明慧法会|死地に大法に出会い、人を救うことこそが責務であると知る   
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2018年5月28日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は今年(訳注:2017年)71歳になる農村の大法弟子です。大法弟子のネット法会の機会を借りて、自分の修煉体験を師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。法に基づいていないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 一、死地で大法を得る

 1995年、夫が重い心臓病を患い、ほとんど1日中病院で過ごしていました。そして1996年、一人息子が大学を卒業しましたが、仕事をし始めて半月立った頃、すい臓がんを患いました。そしてやがて、息子はこの世を去りました。

 息子がなくなると、夫は寝ても覚めても泣いてばかりいました。娘2人が帰宅し父親を見ると、まぶたが腫れて二つのクルミのようになってしまい、それでも大声で泣いていました。家全体が悲しみの声になりました。実家の兄嫁が大法を学んでいたので『轉法輪』を持って来て、私にも学ばせようとしました。しかし私は「学べません、家がこんな状態で気分が爽やかでなく、学び続けられません」と断りました。

 夫の一日中苦しそうな様子を見て、夫に「お姉さんが持って来た本を読んでみれば」と勧めると、「読みたくない、あれは気功の本だ」。「読んでみなさいよ、良かったら学べばいいし、よくなかったら学ばなければいいんですから、読んでみなさいよ」と強く勧めました。すると、夫は承知しました。そして『轉法輪』を読んだ後「この法は学ぶべきで、これは佛法修煉なので、お前も学ぶべきだ」と言い出しました。

 1997年正月20日、市内の同修が村に来て師父の説法ビデオを置いて行き、夫がまず先に一晩かけて見に行きました。そして、戻って来ると「明日、お前もビデオを見に行った方が良い」と言われ、次の日の夜、自転車で夫と一緒に師父の説法ビデオを見に行きました。すると戻って来る時、自転車が半ば空中を走っているかのように、こぐ努力もいらずにふわりと浮き上がり、漂うように家に帰ってきました。

 修煉を始めると、夫の病気はすぐに良くなり元気になりました。そして、私たち一家は解放され、辛抱して泣きながら暮らすことは二度とありませんでした。

 二、師父が私に暖かい空気を贈ってくださった

 1997年の寒中に、市内で開かれた9日間の説法ビデオのコースに参加しました。知らせには自分で布団を持ってくるようにと書いてありましたが、指導員は「去年私が行った時は布団を持って行きませんでしたよ、あそこには暖房がありましたから」と言われ、布団を持って行きませんでした。しかし行ってみると、宿泊場所の2階に暖房はありませんでした。外は厚い積雪で、窓ガラスには厚い氷が張り付いていました。ベッドは上層と下層があり、下層の人はみな布団を敷いて一緒に暖まっていました。すると、私が何も持っていないのを見て、ある同修が「上層のベッドに私の古い布団がありますから、それで暖まりなさい」。私は寒いかどうかなどは毛頭考えておらず、二つのトイレットペーパーをタオルで巻いて枕にし、服を着たまま古い布団の上に横になりました。すると、横になるとすぐに暖い風が足の下から「スースー」と上へ向かって吹いて来て、全身に暖かさを感じました。その時は師父が私を保護してくださっていたことには気づかず、ただ「ここは寒くないじゃないの」と思っただけです。

 3日間が過ぎ、下のベッドで寝ていた同修が「布団を2枚敷いて、布団を2枚かけても凍えてふるえそうだ。あなたは上で『ちょうちんを提げても』(方言で『布団をかけていない』ことを指す)、どうして寒いって言わないの?」と聞かれ、私は「寒くないですよ、師父が毎晩暖めてくださりますから」

 三、手錠が独りでに外れた

 すばらしい生活が2年ちょっと過ぎただけで、猛吹雪が天地を覆い隠すかのように一変し、江沢民が法輪功への迫害を開始しました。2人の姪のうち、1人は県公安局に務めており、1人は北京で仕事をしていました。「7.20」後のある日、2人の姪が私に「おばさん、法輪功を学ばないでください、政府がやらないようにと言っています」と忠告しました。私は「この法は絶対に学ばないわけにはいきません。もしあなた達が巻き添えになるのなら、私はあなた達と縁を切り、迷惑をかけません」

 2000年春、夫の兄の家が増築されたので、ちょうど私が食事の手伝いをしていた時、県610弁公室と警察署の人員が来て、私を捕まえて洗脳班へ入れました。そして、洗脳班に入るとすぐに鉄の椅子に繋がれ、背が高くて大きな警官が片手で私の髪の毛をつかみ、もう片方の手で私を殴り、めった打ちにしました。しかし、私にはただ「パチパチ」という響きだけが聞こえ、まったく痛みを感じませんでした。それは、自分の顔と頭が綿花になったような感覚でした。そして「私は神です、それなのにあなたはどうして私を殴るのですか?! 私を殴ってあなたは受け入れられるのですか?!」と思いました。このように思うと、その警官は両手を胸に抱き、腰を曲げ、1人でくるくると回りました。夜になって、その警官が窓の外から「定年退職したらあなたに会いに行きます、そして、あなたと法輪功を学びます」と私につぶやきました。私は「今学べばいいですよ」と言うと、警官は「だめです、今は学べません」。それで私は一般人ではなく、神の道を歩む修煉者だということを実感しました

 洗脳班では一つの部屋に7、8人が拘禁されていました。そして、手錠で私とおばが繋がれていました。私はおばに「ここにいるわけにはいかないので、私は出て行きます」。するとおばは「どうやって出て行くの?」。「あそこの南側の壁にはくぼみがあるので、あそこから出て行きましょう」。するとおばは「この手錠はどうするの?」。私は確信に満ちた口調で「師父にお願いしましょう」。午後になって、警官に酒を1杯送りました。私は必ずチャンスがあると思っていました。警官に酒を飲ませて眠らせるのです。そして夜になり、その警官は本当に酒を飲み、ドアに鍵をかけて眠ってしまいました。私はどうやって門を開けようかと考えていると、1人の同修が「早く門を開けて」と大声で叫びました。お腹がとても痛くなり、私は便所にいかなければなりませんでした! すると、警官は酒を飲みすぎ、粗忽(そこつ・ 軽はずみなこと)にも門を開けてしまいました。そして、同修がトイレに行ったので、私は警官に向かって「早く彼女(おばを指差して)の手錠をはずしてください、彼女は太っているので、手錠が肉にくいこんでいます」と言うと、警官は本当におばの手錠をはずしました。そして、警官がまた眠ってしまってから、私とおばは南側の壁を越えて出て行きました。

 洗脳班を出てから、私とおばは隣村の親戚の家に行きました。親戚の家のおばあさんも大法を学んでいました。おばあさんはまだ私の手錠がつながっているのを見て、息子を呼んで来て、弓のこで手錠を切らそうとしました。息子は私に「法輪大法の素晴らしさについてはただ聞いているだけで、不思議な体験についてはまだ見たことがない」。そう言い終わった途端に「ゴリッ!」という音がして、手錠がひとりでに外れました。そこで私は「ほら、不思議な体験は見たことがないって言ったけど、今見たでしょう」。それを見たおばあさんの息子も修煉を始めました。

 四、北京に法を守りに行く

 2001年5月1日、私は同修と一緒に北京に行って、師父と大法のために正義を勝ち取ろうと思いましたが、途中で遮られ、再び洗脳班に拘禁されました。次の日、夫の弟(村で党支部の責任者をしている)が私の身柄を請け出しました。そして、私に「二度と北京へ行ってはいけない、北京は戒厳令が敷かれているから」と忠告されました。

 そして、数日も経たないうちに、やはり北京に行かなければならない、と私は思いました。そして、1人で大型バスに乗って北京へ行きました。しかし、陳情局へはどのように行ったらいいのかわかりませんでした。すると、パトカーに「困ったら警官に助けを求めよう」と書いてあるのが見え、公安部の入口に4人の歩哨(ほしょう)がいました。私は「すみません、陳情局へはどう言ったらいいですか?」と尋ねました。すると歩哨は「何の用ですか? あなたは法輪功を学んでいる人ですか?」。「そうです」と言うと、歩哨はある方向を指差して「あそこです」と言われ、私は陳情局へ行きました。中を見てみると、その中にはたくさんの人がいました。その中の1人が「何をしているのですか?」と尋ねて来ました。法輪功を学んでいる者です」と言うと、2人の人員がやって来て「来なさい、車に乗って」と言いました。

 2人の人員は、まわりに鉄柵がめぐらしてある場所に私を連れ出し、中にいる同修たちは『洪吟』を暗唱していました。それを聞くと、私を連れて来た人員が「念じるな!」と怒鳴ると、本当に声が聞こえなくなりました。私は大声で「止めてはいけません! 私たちは大法を学んでいるのですから、どこに行っても法を学ばなければなりません!」。すると、みんな再び続けて暗唱し始め、止めようとした人員はわきに消えてしまい、建物の中に入ってしまいました。

 しばらくすると、1人の人員がやって来て「どこから来た?」と尋ねました。私はその人員に伝えると、その人員はある場所に私を連れ出しました。私は足を組んで煉功したかったのですが、煉功させてくれませんでした。そこで私は「法輪功を学んでいる者なので、どこにいても足を組んで煉功しなければなりません」と要求しましたが、やはり煉功させませんでした。そこで、私は足を下ろして「この功は1日24時間止まることがないので、足を組んでも煉功になるし、足を組まなくても煉功になります」

 その人員たちは何度も私を違う場所へ連れて行きました。そして最後に、若い女性と一緒に拘禁し、その女性は大学生でした。女学生は私に「私たちは法を実証するのですから、足を組んで煉功しなければなりません」。私たち2人がちょうど足を組んだところに、1人の男がやって来て、革靴を履いており「バチッ! バチッ!」と私の足を何度も踏みつけ、私の足は蹴られてすっかり青くなってしまいました。今度は女学生の手錠を「バチッ! バチッ!」と何度もきつく締め、手錠が肉に食い込み、痛くて手をワナワナとふるわせました。私は「師父の『論語』を暗唱しましょう」。学生は「暗唱しきれません」。「私は覚えていますから、私が暗唱したら、あなたも暗唱しなさい」。そして、私たちがおよそ20分間くらい暗唱していると、痛くなくなりました。ちょうど看守が1人やって来たので、「早く彼女の手錠を外してください、見てください、彼女の手に食い込んでいます」と言うと、看守は本当に学生手錠を緩めてくれました。

 そして、地元の町役場の人が迎えに来て、私は再び洗脳班に拘禁されました。洗脳班では「三書」を書かなければならなかったので、私は「一気に最後まで修煉することを保証します」と書きました。

 五、労働教養所の中で法を実証する

 北京から帰って来た後、私はやはり「真相資料を配り、真相を伝えて早く人を救いに行きたい」と一心に思いました。2002年、再び資料を配っていた時、また連行され留置場に入りました。そして1カ月後、労働教養所に入れられ、3年間の労働教養を科されました。

 労働教養所に入ると、毎日絶えず洗脳され、拷問が行われ、多くの人が本心に逆らって「転向」しました。しかし、私はそれらに影響されず、絶えず大法の素晴らしさを伝えました。するとある日、1人の警官が怒ったように「まだ『真・善・忍』を信じているのか!」。私は穏やかに「もしあなたが『真・善・忍』の3文字のあらを見出したのなら、あなたの話を聞きましょう。真実を語るとそれが犯罪ですか? あなたを大切にし『法輪大法は素晴らしい』を念て、平安を願ってもらうことが犯罪ですか? あなたが殴るなら、私は後退しながら耐えますが、それが犯罪ですか? この『真・善・忍』のどこがよくないと言うのですか?」

 労働教養所で私は「転向」しなかったために、いつも刑務所の独房に拘禁されました。ある日、裏切り者の1人が私を暗い小部屋に拘禁し、人を馬鹿にしたように語尾を延ばして「とるに足らない人間が修煉かぁぁぁ~~~、壁に向かって座禅かぁぁぁ~!」と嘲笑いました。そこで、私は「あなたには壁がありますが、私に壁はありません!」と言い返しました。するとその瞬間、奇妙なことが起こりました。体の中心から1本の隙間が現れ、体が絶えず二つに分かれ、その後、私自身がいなくなり、体も存在しなくなり、本当に「壁」がなくなり、周りの全てがなくなり「無」の状態に入ったように感じました。そして私は「大法弟子の心が法に則っており、堅く法を守り、法を実証しさえすれば、どのような環境の中であろうと関係なく、いつでも大法の素晴らしさを体験することができるのだ」と悟りました。

 六、面と向かって真相を伝え人を救う

 面と向かって真相を伝え始めたばかりの頃、私たちは数人の同修と一緒に出掛け、ある同修は真相を伝え、ある同修は正念を発し、真相を伝える効果はとても良かったのです。しかし、このような真相の伝え方では依頼心が生まれやすい、と思うようになった私は、出かける時は1人で真相を伝え、人を救わなければなりませんでした。

 ある日、家を出て南に向かう道に沿って、縁のある人を救いに行きました。そこはちょうど市場へ向かう道でした。1人の人に会いましたが口を開くことができず、また別の人に会いましたが、やはり口を開くことができませんでした。私は心の中で焦り「師父、早く私にお教えください、口が開けません」と師父にお願いしました。そのようにお願いすると、前方から自転車を押した男性がやって来て、その人は自転車を押して歩いていたので話しかけることができました。私は前に出て行って「すみません、市場へ行くんですか? あなたにお会いしたのでよいことをお話ししたいと思います」。男性は「どんなよいことですか」と尋ねました。そこで三退について伝えると、男性は快く脱退してくれました。私はほっと息をつき、急な坂を上るより疲れたような気がしました。

 さらに前へ歩いて行くと、道の東側で2人の人が座っておしゃべりしているのが見えました。道の西側では花を売っており、高級乗用車が道端に止めてあり、共産党の幹部らしいきちんとした身なりの男性3人が花を見ていました。そこで私は「この人たちに真相を伝えることはできない、家を出て来たばかりなので気を付けなければならない」と思い、東側へ行き、2人の人に真相を伝え三退を勧めました。2人は快く脱退してくれました。私はペンと紙を取り出し、2人の人に「私は字が書けないので、2人とも自分で自分の名前を書いてください」と言うと、2人は本当に自分の名前を書いてくれました。また、私は2人に「『法輪大法は素晴らしい』と念じれば福報があります」と伝えると、2人は声をそろえて「わかりました」と答えました。

 引き続き南に向かって縁のある人を探し、ぐるっと一回りして、十数人の人を三退させました。そして、花を売っている場所にまた戻って来ると、幹部らしき3人の人はまだそこにいて、選んだ花を車に積んでいました。そこで私は「この3人は幹部ではなく、花を買いに来ただけのようだ。いけない、彼らに真相を伝えて救わなければ」と思い、歩いて行って真相を伝えると、3人とも快く三退してくれました。その時、私は「これは師父のご加持で、すべて師父がなさったことだ」と思いました。1人で面と向かって真相を伝えることは、本当にそんなに難しいことではありませんでした。

 しかし、面と向かって真相を伝えていると、さまざまなことに出会いました。

 ある時、私は市場で真相を伝えていました。数人の人が屋台で糸を売っているのが見えたので、真相定期刊行物を一つの屋台に1冊ずつ配りました。真相定期刊行物を配り終えると、東側から1人の人が来て、手には私が先ほど配った真相定期刊行物を持っており、他の人の手からも真相定期刊行物を奪い取り、私を手で捕まえて「逃げるな、ここに書いてあるものは何だ?!」と大声でわめきました。私は心の中で絶えずこの人を救ってくださるよう師父にお願いしました。師父がそばで加持してくださっていることを知っていたので、まったく怖くなく、静かにその人に「焦らないでください、ここには、周永康、薄煕来、李東生、蘇英などはみな刑務所に入れられたことが書かれています。これらの人員はみな真・善・忍を迫害した者たちです。この真・善・忍は宇宙の真理であり、すべての生命のよしあしを評定し、因果応報に導くのだ、と書いてあります。彼らは真・善・忍を迫害したので、刑務所に入ったのではありませんか?」と伝えました。すると、その人は「うーん」と声を出しながら笑い、つかんでいた私の手を放すと、そのまま立ち去って行きました。

 また、布を売っていた男性がいたので、真相を伝えようと思いました。すると男性は「先に話さないでください、問題を出しますので、答えられたら脱退します。しかし、もし答えられなかったら警察を呼んで捕まえてもらいます」と私の話を遮りました。そこで、私は笑いながら「これは等価交換ですね」。「この法輪功はいいのかもしれないが、なぜ党に反対するのか?」と聞かれ、「私たちは党に反対しているのではなく、人を救っているのです。入党している人たちの中にも良い人はたくさんいます。あなたは党員ですか?」。男性は「そうです」。「党員なら知っていると思いますが、共産党の宣言には、この党は西洋からの幽霊である、と書かれていませんか? 幽霊とは何でしょうか? 亡霊ではありませんか? 江沢民はこの亡霊を利用して、法輪功を迫害し、真・善・忍を迫害しています。真・善・忍は人を良い人に導きますが、あれは良い人を迫害しており、それを天理が許しますか? ですから、この亡霊は消滅しなければならないのです。あなたは党員ですから、体にこの亡霊が憑いているのに、すぐにこの亡霊を取り除かなければ、天が亡霊を滅する時、あなたも一緒に葬られてしまいます」。私の話を聞いた男性は「私は3年前に脱退しました」。「そうなんですか、脱退して3年経つのに、まだ私を脅かすのですか」。すると男性は「あなたの話す内容が他の人のと違うかどうか聞きたかったのです」。私は「大法を修煉する者はみな本当の話をし、人を騙すことはありません。これからは人を脅かそうとしないでください。江沢民の迫害はここ十数年間も続き、私は6回も捕まり、3年間も拘禁されたのでもう十分ですよ」と言うと、男性は笑いながら歩いて行きました。

 七、戸口で騒ぐ人にも真相を伝える

 実名で江沢民を告訴した後のある日、村に4人の人員が来て、私の家の戸口で大声で叫んでいるので、私は出て行って「あなた達は何をしているのですか?」。その人たちは、村の社会治安総合管理委員会(実際は村の「610弁公室」)の者だ、と言いました。それを聞いて私はその人に「あなた達は不法な組織ですから、入ってはいけません。私は法輪功を学んでいますが、騒ぐことはしません」と伝えました。その人達は「あなたの夫を捕まえる、今すぐにだ」。私は「この人たちに真相を伝えるために、中に入れなければならない」と思いました。

 家に入るとまず私が奥に座り、その時「私の家に来たら私が主人だから真相を話し、あなた達は聞かなければならない」と思いました。その人達も自分たちで場所を探して座りました。そして、夫がどうして法輪功を学んでいるのか、どのように恩恵を受けたのか、を伝えると、1人が「先に話さないでください、私が話します」。そして、その人が二言三言話した時に、私はその人の話を遮り「先に話さないでください、私が先に話します」。私が話し始めると、そばにいたもう1人が「あなたはどうして江沢民を告訴したのですか?」と尋ねました。「いい質問です、そのことを話そうと思っていたのです。私がなぜ江沢民を告訴したのか? 私の夫(夫を指差し)は職場で中間管理職でしたが、心臓病が重くなって働けなくなり、1日中病院で過ごしていました。彼が言うには公費で医療が受けられるということでしたが、共産党は全く関わることがなく、自分でお金を持って行って入院しました。しかし、3人の子供が学校に通っていたために、入院するお金がなく、家に戻るしかありませんでした。彼は帰って来ても何も仕事ができず、その頃、私が死のうが生きようが共産党は全く関わりませんでした。しかし、私たちが法輪功を修煉すると、彼の病気がよくなりました。彼を見てください、もうすぐ70歳ですが、青年のように若いでしょう。ところが、今になって共産党は私たちに関わって来て、江沢民は私に法輪功を学ばせないようにしているのです」

 すると、別の人が「私たちは法律を守らなければならない」。私は「あなたは本当に良く思いつきますね。今の法律は『案件があれば必ず立案しなければならず、告訴があれ必ず受理しなければならない』と定められており、この法律のことを聞いてすぐに訴状を書き、江沢民を告訴したのです。なぜ江沢民を告訴したのか? それは公正なる天理のためであり、あなた達を救うためです。それは、あなた達も被害者だからです。考えてみてください、私が何をしましたか? 真・善・忍を学んで良い人になっただけです。泥棒や強盗ではありません、殺人も放火もしていません。江沢民が私を迫害するのをあなた達も手伝っており、私は6回も捕まり、3年間も拘禁されました。労働教養所から帰って来た時、やせ細った私の体には肉はなく、松の木が革製の中国服を着ているかのようでした。私は真・善・忍を学んで、本当の話をしただけではありませんか? 『法輪大法は素晴らしい』と念じれば平安が保たれる、とあなた達に教えただけではありませんか? 昔から人を殺せば命で償わなければならず、お金を借りれば返さなければなりません。江沢民によって蘇家屯に拘禁されたのは6000人以上で、すべて法輪功を学んでいる人たちで、みんな生きたまま臓器を摘出されたのです。江沢民は命で償わなければならないのではありませんか? 私は江沢民を告訴しましたが、それはあなた達のためでもあり、江沢民にごまかされたすべての人々のためなのです。いったいどれだけの人が江沢民に誤魔化されたのでしょうか? さらに、天安門で焼身自殺を演じさせ、法輪功に罪をなすりつけました。薄煕来と周永康はどうして刑務所に入ったのでしょうか? 罰が当たって刑務所に入ったのであり、これは天意です。人が治めなければ天が治めるのです」。すると、その人達は何も言わずに、立ち上がって帰っていきました。

 2日後、その人達がまたやって来ました。「私が真相を伝えるのはあなた達を救うためです。『洪吟』の1節を暗唱して聞かせましょう。『あなたが劫難を歩み出ることをひたすら望み 真相はあなたの永く念ずること 党文化が広がる世間にて 再び世を欺く虚言に騙されてはならず 未来の路を好く歩むことが肝心である 人はみな善と悪の間で自ら選ぶ 天体が劇変しているため 古きものが解体しているため 未来に向かって歩むには検証が必要だから』[1]。今、あなたが選ぶ二つの道があります。江沢民と共に歩み罰が当たることと、もう一つは、真・善・忍と共に歩み災難を回避することの二つの道があり、あなたが自分で選択してください」と伝えました。すると、痩せた人が「あなたには教養があるのですか?」と尋ねました。私は「世間でいう小学生程度の教養ですが、大法を学んでいるので、師父が知恵を授けてくださいます」。それを聞いて、その人達はまた帰っていきました。

 その2日後、その人達がまたやって来ました。その時はちょうど同修が2人家にいたので、今回は考えをまとめた結果、ドアを開けないことにしました。そこで私は「あなた達はなんでまた来たのですか?」と聞くと、「お話を聞きに来たのです、お話を聞きに来たのです、あなたのお話を聞きに来たのです」とその人達がドアの外で何回も言っているのが聞こえました。「もう2回も話しませんでしたか?」。すると1人が「私は聞きましたが、彼ら2人はまだ聞いていないので、もう一度彼らにも聞かせてください」。私はドアを隔ててもう一度話しました。そして最後に、その人達に「これ以後は、もう来ないでください」と伝えました。するとそれ以後、本当に来なくなりました。

 八、心が法に則っていることが最も安全である

 この間、中国最高裁判所と最高検察庁がいわゆる司法解釈を交付し、共産党が迫害を強め、周りで真相を伝えていた同修が何人も連行されました。しかし、私は気にせず、いつも通りに出かけて面と向かって真相を伝えて、三退を勧め人を救いました。しかし、夫はいつも「安全に注意して、用心するに越したことはない、共産党は狂犬と同じで、どこにいても人にかみつくのだから」と注意しました。「安心してください。師父は『真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをするときの心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです』[2]と説かれました。だから、安心してください。いつも通り面と向かって資料を配り、真相を伝え、三退を勧めるだけですから」

 その後の数年間は、DVDを配ったり、カレンダーを配るのはいつも市場に行って配りました。ビニール袋に入れて市場に行き、屋台にも配りました。しょっちゅう行っていたので、みんなが知っていました。ですから、市場に着くと、まだ袋から出さないうちから「わー」と取り囲まれました。そこで、「慌てないでください、みんなの分がちゃんとありますから」と言いながら配りました。

 市場のない日は、人の多い場所を探して真相資料を配りました。ある日、はじめて別の市場でカレンダーを配ったのですが、市場に行く前に「私は人を救いに行くのだから、天龍八部や様々な生命が私を助けてくれる」と思いました。この念が浮かび、市場に着いてみると「わー」と人々に取り囲まれ、奪うように資料を持って行かれました。人々に取り囲まれて少し恐かったのですが「慌てないでください、1人1枚です」と言って配りました。資料を配り終わった時、まだ資料をもらっていない人達がいました。そこで私は「また来ますから、その時にお渡しします」と言うと、1人の人が近寄って来て「また来る勇気があるのか? 今度来たら捕まえてやる!」。すると、そばにいた人が近寄って来て、「この人を捕まえてどうしようというんだ?! この人は人を救いに来ており、良いことをしているのに、捕まえてどうしようというんだ?!」と言われ、その人は不機嫌そうにその場を離れていきました。

 二度目にその市場に行った時、やはり人々が争うように資料を持って行きました。すると、少し離れた場所にいた人が「警察が来たぞ! 捕まえに来たぞ!」と叫びました。別の人が「人を脅かしてどうするつもりだ?!」。そしてこの時、私は「これはみな、師父が行ったことであり、出発点を正して真相を伝え人を救えば、師父は正しい生命を派遣して助けてくださるのだ」と思いました。

 師父は「この世に来た時、かつて私と誓約を交わしたのです。それらの衆生を救い済度すると誓ったから大法弟子になれて、このことを行なうことができたのですが、あなたは誓約を果たしていません。あなたは誓約を全部果たしていません。あなたが受け持つ背後の、あなたに割り当てられたそれらの数え切れない衆生、厖大な生命群でさえ救い済度することができなければ、それはどういうことですか?! 単なる修煉が精進していないだけの問題でしょうか? それは極めて極めて大きな犯罪です! 罪はこの上なく大きいのです!」[3]と説かれました。

 「弟子として師父のお話を聞き、残された時間の中で多く人を救い、自分の誓約を果たす」、皆さん、これが弟子が果たすべき最大の責務です!!

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「善と悪は自ら選ぶ」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/16/356206.html)
 
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