた。

 2014年12月28日水曜日、大連市金州区裁判所は家族やいかなる人にも知らせないまま、不当に楊さんに対して開廷し、法廷で尋問を行った。

 楊さんは不当に4年6カ月の実刑を宣告され、2015年6月9日、遼寧女子刑務所に移送された。

 楊さんは刑務所の中で迫害により結腸癌になった。2017年の年末に保釈されたが、情報筋によると、楊さんは耳が聞こえず、目も見えなくなり、お腹が大きく膨らみ、その後、病院で応急手当てを受けたが、昨年12月30日の晩に死亡した。

(注:楊さんを迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/6/359324.html)
 
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