文/中国の大法弟子 小金豆
【明慧日本2018年9月11日】「慈悲」という言葉は、有道(ゆうどう・正しい道にかなった行いをすること)に修煉する人のために用いています。最も頻繁に聞いているのは、「大慈大悲の観世音菩薩」、「佛祖の無量の慈悲」などの言葉です。慈悲は一種の修煉の行為であり、一種の無私の境界であり、日常生活の中で、一つ一つの出来事から磨かれてきたことです。慈悲に至るまで向上しなければなりませんが、焦っても求められず、凡人が短期間で即成できるようなものではありません。
善は慈悲の一つの現れであり、苦難の中で暮らしている人々に対する憐憫(れんびん・ふびんに思うこと)です。悪を行う者が悪報を受けるという忠告と感嘆です。善良な人に対する眷恋(けんれん・懐かしむ、心引かれること)などなどです。慈悲の中に真誠が表れ、心の底から起きた純真しか人の心を感動させることができず、人を教化(人を教え、よい影響を与えて善に導くこと)することができません。慈悲の中には、おおらかな胸襟があり、同時に障碍に直面しても怒りをあらわに出さないことでもあります。感情の機微に触れても偏見を持たず、万物を容納できる堂々たるものです。それによって、慈悲の中に真があり、善があり、忍もあります。逆から言えば、真・善・忍により慈悲を修煉することができます。
ミラレパ佛のある修煉物語が世人に啓示を残しました。ミラレパ佛は護馬白崖窟で修行中、ある日、一群の狩人(かりゅうど)らが猟犬を連れてやって来ました。狩りをしたとき何も捕(と)れませんでしたので、たまたまミラレパが修行していた洞穴の前に来ました。皆はミラレパを見たて驚きながら、「あなたは人間ですか? それとも鬼ですか? 何故そのように全身、緑色になっていますか?」と叫びました。
ミラレパは、「私は人間です、蕁麻(いらくさ・刺草とも書く)を食べ過ぎましたので、この様な姿になってしまいました」と答えました。
「あなたの修行用の食料はどこにありますか? 食料を貸してください。後日、お金を支払います。もし貸してもらえなければ、あなたを殺しますよ!」と狩人は洞穴の中のあちこちを探しながら、脅かしました。
「私は蕁麻以外に食料は何もありません。仮に持っていたとしても隠したりしません。ここでは修行者への食料を供給する者が誰もおらず、修行者の食料を奪う者は誰もいないと信じています!」とミラレパは言いました。
狩人の1人が「修行者を供養すると、良いことがありますか?」と聞くと、「修行者を供養すると、福報を得られますよ!」とミラレパは言いました。
狩人達は笑いながら「よし! よし! 今からあなたを供養しよう!」と言って、ミラレパを持ち上げて、地面に投げつけました。また持ち上げては下し、また投げつけました。このように繰り返したので、貧弱なミラレパの体は耐えきれず、苦しそうでした。彼らはこのようにミラレパを侮辱しましたが、ミラレパは心から彼らを不憫に思い、慈悲の心が起きて涙が止まりませんでした。
もう1人そばに座って、ミラレパを侮辱しなかった狩人がいました。その狩人は「もう、こんなことはやめてください! 彼は本当に苦行している修行者ですよ。もし彼が修行者でなくても、このような弱い者いじめをすると、きっとあなたは称賛されませんよ! しかも、我々は彼のせいでお腹が空いているわけではありません。このような道理がないことは早くやめるべきです!」と言って、ミラレパに「ヨガ修行者ですね! 私はあなたを心から尊敬し、侮辱していません。どうか私を守ってください」と言いました。あのミラレパを侮辱した他の狩人達は「我々もきちんとあなたを供養したので、守ってもらおうか!」と言って、バカにして笑いしました。
すべての過程で、ミラレパはあの3人の者達に対して、報いがあるようにと何も呪いをかけませんでした。逆に、ミラレパは他人に嘲笑され、侮辱されても、慈悲心がわき、その者達を不憫に思いました。なんと心の広い方なんでしょうか! しかしその後、最終的にあの3人は報いを受け、これらの良くない所業で、狩人達は死罪になりました。あの「ミラレパをいじめないで」とかばった狩人以外の他の者達は、すべて重い処罰を受けました。
このことから修行者を侮辱する者は、最終的に報いを受け自分を害することになります。善念を持ち善に従い悪を取り除き、善意を持って悪意を取り除き、衝動的な行為をせず、真に自分のためにも、他人のためにも善い行いをすれば、善報を得ます。それに対し、慈悲とは他人により良く対処することから生じた善行のことではなく、慈悲とは自分以外の他者を慈しみ、情けをかけ、思いやる一種の寛大な愛であり、永遠なものです。もちろん、慈悲の奥深さは、私達のような凡人が理解できるようなことではありません。しかし、私は「親愛なる友人達よ、慈悲について、あなたはどれだけ理解していますか? あなたはどれくらい大きな慈悲の心をもって、事に対処できますか?」とお尋ねしたいのです。