誠心誠意 自ら内に向けて探す
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2018年11月6日】一つの生命がはっきり大法の大切さと修煉の厳粛さを理解できなければ、真に自ら内に向けて探すことは不可能であることを最近悟りました。

 法から離脱していた時期を除いて、私はすでに20年も修煉していました。1999年以前、個人修煉の段階で、だいたい法の要求に従って内に向けて探すことができました。当時の私は修煉の基礎があまり堅固でありませんでしたが、心性の関を突破する時に、ほぼ自分の不足を直ちに認識することが出来、執着を根こそぎ取り除き、修めることが出来ました。

 しかし、1999年に迫害が始まってから、それまでの学法が基準に達していなかったため、身の回りで起きたすべてが一切旧勢力に押し付けられたもので、全部否定すべきものだという誤った認識を持ちました。そのため、その時の修煉において、ほぼ全て外に向けて探し、心性の関を退け、突っぱねていました。また師父の説法をも曲解しました。師父は「新しい学習者以外、師父は99年7月20日以降、いかなる個人修煉の関も皆さんに与えたことがありません」[1]と仰いました。従って、私は自分自身の個人修煉を疎かにしました。内に向けて探しても、あわただしく行ない、心性の関を乗り越えることが出来ませんでした。小さい関が蓄積していくうちに、大きな関となり、体に病業状態のような虚像が顕れ、やむを得ず、慌てて内に向けて探すことを思い出し、正念を発することと並行して、妨害要素を取り除くよう正念を強めました。それでなんとか、関を乗り越え、修煉の道でよろけながら、今日まで歩んできました。

 その時の事を振り返ってみて、当時の自分の心性は初めから基準に達していなかったことが分かります。師父が巨大な犠牲を払われ、私の代わりに耐えて下さったのです。さもなければ、私はとっくにこの人身を失っていたかもしれません。ここで、師父が仰っていた言葉が新たに理解出来ました。師父は「皆さんの人間としてのこの一面を大切にしているのは、皆さんが法の中で悟りを高めることが出来るようにするためです」[2]と仰いました。師父のご恩に深く感謝します。

 しかし、ここまで理解できていたにも関わらず、愚鈍な私は迫害に反対する段階で個人修煉の大切さを認識できませんでした。その状態が数カ月前に同修との交流を通じて理解できるようになるまで、ずっと続きました。1999年以降も、個人修煉を怠ってはいけないだけでなく、以前よりもなおいっそう厳粛かつ真剣に個人修煉に励まなければなりません。私は大いに驚きました。今から、些細な事からすべてのことまで、個人修煉を厳粛に取り込む決心をしました。

 しかし、言うのは簡単ですが、実行するのは難しいのです。決心をしたものの、依然同じような過ちを犯してしまうのです。心性の関に遭う時に、常に自分の「外に向ける」気持ちの惰性が働いて、「内に向けて修める」ことに対抗していることがはっきりと感じられます。少しでも気を緩めれば、「内に向けて探す」気持ちは一瞬にして崩れ、しばしば敗れるのでした。これは旧勢力の機制の仕業だと知りつつ、突破できませんでした。この状態はずっと師父の『2018年ワシントンDC法会での説法』が発表される前まで続きました。

 偶然なめぐりあわせで、今年『2018年ワシントンDCでも説法』が発表された後の数日の短い間に、私は繰り返してこの説法を4回読みました(通常は2回しか読みません)。師を敬い、法を敬う純粋な気持ちを抱きながら、5回目を読んだ時に、博大で深い法理が私の目の前に現れました。初めて法を正す時期の大法弟子の特殊性、師父が私達を率いて伝統文化を築かれることの重要性、大法弟子が師の法を正すことを手伝う使命を担う厳粛性と、法を正す事の背後にある深い内包等の法理を悟ることが出来ました。私はこのすべてに震撼させられ、心の奥底から、自分をよく修め、この使命を全うする重大な意義を認識できました。

 認識の昇華が私の生命の本源から「トラブルに遭遇した時に必ず内に向けて探そう」と言う一念を生じさせました。続いて、自分の生活の中で出会ったすべてのことの細部まで注意を払って、周りにいる同修と常人を自分の修煉状態を映し出す一枚の鏡と看做して、彼らに顕れた不行き届きの点を却って自分の行動と照らし合わせ、かれらに存在する問題は自分が全部持っている事も私ははっきりと知っています、その問題の一部はかれらより軽いのですが、もっと深刻なところも少なくありません。

 内に向けて探す過程において、外に向けて探す習慣が絶え間なく妨害し、邪魔をしました。私は揺ぎ無く「大法に符合しないこれらのことは、旧勢力が師父に隠れて無理強いして、大法弟子に按排したもので、私の先天の本性の表れではありません、全面的に徹底的に否定する、滅!」という一念を発しました。これらの人心を自分の一部ではないと考え、徹底的に自分から剥離することにした後、より早くこれらの人心の存在に気づき、取り除くことが出来るようになりました。

 絶え間なく、内に向けて探すにつれて、私は洞察できるこれらの良くないものは、ますます微細なものまで進んでいきます。自分の状態が良ければ、一思一念に隠された不正な念を随時に発見して、捕まえて、取り除くことが出来ます。しかも、内に向けて探す修煉状態もますます定着して、現在、安定して自動的に内に向けて探す習慣をほぼ形成しました。

 自発的に内に向けて探すと同時に、私は毎日学法の時間を増やし、学んだ法が身に着くよう努めました。学法する量が保証できなければ、学法する質を保たなければなりません、一段落ずつ学んで、一句また一句学んでいきます。絶え間なく心性が向上するにつれて、大法の深層にある法理も絶え間なく現れてきました。

 実を言いますと、1999年からの19年間、自分の向上を感じることは殆どありませんでした。やっとの思いで、少しは向上できたかなと思えば、またその次元に留まり、暫く抜け出すことが出来ません。しかし、ここの1カ月の間、自分はまた1999年前の修煉状態に戻り、更に1999年前を超えたと感じました。平均にして、数日に一つの次元を超えていく勢いでした。法の中に溶け混んでいることは実に喜びと充実感に満ち溢れました、内心に師父のご恩をこうむって感謝に堪えない気持ちで一杯でした。

 ここで師父の「天地をば法を正す道を阻み難し 只、弟子の人心により遮る」[3]を思い出して自分のことを恥じ入りました。これから、私は自分をもっと厳しく律し、法を以って師とし、勇猛精進して、法に同化できるよう努め、三つのことをしっかり行なうことを決意しました。

 師父のご恩に深く感謝申し上げます!

 注:
  [1] 李洪志师父の経文:『二〇〇三年旧正月十五日の説法』
  [2] 李洪志师父の著作:『精進要旨』「道法」
  [3] 李洪志师父の著作:『洪吟』「煩わし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/29/375110.html)
 
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