【慶祝513】西洋人青年弟子の修煉の素晴らしい経験
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文/ベネズエラの大法弟子

 【明慧日本2018年6月10日】私はベネズエラの大法弟子で、法輪大法を16年修煉しました。まだ14才の少年の時、私は幸運にも大法を知ることができました。その時、私にはイギリスのインターネット上の友人がいて、彼はチャットをする時、私に「www.falundafa.com」というホームページのリンクを送ってくれ、それから修煉の道に進むことになりました。

 彼は私に無料で法輪功を学べると教えてくれました。私はホームページを開いてから、自分が修煉を好きになったと感じました。私はすぐに煉功の動作を学び始めて、煉功する時、とても素晴らしいと感じました。

 その後、私は数日で『法輪功』という本を読み終えました。その時は夏休みだったため、私は一日中本を読みました。引き続き、私は『轉法輪を読み始め、数日間でこの本を読み終わりました。私は心底から、これは私が探していた本当の修煉だと感じました。煉功する時、私は言葉に表せない平穏を感じました。修煉中に、私は多くの大変奇妙な、信じ難いことを経験しました。

 私の家族は、気功について何も知りません。気功はベネズエラの文化と何の関係もないからです。長い間、私が煉功すると、家族は文句を言って、私の煉功を阻止しました。それでも、私はこっそり煉功しました。徐々に、家族は大法を修煉するのは、私にとって大変有益なことだと気づき、私のことを心配しなくなりました。

 徐々に家族は私の変化に気づきました。私は兄と争わなくなり、母が私のことを怒ったり叱ったりする時も、私は言い返しませんでした。法輪大法を修煉する前は、家族は私に「虎」というあだ名を付けていました。その時の私はいつも小さな事で争ったり、よく言葉で他の人を傷つけました。私はいつも学校で兄に迷惑を掛けました。私が他の友人に喧嘩を売ったり、私より年上の兄の友人と喧嘩する時、毎回兄が来て喧嘩を止めました。しかし、法輪大法を修煉してから、私は他の人と喧嘩をしなくなりました。母は、私が明らかに自分が不公平な場面になっても、がまんして、兄と喧嘩しない様になったことを不思議に思いました。母も私を庇うべきだと感じていました。私の穏やかで寛容な態度から、母は私に「ガンディー」というあだ名をつけました。

 我が国では、青春期の子供は学校で既に酒を飲んだり、タバコを吸ったり、異性と付き合ったりしています。家族や友人と酒を飲みながら楽しむのは、ベネズエラの風習です。私はよく友人や家族の集まりで酒を飲ませられました。人々は私に酒を飲ませようと根気よく勧めましたが、私は動揺せず一滴も飲まないようにしました。こんな小さいころに私は酒を飲まないことを決心しました。何故ならば、法輪大法が、酒は心性を乱して、理性を失わせると教えてくれたのです。また、私はアルコールの匂いがとても嫌いで、酒を飲むのは悪い習慣だと思っていました。私は、酒を飲まなくても、友人と楽しい時間を過ごせました。私は、友人と一緒にパーティーに参加する時、アルコールが人にもたす危険を感じました。友人は、誰がもっと飲めるか競争したりして、酔ってしまい、最後はとても危険なことになったりしました。また、酒を飲み過ぎて、健康を害しました。

 不幸なことに、私は独自で修煉していたので、大学入試が近づいてから、段々よい成績を取り、学業上での成功を望み、学業でとても忙しくなりました。大学の在学中、私は学業の成功を求めて、修煉を停止してしまいました。私は忙しさを理由にして、時間がある時のみ煉功し、法はたまにしか学びませんでした。私は成功のために、好成績に過度に執着して、大法から段々離れていきました。ついに、私は不安障害になり始め、成績も下がり始めました。私は異常に不安になり、ある時は教科書を開くことすらできず、教室にも入ることができませんでした。家族は私の異常に気づき始め、法輪大法を修煉し続けるように言いました。彼らは、法輪大法は、私を不安から救い、改めて穏やかな私に戻せると信じていました。

 ある時、私の家族の一人は非常に辛い状況に陥りました。私の兄は、「彼女(私の家族の一人)も法輪大法を修煉すべきだ、そうすると、彼女もそれ程緊張しないで、争わず、あなたのように心が穏やかになれる」と言いました。

 その時、私の殆どのクラスメートは良い成績を取得するために、学校でカンニングをしました。私は気づいた後、これは間違っていると思いました。私は、成績がどうなっても、彼らのようにカンニングをしないと決意しました。カンニングをすることは、法輪大法に求められている良い人になり、真を修め、誠実であり、他の人に善を持って接する等の法理に反するからです。

 大学の最後の1年、私にあるヨーロッパの会社に行って特別な研究プロジェクトを担当するチャンスがありました。私が担当したプロジェクトは、教授から最高点を貰いました。私の研究も賞を貰い、プロジェクトの責任者から称賛のコメントのある推薦の手紙をもらいました。彼は手紙に、私は仕事に対して情熱と奉仕に溢れ、全ての仕事に対して非常に努力していると述べていました。私は、これは全て私が法輪大法を修煉してから、得たものだと感じていました。大法は私に、誠実で、仕事に努力し、早く来て遅く帰り、仕事に対してベストを尽くすべきだと教えてくれました。

 その後、私は今の妻に出会いました。彼女には、厳格で伝統的な文化の背景があり、伝統の価値観を持っている国から来ました、彼女は、私は彼女と異なる文化の国で生まれたが、彼女は私のことをとても尊敬すると言いました。彼女は、私のように自由文化の環境で生まれた人が、どうしてこんなに厳格な道徳観と自己制御できるのか想像できないと言いました。私は、周囲の人と異なる価値観を持っていて、タバコと酒、学校でのカンニング、異性と不正な男女関係を持つ等さまざまな誘惑から離れることができていました。私は彼女に、これは全て法輪大法に感謝すべきで、大法を修煉しているため、私は自分の行動と価値観をコントロールすることができ、良くない習慣と行動に影響されず、正しい道を歩むことができると伝えました。

 卒業後、私はあるアメリカの会社に勤めました。私の優れた履歴から、上司は私が入社したことをとても喜んで、所属部門の社員に私のことを褒めました。私は入社した後すぐに、同じチームの数年間の仕事経験を持っている同僚が私に不可解な行動をとることに気づきました。私が質問する時、彼は答えなかったり、または私を無視しました。入社したばかりの新人の私は一生懸命に自分の能力で仕事に励むしかありませんでした。会社が学生を雇って、私達のチームに実習生を入れた時、私はいつも実習生と一緒に仕事をするように指示されました。私と実習生の間で意見が統一しなかった場合、その同僚はプロジェクトの成果に損を与える可能性がある時でも、私に実習生の意見に従うように指示しました。

 その年末、上司は私の年度評価に非常に低い点数を付けました、私がエンジニアとして実習生に頼りっぱなしで、プロジェクトに対しても十分な貢献をしていないということでした。私は上司に、私より上の同僚に実習生の計画通りに作業するように指示されていて、自分は彼の指示に従うしか方法がなかったと説明しましたが、上司は私の弁解を聞こうとしませんでした。その同僚は、会社に数年間在籍しており、私は新人に過ぎないので、彼の話は私の話より重みがありました。その間、私は極度の濡れ衣を着せられた感じと挫折感に包まれました。それは、このような状況は私の名誉を深く傷つけたのです。しかし、私はこのような怨みの心を取り除いて、法輪大法から学んだ基準に従い、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないことが分かっていました。私は心を放下して、引き続きベストを尽くして仕事をすることを決心しました。私はその同僚と争わず、トラブルも引き起こしませんでした。

 少し時間が立って私は他のチームに移動しました。私はこの時になって、アメリカでの仕事環境は競争がとても激しいことに気づきました。私と年の近い人は違法な薬を使って、仕事の効率をあげて、早い昇進と昇給を得ようとしました。同じチームの同僚は、効率をあげるためには、このような薬が良いと勧めてくれました。私は違和感を感じました、私の同僚はこのような薬を飲み、私より優秀になり、私は上司の前で不器用と見られてしまいました。しかし、私は如何なる場合でも、薬に頼らず、自分の力でまじめに仕事に取り組むと決心しました。法輪大法は、私に誠実で、仕事に正念があって、騙すことばかり考えるのではなく、自然に任すように教えてくれました。

 このような薬は人を情緒不安定にさせる副作用があります。私の同僚は、不安になりやすくなり、毎回彼と話すとき、私は怒られていました。彼は、いつも私に対する態度が悪く、上司の前で私を屈辱しました。大法は、私に人と争わないように教えてくれました。私の心の中では彼を許していて、彼とは争いませんでした。彼らが私にどんな態度をとっても、私は忍びました。師父が『轉法輪』で説かれた韓信のように、街で人に大きく辱められても、彼は屈辱を忍んで、剣を手にしなかったのです。

 私は私がチーム内で唯一の昇進のチャンスを与えて貰えなかった人間であることを知り、とても落ち込みました。しかし、私は師父が『轉法輪』で説かれた、人の一生は決められているのを思い出して、私は引き続き仕事にベストをつくし、このようなことが私に影響を及ぼさないようにしました。心の中では、時々落ち込んで、何故私にこんなことが起きたのか理解できない時がありました。

 私は、仕事を始めてから、多くの時間をかけて、面接時のノウハウを勉強しました。私があんなに長い時間をかけて準備したにも関わらず、私は各社のベストの選択の1人であるにも関わらず、私はずっと仕事のオファーを得ることができませんでした。就職の面接の経験は、私を非常に不安にさせて、私はたくさんのことをあきらめて勉強して、仕事を見つけることができるのかずっと心配していました。私は、安心してご飯も食べられないし、まともに眠れなかったので、私の健康にも影響を与えてしまいました。

 私はやっと会社、学校、面接時に何故あれ程の困難にぶつかったの分かるようになりました。それは、私が名、利に対して、強烈な執着心を持っていたからです。私は、このような執着心を取り除いて、静かに暮らそうと決めました。仕事は私の生活の一部分で、まるで私が家庭の面倒を見ることと同じです。私は、世間の人に大法が迫害されている真相を伝え、他の人を手伝って、常に法を学び、煉功したいと思いました。私がこのようにした後、言葉に表せないリラックスを感じました。私の不安の心はいつのまにか消え、静かな生活を送ることができました。名利のために憂鬱にならず、毎日ベストを尽くして仕事をすることで十分だと分かるようになり、私の責任を果たして、他人へ思いやりを持つようにしました。私はこのようにした結果、自分に必要な物を手に入れることができて、生活も快適になりました。

 まもなく、私に新しいチームに移動するチャンスが現れました。新しいチームでは、すべての人が新しいスキルを新たに学ぶ必要があり、またその新しいスキルを持っている人がいなかったため、移動を決めました。最終的に、元のチームも再編成されて、4人が新しいチームに移動しました。元のチームが担当したプロジェクトは他のチームに割り当てられ、以前と同じ数のチームメンバーを維持する十分な予算がなかったためです。

 私が新しいチームで仕事を始めてすぐ、私のチームメイトは私の高いパフォーマンスに気づきました。彼らは私の貢献に感銘を受けるとともに、私のように仕事に献身的な人が何故昇進できなかったのか不思議に思いました。彼らに新しい上司に昇進の交渉をするように言われました。それは、私がもっと上の職務に相応しいと思ったからです。しかし、私は師父が『轉法輪』で説かれたように、自然に任すべきだと思いました。私は自分の責任を果たして、他の人に対して思いやりがあり、より多くの責任を引き受けるべきだと考えていました。私が、私達のチームを成功に導くことができれば、チームメイトはプロジェクトの未來を心配する必要が無くなります。

 私のチームメイトは私の仕事に対して、ポジティブな評価をくれました、彼らは、私が他の経験の豊富なエンジニアも難しく感じ、触れたくない問題を解決できることに驚きました。私は彼らからの評価を聞く時、これは私が顕示心、独りよがりの執着心を取り除くことが出来るかどうかの試練だと理解して、常に謙虚な姿勢を保つべきだと考えました。何故ならば、これは全て法輪大法が私に難題を解決できる能力を与えてくれたことだと知っていたためです。私は今まで通りに、毎日真面目に仕事に取り組みました。

 仕事と勉強中、他の人は音楽または薬で集中力を保っていました。しかし、私は大法弟子なので、自分の力で心を落ち着かせ、仕事に集中することができるので、他のものに頼る必要はありませんでした。

 ある日、私は妻を連れて、都会に行って、医者に見てもらうことになり、車を3時間運転することになりました。あいにく、私たちは遅刻する可能性が出ました。15分以上遅刻すると予約はキャンセルされると告げられました。時間がたつとともに、私たちは緊張する一方で、やがて道に迷ってしまい、病院を見つけることができませんでした。妻はやがて我慢できず、怒り始めました。彼女は、私に大声で叫んだり、侮辱したり、また全身の力を使って、私を叩きました。私は冷静を保ち、彼女に心配しないでと慰めました。私は、自分が時間通りに病院に辿りつけると信じていました。私はずっと冷静を保ち、ちっとも怒らず、できるだけ早く病院に辿り着ける道を探すことに集中しました。結果的に、私達は無事病院に着いて、医者に診て貰うことができました。その日の夜、妻は泣きながら、自分の悪い態度の中で、あなたがあんなに冷静になるのを見たことがなく、不思議だと言いました。彼女の悪い態度に対して、私は大声を出さず、とげとげしい言葉を口にせず、ちっとも不愉快な表情を現しませんでした。彼女は謝まりましたが、私は大丈夫だと言いました。これは全て法輪大法に感謝すべで、大法を修煉したからこそ、完全な穏やかさと、少しもマイナスの考えを持たなかったのだと伝えました。大法がなかったら、私はできませんでした。

 この数年間私は独自で修煉してきて、グループの修煉の環境がなかったので、私の修煉の進み具合はとてもゆっくりしていました。私は大法弟子のいない町に住んでいますが、グループ修煉の環境を作ろうと決めました。私は、私と状況が類似している同修と連絡をとり、毎日インターネットを通じて、法を学び、煉功しました。私達はお互いに励まし、一緒に向上して、お互いの修煉の体験を話し合いました。

 グループの修煉環境を得た後、私は自分の修煉の状態が明らかに向上していることに気づきました。私の行動はますます大法に同化し、私の次元も徐々に向上しました。私はネットサーフィンに無駄な時間を費やさなくなり、エネルギーにずっと包まれていました。私は体が軽いと感じ、落ち着きと穏やかさを感じました。体力が増したことに伴い、仕事、学法、煉功、発正念、自分の専業分野のスキルの向上以外にも、私は妻を手伝って家事もやり、彼女の勉強も指導しました。私は何故早くグループの環境で修煉しなかったかとても後悔しました。グループの環境で修煉したら、私の修煉はもっと早く向したはずです。

 法輪大法は私を徹底的に変えてくれ、多くの福をもたらしてくれました。私を、性格の乱暴な問題のある少年から、名利に執着し過ぎる人間から、平静で、親しみやすく、エネルギーと穏やかさに満ち、他の人に思いやりのある誠実な人間に変えてくれた大法に感謝します。師父! 私は言葉では自分の感謝の気持ちを伝えることができません。法輪大法を世界中に広めてくださったことに感謝致します。師父の祝福と無限の慈悲に感謝致します。

 (明慧ネット2018年世界法輪大法デー祝賀のための修煉文の募集より)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/15/365038.html)
 
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