文╱中国の大法弟子の妻 口述、同修 整理
【明慧日本2017年7月2日】夫は法輪功を修煉したため、不当に6年余り拘禁されました。その期間、私は数え切れないほどの苦難をなめ、目がつぶれるほど泣きました。6年間、私は肉を一度も口にしたことがありません。他の家族が食卓を囲んで一家団欒を楽しむ時、私は一人ぼっちで涙を流しました。私のことを、伝統的な美徳があり、一度嫁いだら生涯再婚をしない人と褒めてくれる人もいれば、1人でひたすら夫を待ち続けることは理解出来ないと言う人もいました。きょう、皆さんに私の本音を話します。
夫は21歳の時、私達が結婚してまもない頃、工場の現場事故で、機械に腕を巻き込まれ、数カ所骨が折れ、手も潰れました。彼は死ななくても障害者になるだろうと誰もが思いました。市内の接骨病院で緊急措置をしましたが、専門家に、化膿や感染を防ぐため、腕を切断したほうがよいと診断されました。当時、夫の家族は皆驚いて腰を抜かし、若い私は障害者になる彼と別かれるだろうと思っていました。私は泣きながら、「彼が障害者になっても、一生かけて彼の面倒をみる」と言い、跪いて医者に「なんとか彼の腕を残してあげてください。彼はまだ若いから、形だけでもいいから、腕を切断しないでください」とお願いしました。私の行動に感動した医者は家族に腕を切断しない場合の危険性を話してくれました。しかし、私は保守的な治療法を強く主張しました。結局6時間にわたる手術の結果、夫の腕は奇跡的に助かりました。
ところが、この魔難を経た夫はその後性格がおかしくなり、凶暴になり、口を開くと人を罵り、時には自分も意識していないほどでした。そして、悪習を覚え、タバコは1日数箱を吸ってももの足らず、時にはもっと強い刻みたばこを吸わなければなりませんでした。さらに、酒に溺れ、茶碗一杯の酒を一気に飲み干してしまい、酔うまで飲んで暴れるのです。一回お酒を飲んだ後、工場で人と喧嘩し、職場の一人一人に暴言を吐き、課長から工場長まで怒鳴りまくりました。
また一度、彼は職場で、素手で連続して42枚のガラスを割って、手が血だらけになりました。彼は警備室の布団と枕を外に投げ出し、事務室の電話を川に投げ落し、従業員3人でも彼を押さえられませんでした。職場では、誰も彼を相手にせず、みな彼を避けていました。そして、工場のものは何でも家に持ち帰って、家で使えないものは売って換金しました。
彼は賭博に手を染めました。トランプ、マージャン、大きな賭け、小さな賭けを何でもやり、そして、賭博にハマりすぎて、全く理性を失い、いつも負けるばかりでした。私は三輪車に乗って野菜を売りさばき、稼いだ金はほとんど夫のギャンブルの借金返済に使いました。一度私は賭博場に行って、彼を家に連れて帰ろうとしましたが、家に帰った彼は大暴れして、メンツを立ててくれなかったと怒鳴り、そして、窓やドアを全部閉めて、私をボコボコに殴りました。親族は騒ぎを聞いて、喧嘩を止めに来ましたが、彼はどうしてもドアを開けませんでした。私の体はあざだらけで真っ黒になりました。夫はビリヤードにも夢中になり、よく深夜まで遊びました。そばに置いてある自分の自転車が盗まれてもまったく気付かないほど夢中でした。当時、私は貧しさと暴力と恐怖の中で、毎日怯えながら生活していました。
1998年の秋のある夕方、夫は家の帰りに、誰かの家でビデオを流していると聞いて、内容も分からず、見に行きました。そこに着いて、はじめてそれは大法の師父の説法ビデオだと分かりました。夫は一講を聞いてから、家に帰って夕飯を食べ、すぐに煉功に行きました。
不思議なことに、翌日、夫はまったく別人のようになりました。もともと学校にあまり通わず、本を読むのが大嫌いな彼は、その日から、毎日『轉法輪』を手にして読むようになり、読めない字があれば、辞書で調べ、そして、とても感激して「僕はやっと師父に出会った。李洪志師父は人間か神かは関係なく、僕は最後まで修め遂げる」と言いました。
法輪功を学んだ夫は「失と得」の関係が分かり、今まで自分が大きな業を作ったことが分かり、心を入れ替えて、新たな人生を出発しようとしました。しかし、彼のことをよく知っている同僚は、「彼が良い人になるなら、誰でも良い人になれるよ」と冷ややかな口調で言いました。
しかし、夫は本当に変わりました。タバコ、酒、賭博、悪い癖を全部止めました。彼は村人を熱心に助け、家の事も手伝い、私達の夫婦関係も改善され、生活が日に日に良くなりました。私は大法にとても感謝しました。大法と大法の師父は夫を救ってくださったのです。さもなければ、彼はどこまで落ちぶれるか考えても怖いものでした。そして、私の家は学法と煉功の拠点になりました。
夫が法を学んで間もない頃、職場でこのようなことが起きました。ある日、夜勤の時、寧課長が夜の職場点検をして、夫は寧課長に挨拶したのに、翌朝、夫は夜の職場にいなかったと言われ、欠勤として処理され、罰金を取られることになりました。夫はすぐに寧課長のところに行って、12人の労働者の前で「なぜ嘘を言うのか、あなたは人間としてそれでいいのか」と問いただしました。寧課長は「メンツを潰された」と思い、立ち上がって夫に平手打ちをしました。打たれた夫は目から火花が飛びました。その場に居合わせた人は皆「これは大変なことになる」と思ったそうですが、しかし、その瞬間、夫は冷静さを取り戻し、大法の師父がおっしゃった「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」とのお言葉を思い出し、すぐに自分の気持ちを抑え、落ち着いて、「寧課長、すみませんでした。僕はそのような態度で言うべきではなかった。本当に済みませんでした。僕は間違えました」と謝ったのです。
夫の言葉に皆が驚きました。彼らは皆夫の性格をよく知っており、「彼はこのような侮辱に耐えられるはずがない。しかも本当に無実なのに」と思っていました。しかし、騒ぎはこうして収まりました。その後、他の人は夫に「あなたはよく耐えたね。しかもその場で謝ることが出来るなんで、本当に凄い。大法はあなたを変えたね」と言いました。
1999年7月20日、中国共産党は法輪功を迫害し始めました。工場長は夫に煉功しないと保証書に署名をさせようとしました。サインしなければ、帰宅は許されず、夫はずっと工場に軟禁され、24時間監視されました。数日後、私も工場まで呼ばれました。怖くなった私は、夫に跪いて説得しました。二十数日後、夫はやっと解放されました。
2000年9月、夫は「法輪大法は素晴らしい」のポスターを貼ったため、連行されました。国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官は電気棒で順番に彼に電気ショックを与え、連続して8時間の暴行を加えました。最後に、夫は倒れて意識を失いました。彼は不当に3カ月も拘禁されました。その期間中、国保大隊の警官は度々我が家に来て、大法のものがもうないかと聞き、離婚するようにと迫りました。私はあまりにも怖くなって、家には住めなくなり、親戚の家に避難しました。2008年のオリンピックの前に、夫は再び連行され、不当に7年の刑を科されました。その間、私はアルバイトをしながら生活費を稼ぎ、そして、家と刑務所の間を奔走しました。一人ぼっちになった私は、いつも泣き崩れ、本当に様々な苦しみに苛まれました。
夫は刑に科せられた当初、村の人々は皆、私がきっと再婚するだろうと噂しました。しかし、私は心の中では、「法輪大法は素晴らしい」、「法輪大法が夫を変えてくださり、彼を良い人にしてくださった」、「江沢民の迫害政策が間違っている」、「夫は無実だ」とはっきり分かっていました。彼が災難に遭った時に、私は彼から離れることは出来ません、彼をこれ以上苦しめるようなことをしてはいけないと心の中で決めました。私の優しい心と守り抜く姿勢に村人は心を打たれ、そして、村人も私のことを理解するようになり、助けてくれるようになりました。村に不公平に扱われた時、村人は皆進んで署名し、私たちに対する不公平な行為を非難しました。
夫は刑務所から出てきたあと、洗濯から食事の準備、部屋の片づけまで、何でもやってくれました。村人も「ほら、あの人(夫の名前)を見てよ、6年間刑務所に入ったようにはとても見えません。とても健康そうじゃないか」と言いました。夫は今、とても健康で、体がシャキっとして、他の人がまだ厚着をしている時でも、彼はすでに半袖を着ていて、そして、20年近く薬を飲んでいません。健康はいくらお金をかけても買えないものです。
大法の師父に感謝いたします。大法は悪習いっぱいの夫を穏やかで、温厚で優しくて、自慢できる良い人に変えてくださいました。そして、苦難の中で私を助けてくださったすべての正義のある人々に感謝いたします。