文/台湾の大法弟子
【明慧日本2018年8月24日】師父は「借りがあれば、返さなければいけないのですから、修煉の途中で危険に出会うことはあります。しかし、そういうことが起こった時でも、あなたを恐怖に陥れ、あるいは本当の危険に遭遇させるようなことはありません」 [1]と説かれました。最近、私は交通事故を起こし、師父がおっしゃったこの法を、身を持って体験しました。
2018年7月12日の朝、私は1人で車を運転して高雄市から屏東県の実家の両親に会いに行きました。帰りは午後1時頃でした。屏東県里港郷の隘寮溪堤防を通った時、私の前をブルドーザーを載せた中型トラックが、私と同じ方向に向かって走行しているのが見えました。当時、私は時速60~70キロで走っていたため、すぐにトラックに追いつきました。ある交差点の前に来た時、私は車を車道の左側に寄せ、スピートを上げてトラックを追い越そうとしました。しかし、その時、トラックも突然左折し、車は完全に私の前を横切って来ました。私はブレーキを踏むのが間に合わず、本能的にハンドルを右に切りました。しかし、やはり避け切れずにトラックの後部に衝突しました。私の車のフロント部分は完全に潰れ、エンジンルームからは白い煙が上がり、焦げた匂いがして、助手席のエアバッグも開き、物が散乱して車内はメチャクチャになりました。
よく考えてみれば、これだけのスピードでトラックに衝突したのですから衝撃は相当大きいはずですが、しかし、私はあまり衝撃を感じず、両手は依然としてハンドルを握ったままで、しっかりと運転席に座っていました。私はとても落ち着いていて、驚きも恐れも感じませんでした。さらに不思議なのは、運転席のエアバッグが開かなかったにもかかわらず、私の体には傷一つありませんでした。私はエンジンを切り、落ち着いてドアを開け、車から降りました。その時、とても不思議に思い、師父が私を守ってくださったことが分かりました。私は心の中で師父に感謝いたしました。
トラックの運転手は私が無事に車から出てきたのを見て、非常に驚いていました。彼はすぐに警察に通報し、救急車も数分後には到着しました。私はレスキュー隊員に「私は大丈夫です。医者にかかる必要はありません」と言いました。しかし、その後に揉め事が起きないように、彼らは私に自ら病院に行かないことを書類に書き留めるよう求めました。警察も法に基づいて事故処理をしました。その後、私達はそれぞれ事故現場から離れて行きました。
よく考えてみると、これだけの速度でトラックと衝突したら、死に至らないにしても、普通は怪我を負っていたかも知れません。しかし、私は全くの無傷でした! 弟子を守ってくださった師父に感謝いたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』