文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年10月6日】
大法のおかげで頑固な病気が治った
私は10代の頃から頑固な皮膚病を患い、いろんな病院や専門家、漢方や民間の処方まで試しましたが、どれも効果がなく、20代になるとさらにひどくなり、特に顔に集中しているので、人に見られるのが怖かったのです。きれいになりたい年頃なので、毎年たくさんのお金をかけてあちこちを廻って治療しましたが、良くなったり悪くなったりで完治できませんでした。1987年に結婚しましたが、新婚生活もうまくいかず、夫は姑と私の間に挟まれ、時には暴力も振るうような生活を10年も過ごし、私は悲しみや恨みでいっぱいで、苦しかったのです。
1997年8月、幸運にも私は法輪大法に出会いました。初めて『轉法輪』を読んだ時のことを今でも覚えていますが、一気に読み終えました。このような素晴らしい本を初めて読み、その中からいかに人間になるか、いかに良い人間になるか、さらにいかに超常的な良い人間になるかを知り、どんな時でも人のことを先に考え、包容力をもって優しく接するなど。今まで知りたかったことがたくさん分かり、五式の功法も習いました。
大法を得る前の私は共産党の教育を受け、何も信じる事が出来ない無神論者でしたが、『轉法輪』を読んで、法輪功は性命双修の功法で、佛法の修煉だと理解できました。それから奇跡的な変化が現れ、毎日が楽しくなり、仕事や家事以外の時間に学法や煉功をし、心性がどんどん高くなりました。
修煉してから1カ月もたたないうちに、私の皮膚病は完全に消え、20年過ぎましたが、治療のためにお金を使ったこともなく、健康になりました。大法の修煉で姑との関係も改善され、縁があって家族になったのは、恩返しか、借りを返すためだと分かりました。修煉者としてはどこにいても良い人でなければならず、誰に対してもやさしく、まして自分と縁のある家族は尚更です。私は大法の高い基準で自分を律し、姑のことをよく考えるようになりましたので、姑にも笑顔が現れ、夫も明るくなりました。たまに法輪功がよくないと言う人がいると、姑は必ずその人に声をかけ、嫁の私に起きた大きな変化から法輪功こそ最も素晴らしい功法だと説明しました。
私が法を得た当初、息子はまだ9歳でした。私は常に大法の法理で息子を教育し、正直な人間になり、トラブルに遭った時には忍耐する事などを教えました。1年生から高校までずっと生徒会の委員になり、大学時代も優秀でした。大学を卒業して民間の大手企業に就職した息子は人柄が評価され、経営者にも信頼されています。
夫と息子はまだ修煉していませんが、『轉法輪』を読んだことがあり、法輪大法が正法であることを信じています。私が怠けで煉功しなければ、2人はいつも私に学法と煉功をするよう促します。現在我が家の生活は充実していて、毎日が楽しいです。
名利と嫉妬の心を取り除く
2015年12月、新しい不動産会社に採用された私の職務はカスタマーサービスマネージャーで、報酬は3000元余りです。今までより待遇が良いので、この仕事をとても大切にしました。ところが3カ月後、もう1人の業務マネージャーが募集されて来て、自分の身内を使うようになり、間もなく私を追い払おうとして、経営者に私が年をとってパソコンが遅いなどと陰口を言いました。2016年9月に会社を正式に立ち上げ、たくさんの社員を募集しましたが、ほとんど彼の知人で、私が紹介した人を1人も採用しないだけでなく、何度も私に転勤するように経営者に進言しました。経営者側は私の今までの仕事ぶりや人柄を信頼していましたので、逆に私を総合部の主任に任命し、また新たに彼を監督する総経理部を設けました。
9月末から、マンションの所有者たちにキーを渡して入所手続きをするなど,仕事が忙しくなったにもかかわらず、業務マネージャーは私に仕事を与えず、私を孤立させようとしました。しかも毎週の会議で名指しして私を批判しました。くやしさと怨みで毎日悩み、私は心の中で、同じ雇われた身なのに、私はこの業界で長年の経験もあるのにと不満でいっぱいでした。しかし、私は修煉者として、彼と争いをしてはならないので、忍耐しなければなりません。我慢することはとても辛いですが、私には幸い大法がありますので、毎日師父の『忍とは何か』を暗唱しました。「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」[1]。また『精進要旨』の中の『真修』、『境界』、『修める者の忌』などの内容を暗唱することで心中穏やかになりました。ところが半月後、彼はまた私のパソコンを会計の人に渡すよう指示しました。師父は「それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」[2]と言われました。私はどうしても納得できず、とうとう我慢できなくなり、彼のところへ行って、「パソコンは社長からもらったもので、中には事業開発の資料もあるので、必要があれば社長に言ってください」と言って離れました。階段まで行くと、社長が「新しいのを買えばいいじゃない。なぜ彼女のパソコンを取ろうとする?」と、彼を叱責する声が聞こえました。翌日社長は私に、彼はあくまでも役員なので、彼に謝るよう言いました。不平に思った私は涙がこぼれました。彼が私をいじめていたのに、逆に私を謝らせるなんて理不尽の極みです。しかし冷静になって、私は修煉者であり、常人と同じような考え方ではいけない、どんな人にもやさしく接するべきだと思い、私は彼のところへ行って謝りました。
修煉者としては内に向けて探すべきです。どうして彼は私にこのような態度をとったのでしょうか? 私には何か放下しなかった心がないかと考え始めました。大法を修煉する前、私は負けず嫌いで、自分が苦しみにも負けず何でもできると思いましたが、まさに師父のおっしゃった「工場長や社長をやれと言われればやれるし、もっと高いポストだってこなせる」[2]というのは、まるで私のことを指しているようで、名利と嫉妬する心が私にはこれほど強いのです。修煉者の私はこれらのよくない心を取り除かなければなりません。このように考えてから私の気持ちは楽になり、師父は私の嫉妬心という黒い物質を撤去してくださいました。私は彼に「この数カ月、ありがとうございました。私がよくない心をたくさん取り除くことができました。これからも早く環境に慣れ、より仕事ができるように努力します」と彼に言いました。現在彼を見ると、とても仕事の能力があると感心します。もちろん彼も私のことをより尊重するようになりました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「忍とは何か」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』