良い人には幸運が付く
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文/純浄

 【明慧日本2018年8月11日】私は田舎の教師で、長年数学を教えました。修煉する前の自分は仕事が大変忙しくて、特にテストの時期になるとさらに心身ともに疲労し、中間テストが終わるたびに風邪をひき、いつも点滴を5~6本打たないと治りませんでした。

 1994年の春に、例会の後、校長先生は法輪功を修煉する同僚の2人に、法輪功を皆さんに紹介するよう頼みました。彼らは「法輪功は真・善・忍に基づき、物事や人に接し、同時に五式の功法を煉り、人の道徳を高め心身ともに健康になります」と紹介しました。私は心から憧れましたが、学校に住宅がないため修煉に入りませんでした。その後、彼らと仕事で接してみたら、とても人柄がよく、たばこもお酒も賭博ゲームも、下品な言葉も使わないし、仕事上でも協力しやすく、相手に無理をさせず、誰に対しても同じ態度で、威張らず、陰口を言わず、いつも親切で人を助けるなど、彼らと一緒に仕事をする時はとても気が楽でした。

 1994年の秋、クラス担当になった私は学校の宿舎に住宅をもらいました。朝生徒たちとラジオ体操した後、朝自習のない先生たちは宿舎隣の空き地で煉功をしますので、私もついて法輪功を始めました。仕事は相変わらず忙しくて大変ですが、修煉してから私は真・善・忍に従い、性格も穏やかになり、昔のようにテストの後に病気になることもなく、今までのように薬を飲むこともなくなり、若い同僚たちにも羨ましいと言われました。

 1999年7月20日から江沢民集団は狂気じみに法輪功を迫害し、天地を覆い隠すような嘘をつきましたが、『轉法輪』を読んだことのある人ならみんな知っているはずで、「修煉者は殺生が禁じられ、自殺も罪であり、テレビのいう『焼身』、『自殺』、『殺人』などの嘘は修煉者を迷わせることができませんでした。しかし共産党の連座政策にプレッシャーを感じ、家族にも恐怖がありました。私は真剣に考えて、「真・善・忍は最も正しい理であり、修煉は最も厳かなことだ! 犬儒になりたくない、正しいことをやり遂げるべきだ」と思い、師父のご加持の下で私はしっかり歩んできました。そして私自身、私の家族、私の教え子まで大法から益することが多く、大法の福に報われました。その中からいくつかの事例を挙げ、善良な人々と喜びを分かち合いたいと思います。

 一、1.5人の教師

 法輪功を修煉してから知恵が開き、頭の回転もよくなり、教育の指導力が著しく高くなったのを感じました。授業の中で問題があったらすぐにヒントを得て解決できます。私が作った教具や教育用コンテンツは抽象的な知識を形象化して授業を楽しくさせました。数学の授業の難点について突破口を探り出し、難しい内容を分かりやすく表現して生徒らにその中の規律を把握させました。私の担当クラスの数学の成績はいつもほかのクラスより大幅に高いため、以後、普通のクラスではなく、基本的にコンテストクラスのみ担当させられました。

 学校側の公開授業で私の授業はほとんどモデル授業になっています。あるとき全校学年別に若手教師の評定活動が行われました。練習試合では私の組の若手教師の状況が不調でした。学年主任はとても焦り、組長の私に手伝ってほしいと言いましたので、私はこの先生と一緒にやり直しました。改めて講義から教育用コンテンツなどまで私の提案やアイディアをそのまま受け入れた彼は、コンテストで一等賞をもらいました。後に彼は事務所ですべての同僚の前で、私のアイディアはもちろん、特に私の人柄にとても敬服したと言いました。

 あるとき教育を担当する教育長が我が校に公開授業の視察に来ました。他の先生(授業担当の校長先生を含む)の授業を聞いて、誰も満足しない様子で、陰で先生たちは、「この教育長自身が授業をやったことがなく、机上の空論ばかりではないか?」と不満を漏らしました。次に私の授業を聞いて「この先生の授業は一種の享楽だ」と評価してくれました。その後、全校教師会議を開き、教育長は会議で「この学校の教師は1・5人しかいない」と言いました。その1人は私をさし、あとの0・5人はある男性教師のことで、校長先生も教師として評価されませんでした。

 二、2人の特等賞

 前世紀の90年代から市の教育局では小学生の全国数学オリンピックコンテストをとても重視するようになり、その結果は各市立学校及び田舎の教育組に対する評価となります。市立小学校と田舎の中心校はみんな3年生の中から選んで、4年生になったら数学オリンピッククラスを立ち上げ、テキストと同時に専門のトレーニングをし、6年生になってコンテストに参加する頃には、かなりの実力と習慣を身に付けることができ、指導する先生も一定の経験を積むことになり、成績が出るのも当たり前になります。

 私が所属する田舎の教育組は最初あまり推進しませんでしたが、後になり重視し始めました。1998年秋に各学校の5年生からテストを経て生徒を選び、6年生になって数学オリンピッククラスを設立し、私が数学担任とコンテスト指導教員を任されました。私は困りました。ほかの学校では4年生からクラスを立ち上げるのに対して、我が校では6年生からなので、遅すぎるスタートに、自分はコンテスト指導経験も指導用資料もないので学校側に事情を言いましたが、辞めることができませんでした。そこで自分は修煉者として仕事に協力し、受け入れるべきだと自覚しました。

 小6の数学オリンピッククラスは数学の授業を中心に、特に1999年春学期の数カ月の間は私一人で生徒の授業、指導、管理を担うことになりました。その過程で私は自然に真・善・忍の基準で自分と生徒を律しました。たまに怠けてカンニングをする生徒もいたので、彼らに良い学生は「真」を守り、着実に努力し、嘘偽りを言わない。またトラブルが起きた場合には「善と忍」を教え、相手方を悪意だと思わずやさしい思いやりで人に接すべきだと教えます。テストの前に生徒がプレッシャーや緊張を感じる時には、テストはただの場所を変えた宿題だと思い、学生としてやるべき宿題を真面目にやり遂げ、それ以外のことは自然に任せて、名誉や順位などを気にしないようにと教えました。

 子供たちの本性は善良であり、自分たちのために先生が全力を尽くすことも理解でき、真剣に先生の教えを聞き、勉強で互いに助け合い、差別せず、見せびらかさず、見栄えを張らず、真面目に授業を受け、休み時間には黒板を拭いたり教具を片づけたりして先生を手伝い、テストの時、監督の先生がいなくても心配がなく、成績が落ちた時には自分の足りないところを探すなどしました。ある日ある男子生徒が私に「学校が休みの時、家で近所の畑にあった竹の棒を折ってしまったとか、夜の自習時間のあと、中学校の同級生たちは外で遊んだりしていたが、自分たちは静かにベッドに座って明かりを消すまで当日の授業を復習した」と言ってくれました。

 数学オリンピックコンテスト前夜の自習時間で、私は生徒らをリラックスさせ、大法を広める写真を見せ、『轉法輪』の後ろの付録に書いてある師父の伝記を読ませました。30人の学生たちは「法輪大法は素晴らしい」を心に入れて、99年4月に行われた全国小学生数学オリンピックコンテストに参加しました。

 成績が発表されると、2人が満点で全国小学生数学オリンピックコンテスト特等賞を獲得し、10人が全国小学生数学オリンピッコンテスト一等賞を獲得し、10人が二等賞を獲得し、5人が三等賞を獲得しました。99年の夏休みに、特等賞の2人は北京に行って全国小学生数学オリンピックサマーキャンプに参加するなど、このような成績は田舎の学校では初めてのことで、数学オリンピック名門校をも超え、私のいる地域で美談になりました。

 大法を修煉したからこそ、私に毎日8時間の授業に耐える体力を与えられ、大法を修煉したからこそ、私に独自に問題の選択、制作、授業、検閲、補導、それに生徒の管理などの能力を与えられると同時に生徒たちも法輪大法を認め、真・善・忍に従って言動するからこそ、知恵が開かれて、このようないい成績を取ることができたと、私は深く信じています。

 三、息子の幸運

 高校試験の前に、息子は先生に理想の「一中」に志願するのはリスクがあると言われました。ライン外の生徒が一中に入ろうとすれば、たくさんのお金が必要です。高校試験の成績が発表され、息子の成績は513点で、先生が予測した一中のラインより低かったのです。私は息子に、「5月13日は世界法輪大法デーだ。あなたは大法が素晴らしいと信じており、点数もちょうど513点だ。一中は大法弟子からお金を多く取ることはない」と言いました。結局一中のラインが発表され、息子の成績はそれより9点も高かったのです。

 高校1年の時70人余りのクラスで成績が中ぐらいだった息子は、勉強を怠けたために末尾までに落ちてしまいました。高校3年生の下半期から頑張り始め大きく進歩しましたが、大学入試の前に先生から「上位の大学は難しいので普通の大学を確保した方がいい」と言われました。大学入試前に息子は自ら先生に青年団と少年隊など共産党の無神論組織から脱退する希望を許可され、担任の先生から青年団の保存書類まで撤回しました。試験の時には「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書かれたお守りを身に付けた息子は、成績の発表結果では理想の上位大学のラインを超え合格しました。先生の話によると「クラスの中で息子の飛躍が一番大きく、運が一番良かった」と言われました。

 現在息子は大手外資系企業に勤め、報酬も比較的高いし、またよく外国に勉強や仕事する機会があります。親友からみんな「息子は学生時代から就職するまでずっと幸運だった!」と言われました。

 四、夫の奇跡

 江沢民集団が法輪功を迫害してから夫も大きな圧力を受けました。しかし大法を修煉してから私が健康になり、性格も穏やかになり、夫の一家にも優しく接し、夫の欠点にも寛容になり、それに仕事での知恵などを目にした夫は、だんだんに大法を認めるようになり、私の修煉を支持し、そして自分自身も大法の福に報われました。

 夫はお酒が好きで、あるときお酒を飲んだ後バイクに乗り、バイクごと転落しました。病院へ搬送され検査した結果、肋骨が数本折れ、肺に出血がありましたので、すぐに溜まった血を排出する必要がありました。腰の両側から穴を開け2壺ぐらい排出しました。同僚が事故現場にいって見たら、すぐそばに大きな石が何個もあったので、ぶつかったら大変なことになった違いない、仙人のお守りにほかならないと言いました。その後順調に回復した夫を見てみんな奇跡だと感じました。今、夫は新しい仕事に就き、環境も待遇もよく、しかも本人が好きな仕事です。夫は幸運をもたらした大法のお守りを職場に飾りました。

 法輪大法は佛法であり、大法弟子は佛法の修煉者です。私は自分自身と家族が師父に守られていることに感謝しています。また善良な人々が、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を認め、私たちのように良い人には幸運が付き、明るい未来と人生があるように希望します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/7/370720.html)
 
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