新しい修煉者 家庭と社会で真・善・忍を実践する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年4月11日】私は法輪大法の新しい修煉者です。2012年、1人の友人が私に『轉法輪』の本をプレゼントしてくれました。1回読み終えた時、後天的な知識に阻まれて、その後は読むことが出来ずにいました。2013年の後半になって、やっと私は再び大法の書籍を手にすることができました。2014年4月2日から動作を学び始め、改めて大法の修煉を始めました。

 2012年、『轉法輪』を読み終えた時、「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」[1]であり、宇宙のなかで最も根本的な特性であり、真・善・忍で自分に要求し、思想境地を向上させ善い人になり、それに煉功を加えれば、健康な身体を有することができることを知りました。真・善・忍で善い人になる、これは他でもなく普遍的な価値ではないでしょうか。その中の一部の道理については、まだ理解できていませんでした。なぜなら、いわゆる後天的な知識に阻まれていたからです。

 2013年の後半、私は再び『轉法輪』を手にしました。友人は私に繰り返して読むようにとアドバイスしてくれました。読む度に異なる悟りがあるということでした。努力して8回読み終えましたが、明らかに異なるものを感じ取ることができませんでした。しかし、9回読み終えたある朝、目が覚めると突然目の前がぱっと明るくなりました。まるで自分を包んでいた一重の分厚い障碍を猛然と突き破り、一瞬光りが差し込んだように感じました。圓容で破れない美妙な理を悟りました。その体験は言葉では表せないもので、私は飛び上がりそうになりました。その後、絶えず学法すると絶えず新しい悟りがあり、絶えず昇華されました。現在、私は『轉法輪』を暗唱しています。私にとって学法は毎日やり続けたい! と言う気持ちになり、それは私にとって最も幸せな時であり、楽しい時間でもあります。

 学法する中で真に大法を修煉するには、社会と家庭のいろんな役割の中で、いつも真・善・忍を基準にして自分に要求すべきであり、良い人になり、トラブルに遭遇すると内に向けて探し、自分を正すべきであると認識しました。しかも絶えず学法して絶えず法理に対する認識を高めていき、真・善・忍を実践すべきです。私は自ら進んで学法し、着実に修めていきました。

 善意をもって夫のことを理解する

 十数年前、夫は務めていた会社が倒産して仕事がなくなりました。彼はアルバイトするでもなく、ある小さなビジネスに投資しました。結果、投資したお金が全部無くなっただけでなく、債務を負うことになりました。その後、何回か仕事を見つけてはやりましたが、自尊心が強くて人に指図されるのが嫌いで、職場の環境に息苦しさを感じ、毎回すぐにやめてしまいました。そこで、家庭の支出がすべて私の肩にかかってきました。

 ある時期学法する前に、私は心のバランスを失ってしまいました。なぜなら夫は男として、家族に対して責任をもつべきで、面子の心を放下し、できる仕事を何でもやるべきだと思いました。そのため、私達夫婦の口喧嘩は日常茶飯事でした。大法の修煉を始めてから、夫と強気で争うことをやめ、時機を選んでは、穏やかに彼のためにという視点で彼に、「収入がいくらかは別として、仕事は自分が社会と接触する機会を与えてくれるし、精神的に少しの緊張感を持つことも必要で、ある程度の刺激は身体にも良いと思うわ」と話しましたが、彼は一向に聞き入れませんでした。聞き入れてくれなければ、自然に任せるしかなく、私はそれ以上なにも求めませんでした。

  師父は「あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか?」[1]と説かれました。

 この道理が分かってから、私は夫がビジネスでつくってしまった債務をすべて返済し、生活上において自分のできることをし、恨みませんでした。もしかして私は生々世々で、彼に多くの借りがあったのかもしれない、その借りを今返しているのだと考えました。現在、私達は睦まじく過ごしています。生活上の損得に対して淡々と過ごしており、以前のように誰が正しくて、誰が正しくないかを言いません。 

 善をもって姑と付き合う

 法を得た当初、心性を守ることができず、小さなことのため姑と言葉の衝突があり、心性の関を乗り越えられませんでした。姑には認知症の傾向があり、ますます重くなりました。自分の息子と孫には優しく接する以外、姑の娘と他の人も含めて皆が自分に悪意をもち、自分の持っている物を欲しがっている、と勘違いしていました。

 姑は何回も私を罵りました。私が彼女のタオルや膝当て、アンダーウェア、他の物を欲しがって持って行ったと言い出しました。私がいわれのない不当な扱いをされていると皆は知っていました。夫も私がすでに家族のために苦労をし、こんなふうに扱われることをすまないと思っていたようです。私は以前から間違ったことをしないよう心がけていました。それで最初は非常に悲しかったのですが、これは私の乗り越えるべき関であるから心性を守り、内に向けて探し、自分を向上すべきだとわかっていました。

 私は確かに姑にあまり関心がありませんでした。姑は個性が強く傲慢で教育レベルが低く、荒っぽくて野蛮な性格でした。そんな姑を心の底から見下していました。しかし、彼女は現在認知症で、自己の思惟のなかで生きていて、人に対して警戒するばかりでした。私は彼女を恨まず可哀想だと思いました。以前の生活が困難だったため、彼女は物に過度に執着し物に縛られていて、不安で自らその状態から抜け出すことができません。夫は度々姑に文句を言ったり、残忍な言葉を口にしていました。夫にそんなことを言わないようにと言い、それからなるべく姑に関心を寄せ、彼女の気持ちに寄り添い、美味しいものがあると持って行くようにしました。祭日になると夫にお金を渡して夫自ら姑に渡し、私がお金を出したことを言わないようにしました。姑との関係において自分はもっと向上し、本当にしっかり行うべきだと思っています。

 正念をもって正しく行うと、師父は智慧を開いてくださる

 修煉過程において、心性が向上すると同時に長年の病気が治り、また正念をもって正しく行うと、師父は私に智慧をくださいました。

 数年前、私は胃の具合が悪く常に気分が悪くて痛みがあり、また下腹部が冷たくて痛みがありました。そして首や腕、足の関節の内側の部分に頑固な炎症があり、顔の皮膚は長年正常でなく赤くなっていて、多くの有名な医者に治療してもらっても、やはり再発しきれいに完治することはありませんでした。これらの問題は学法し、心性を向上させていくうちに知らぬ間に解消しました。

 仕事をする中でも大法をもって自分を律し、正念をもって自分に与えられた仕事に対して文句を言わず、個人の損得を考えず、他人のことを考えた時、常に非常に満足のいく仕事ができました。作成した文章や案、計画について、上司は修正することなくそのまま採用してくれました。自分でも不思議に思いました。なぜなら、学法を始める前はこんなことはあり得なかったからです。他でもなく大法が私に智慧を開いてくださいました。心から師父に感謝申し上げます。

 真相を知った衆生が福を得る

 世の人々に慈悲の心をもって、真相を伝えて人を救うことは大法弟子がすべき三つの中の一つです。真相を伝え、人を救う中で真相を知って三退した人にもたらした福を目にし、大法の慈悲を目のあたりにしました。

 私が最初に真相を伝えたのは娘です。娘はもともと少年隊や青年団を重くみず、ただ学校で入りなさい、と言われたから入党していたため、何も考えず脱退しました。その後、娘は勉強のコツをつかんだようです。以前中学校の時、クラスで6位に入ることは非常に難しいことでしたが、高校3年になった時は他の高校生のように各種の補修を受けなくても、テストはほとんど全学年で1位で、しかも2位と大きな差を広げていて、理想的な大学に受かりました。

 続けて真相を伝えたのは友人ですが、三退してからその友人の舅の態度が180度変わり、家庭が睦まじくなりました。

 もう1人の娘の同級生は三退してから極めて短い時間内に、それは事前に如何なる準備もしてないのに、手続きが繁雑でかつよくわからない、普通では実現できそうもない状況下で、奇跡的に訪問先の大学に連絡できました。また人助けを嬉しく思い、何の報いも求めない優しい先生に出会い、現地で条件の良い部屋を借りることができ、すべての手続を終えました。学習するなか至るところで助けてくれる人に出会い、奇跡と思われるほど順調で、たくさんの収穫がありました。彼女と同じ状況の同級生に比べると、雲泥の差でした。それからもたくさんのことが不思議なほど順調に運びました。彼女は考えてみました。他でもなく三退をしてから、これほど多くの不思議なことが発生しました。彼女は三退してもたらされた「福」だと信じました。そして「法輪大法は本当に素晴らしい」と感じ、彼女の家族もみな三退しました。友人や同僚に会うと、彼女は機会をつかんでは、自ら「法輪大法は素晴らしい!」と伝え、三退を熱心に勧めています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/6/360507.html)
 
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