明慧法会|師父が導いてくださったので 私たちはあきらめない
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 文/山東省の大法弟子 浄心

 【明慧日本2018年6月2日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 全世界の大法弟子の皆さん、こんにちは!

 第14回中国の大法弟子の法会に当たり、修煉の体験を師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 他郷の同修が拘禁され 私たちは協力して救う

 2016年末、私の地区の同修が留置場から帰って来て「まだ地方の同修のBさんが中にいて、状況は楽観できません」。長期にわたり学法煉功ができず、周囲の環境が劣悪であるなどの要因があったために、不当な裁判の時にBさんは本心に逆らい自分に罪があることを認め、早く家に帰りたがりました。

 私はAさんと相談し、同修が留置場でBさんと縁を結び、私たちがそのことを聞いた以上、必ず偶然なことではなく、師父は「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」[1]と説かれました。そこで、私たちはどのように救うのかの方法を考え、師父は1人の弟子も落としたいとは思っておられず、これは私たちの責任でもありました。

 Bさんの所在地区の同修を知らなかったので、私とAさんは急いでBさんの周辺地区の同修に連絡を取り、Bさんが拘禁された原因を尋ねましたが、帰ってきたメッセージは「この件はよくわからない」というものでした。

 私たちはBさんの両親に連絡を取り始めました。村の名前を聞いて車を走らせ、走っているうちにどこに向かって走っているのかわからなくなると、頭の中に「タクシーの運転手を探せ」という一念がひらめきました。すると、道端でトランクを整理しているタクシーの運転手を見かけ、歩いて行って尋ねると、運転手は半分目を閉じて考えながら非常に詳しい路線図を書いてくれました。大体第6カ所目の十字路まで走ってくると、方向を確定できなくなり、頭の中に「ガソリンスタンドへ行け」という一念がひらめきました。すると、そばにガソリンスタンドがあるのが見え、私たちの車が入る前に1台のオート三輪が給油を終えて出てきたので、急いで運転手に「○○村はどう行けばいいですか?」と聞くと、運転手はまるで私たちを待っていたかのように笑いながら「私について来てください、その村に行くところですから」。そして道中、私たちは師父がそばにいらっしゃることをはっきりと感じました。

 転々とめぐってBさんの両親の家(別の町)を見つけ、老夫婦(訳注:Bさんの両親)は私たちが説明した来意を聞くと協力に抵抗しました。そこでBさんの父親に「どうであれ、私たちの子供も拘禁されています。彼女たち十数人が、体を斜めにしなければ眠れないようなところに押し込められているのを、なすすべもなく見ているわけにはいきません。あなただって見ればきっと忍びないと思いますよ」。そして、老人(訳注:Bさんの父親)の受け入れ能力を考慮し、留置場内でのBさんの部分的な状況を話すと、Bさんの父親は「二度と資料を配りに行かないように、留置場の中にいればいいさ」と言いました。

 今度は、私たちはBさんの母親(同修)と交流し、Bさんの母親が涙ながらに私たちに伝えたところによると、Bさんが捕まったばかりの時、彼ら2人は何度も車で二つの場所を往復し、Bさんの父親は、憲法が信仰の自由を規定する、と書かれた農村の法律手帳を持って各部門を回りました。しかし、中国共産党の役所の職員は互いに責任をなすり合いました。そのため、このかわいそうな2人の老人は4カ月間骨身を惜しまず走り回りましたが、子供に一度も会えず、誰も老人たちの話に肯定せず、老人は本当に走り出せなくなり、走れなくなって意気消沈しがっかりしてしまった、ということでした。そして、老人はいつも「やりようがない」という一言を言うようになったのです。

 世の気風がだんだん悪くなり、権力やお金が幅をきかす社会になり、老人がつらくやむを得えないと感じたことを深く理解し、心身ともに疲れ果て涙を流した2人の老人を見て、私たちも悲しくなりました。そして、私たちはBさんの母親と「同修である家族を救うにあたって、どんなに難しくても放棄せず、師父は衆生に慈悲深いので、私たちは引き続き真相を伝えて、Bさんの引き渡しを要求しなければなりません」と交流しました。

 その後、Bさんが所在する地区の同修と、Bさんの両親が所在する地区の同修、それに加えて、私たちの地区の同修が一緒になり、3カ所の同修が全体で協力し、正邪の大戦の幕を開けたのでした。

 師父が導いてくださり 勇気をもって前へ進む

 私たちとBさんが所在する地区のグループの同修は、今回のことについて法の上で交流し、グループの同修は「努力して、協力して、正念を発しましょう」と言いました。

 同時に、Bさんのグループの同修が以前Bさんの夫(まだ法輪功を修煉していない)に何度も真相を伝えていたことがわかりました。そして、Bさんを早く出所させるために、Bさんの夫はBさんを弁護するために弁護士を頼み、裁判所が刑を軽くすることを期待しました。そして、Bさんの夫は多くのところでコネを使いましたが、この1年、何の連絡もありませんでした。

 私の地区の80歳代の同修が、Bさんの母親と一緒に引き渡し要求に行くことを決心し、Bさんの母親もしぶしぶ承知しました。2時間上下に揺られて、Bさんが拘禁されている街に着き、年配の同修は公安局、検察庁、裁判所、留置場、警察署などの関係部門を奔走しましたが、正門の入り口さえ入れてもらえず、年配の同修は門番に真相を伝え、個別に三退させました。いくつかの部門に行きましたが、最終的にどこにも入ることができませんでした。戻る途中で、Bさんの母親は嘆きながら「だから来るべきではないと言ったのです、私は何度も来たことがあるのです、見てください、入れましたか、誰があなたを相手にしましたか?」。同修間でも遠回しな批判が現れ「無駄な努力だ、効果がない」と言う同修もいました。そして、私の地区でも「これは他人の地区のことで、私たちの地区にもやらなければならないことがいろいろ多くあります」と言う同修もおり、さらに、地区を越えて協調するべきではない、などと善意で勧める同修もいました。

 静かに考えた後、私とAさんはもう一度Bさんの両親の家に行きました。途中、狂風に大きな雪が混じって車のフロントガラスをたたき、ワイパーを使っても前方の道がはっきり見えませんでした。そして走っていると、突然青空が広がり、前に行っても後ろに行っても一面雪が降っているその間を、整然とナイフで切り開いたかのようでした。そして、再び進むと、またブリザードのような雪が真正面から吹きつけてきましたが、前に進むとまた雲がなくなり、戻ると空一面に雪が吹き付けていました。その時、私は「前に進むことしかできず、後退はできず、進む道がどんなに難しくても、窮しても必ず道は開けるのだ」と師父が悟らせてくださっているのだとわかりました。

 Bさんの両親に会うと、2人の老人は「こんな遠いところまで来る必要はないですよ、意味がありません」と言われ、私たちは2人の生活にいろいろと気を配り、老人の体に関心を示し、老人に対する理解を示しました。私たちがどこにいても良い人になるよう師父は要求されていますが、私は会社員で午後の出勤の前に急いで帰り、できるだけ休みは取りたくありませんでした。しかし、もう一度来るのは大変なので、同修のAさんはやはりBさんの両親と話しており、私はというと、出勤時間になったので焦り、話し声もおかしくなり、顔色も悪くなってきました。すると、Aさんは一言も恨み言を言わずに黙って私と一緒に急いで戻りました。午後3時半に家に着き、急いで電話をかけて休みを取ると、同僚が「リーダーがいないので出勤しても何もなく、来る必要はないですよ」。そこで私はすぐに、師父が見守ってくださっているのだ、とわかりました。私は心がとがめ、Aさんのことを考えました。60歳過ぎの人なのに家の中のことを放り出して、私の仕事の時間に合わせるために行動を共にしてくれました。それを思うと自分の人心が動揺し、後ろめたさを感じました。

 続いて、私たちは地元の弁護士に、Bさんに会ってもらうように頼みました。最初に、私たちはBさんのために師父の説法の一部を書き写し、弁護士にこっそり渡すようにお願いすると、弁護士はカンカンに怒り「1000元(会見費用)のために自分の仕事を捨てることはできません」。その後、弁護士と合意に達し「確固、正念、否定」の6文字をこっそり渡してもらうことになりました。そして、私たちは弁護士に真相を伝え三退させましたが、今までのところ、弁護士は私たちの願ったとおりにやってくれているわけではありませんでした。弁護士が会見から帰ってきた後、信仰が合法であることと迫害が罪であることを法律の角度から述べた真相資料を弁護士のために残し、真相がわかり弁護士に素晴らしい未来があることを望みました。

 私たちは弁護士と接触する中で、毎回弁護士に異なる内容の真相資料を渡し、その中には、ある弁護士が大法弟子のために無罪で弁護した精細な弁護論稿が含まれていました。そして、私たちは弁護士にしっかり読むように善意をもって伝え、さらに「あなたの善念、善行と良い行いはあなたとあなたの家族に幸運をもたらすでしょう」と伝えました。そして、再び弁護士に会見を頼むと、私たちがBさんのために準備した師父の説法を弁護士は手に取り、二の句を言わずに留置場へ向かいました。

 今回は会見する人が多く、もともとの計画では午前中だった会見が午後に変更せざるを得なくなったのですが、午後、私は休みを取っていませんでした。すると、私の心はまた焦りましたが「心を動じてはいけない、すべては師父が按排なさっており、すべては師父がお決めになるので、二度とペテンにはひっかからない」とすぐに思い直しました。そして、午後4時に家に戻り、電話を取って休みを取ろうとすると、同じグループの人が「何もないから街を散歩にでも行ってきてください」。それを聞いて、私は目が潤んできて、両手で合掌して「師父は素晴らしい! 修煉は本当に幸せです!」と申し上げました。

 数回の会見の後、留置場内でのBさんの正念はだんだんと強くなっていきました。すると、弁護士から電話がかかってきて、裁判所側はBさんの変化と弁護士が関係があると疑っている、と弁護士は自分の心配を述べました。そして、ちょうどよい時に明慧ネットの交流文章「弁護士と接触する中で大法弟子の度量を現す」を読み、その中の一文に「弁護士たちの安全に考慮し、私の角度から言えば、たとえ自分の同修の案件が引き延ばされたとしても、また、刑務所内の同修との接見が1回減ったとしても、弁護士たちが心の準備をして再び次の1歩を踏み出すことを希望しています。というのも、弁護士たちに損失を追わせたくなく、歩いて苦しい思いをし東奔西走させたくなく、このようにして初めてさらに効率的に行え、さらに相互に信頼できるからです」を書き写しました。安全の問題は、師父が何度も中国の大法弟子に注意を与えていらっしゃり、それには正念のある衆生も含まれています。たとえ私たちのことが少し引き伸ばされたとしても、弁護士に大きな危険を冒させたくはありませんでした。

 師父はいつでも私たちのそばにいらっしゃり、道中ヒントを与えてくださり、道中悟らせてくださり、道中導いてくださいました。私は電話を取って心から弁護士に「私たちは充分に会いに行きたいのですが、もしあなたの仕事と生活に少しでも影響するのであれば、会いません」。すると、電話の向こう側で弁護士は茫然となり、それから私たちと会う時間を決めました。弁護士のBさんとの会見が終わると、私はすぐに同修の中の状況を尋ねました。すると突然、私はある問題に気付きました。それは弁護士のことを思って、弁護士の身の安全を考えているように見えますが、それなら弁護士が出てきた後、どうして同修がどうだったのか、ということで頭がいっぱいだったのでしょうか? なぜ先に弁護士に「大丈夫ですか、留置場で困ったことはありませんでしたか?」と尋ねなかったのでしょうか? 私は「一つの生命が無私無我に行い、その境地を全うすることは見様見まねではないのだ」ということを悟りました。それは修煉者が法の中で向上する体現であり、生命が大法と同化した後の法の威力によるものでした。

 12月28日、私たちはおそらく6回目だと思いますが、車を走らせてBさんの両親の家に行きました。その日は雨と雪が混じり、前日の夜の積雪がまだ溶けておらず、路面は雪で輝いていました。Aさんは車を運転できないので道路の状況を考慮せず、非常に険しい山道を私に走らせました。私の運転技術もそれほどでもなく、きつい上り坂や下り坂、急カーブに差し掛かると、両手でしっかりとハンドルを握り、師父にご加持を求め、2速のスピードで、足はずっとブレーキを踏んでおり、両足がマヒしたように感じ、太ももが硬直し、全身の筋肉がピンと張っていました。そして、おそらく30分くらい走ってやっと平らな道が見えてきました。

 Bさんの両親は私たちに会うととても驚きました。そこで、私たちは再び「Bさんとは見ず知らずの間柄ですが、大法弟子は一つの全体であり、師父は私たちにそのようにさせているのです。ですから、一緒に努力して私たちの家族を家に帰さなければなりません」と説明すると、Bさんの父親は非常に感動し「この時世、法輪大法の弟子だけがこのようなことを行えます」

 午後、私とAさんは車を運転して帰りましたが、雪はまだ降っていました。夕方、もうすぐ私たちが家に着く頃、本来ならば夕日が沈む情景のはずが、穏やかな日差しの風景が現れました。そこで、私はすぐに「天清く体も透り乾坤正し 無限の劫已に過ぎ、宇宙明し」[2]という師父の法を思い出し「前へ進め、あきらめるな」と師父が私たちを励ましてくださっているのだとわかりました。

 全体で協力し同修が家に帰る

 Bさんの母親は留置場の所長に電話して真相を伝え、叱責と罵倒に遭っても、ずっと私たちとコミュニケーションを取って交流し、絶え間なく法の中で正しました。私の地区の同修も協力してこの案件に責任を負っている裁判官に電話して真相を伝えました。しかし、裁判官は最初は態度が悪く杓子定規なことを言い、規則を口実にした逃げ口上を言って同修に話をさせませんでした。しかし、同修たちの慈悲と善念で人を救うエネルギー場の下、粘り強くゆるぎない確信の下、裁判官の態度が変わり始めました。ある時は同修が6、7分間にわたって伝えた真相をまじめに粘り強く聞いた後「近いうちに、もう一度裁判を始めるよう助力します」と言ってくれました。

 2月中旬、Bさんが所在する地区の裁判所は一審で2回目の裁判を行いました。裁判所の外では、Bさんの両親が所在する地区、私の地区、Bさんが所在する地区の多くの同修が声援に来て、前へ進み出て近距離から正念を発しました。裁判の現場では、Bさんが過ちを認めればすぐに年老いた両親と家に帰れる、と裁判官が言いました。Bさんの夫が頼んだ真相を理解していない弁護士も傍(かたわ)らで、裁判官の話を助けていました。しかし、Bさんはまったく動かされませんでした。縁のある同修との交流による切磋琢磨を通して、弁護士が何度も渡した師父の説法による正念とご加持を通して、今回の裁判でBさんは正々堂々と、そして厳しく「信仰の自由があり、法輪功を信仰することは無罪です」と言いました。そして、裁判官がどんなにBさんに過ちを認めるように誘導しても、Bさんは確固とした正念をもって全面的に否定しました。

 休廷後、3か所の同修は交流して「緩めず全体で協力して真相の手紙を送り、真相電話をかけ、正念を発し、近距離から発正念をしたからだ」という合意に達しました。私の地区の同修がもう一度刑事法廷の長に電話すると、長は「もう彼女たちに手紙を送ったり、電話をかけさせたりしないでくれ」。それを聞き、同修は「他の空間の邪悪生命が耐えられなくなったのだ」と悟りました。

 数日後、Bさんは家族が迎えに行き、正々堂々と家に帰りました。不当な裁判によるBさんへの1年6カ月にわたった共産党の陰謀は解体されました。

 Bさんが留置場から出てきた刹那、私は涙があふれ出しました。しかし、Bさんは私たちとは話をしませんでした。なぜならBさんは私たちのことを知らなかったからです。私は心の中で「師父のご恩に感謝いたします、師父のご恩に感謝いたします、師父のご恩に感謝いたします!」と念じました。

 Bさんが家に帰った後、私たちはもう一度Bさんの両親の家に行きました。Bさんの父親に会うと、私が「叔父さん、法輪大法は素晴らしい!」と言うと、叔父さんも目を一本の筋のように細め、素直に笑いながら「そして、真・善・忍は素晴らしい、でしょう!」と言いました。その生命は師父の偉大さと大法の奇跡に立ち会った後、心の底から感心しました!

 師父に感謝いたします! 合掌

 同修の皆さんに感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「劫難の後」

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/11/356198.html)
 
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