【明慧日本2018年12月26日】彼女は小さい頃から「かわいい女性」で、美しく、聡明で、人の縁に恵まれていました。宜葳さんは目上の人や親せきからの寵愛を受けていただけでなく、学校に通ってからは成績もよく利口で、先生たちは皆宜葳さんがお気に入りでした。唯一の弱点は小さい頃からアレルギーとぜんそくがあることで、いつも薬を服用していたことです。しかし、それも宜葳さんの美しい人生には何の影響も及ぼさず、最も人にうらやましがられたのは、幸運の神がいつも離れず宜葳さんを見守っていたことでした。
しかし、30歳になった年に大きな交通事故に遭い、宜葳さんの人生は逆転し、重傷を負った痛みと苦しみで「これ以上、生きている必要があるでしょうか?」と心の念も逆転しました。西洋医と漢方医に診てもらいましたが治りませんでした。痛みに苦しみ、治療方法を探すのをあきらめようとしていた時に、『轉法輪』という本に深く心を打たれ、人生が再び大逆転し修煉の道に入り、新しい人生を獲得しました。
台湾大学を卒業時に家族と撮った宜葳さんの記念写真 |
戴宜葳さんは台湾で生まれ育った美しい女性で、成績優秀で幸運に恵まれ、大きな試験であればあるほど運気がよく、高校と大学は人々がうらやみ讃嘆する台北市立第一女子高級中学と台湾大学、という台湾で最も優秀な学校に進学しました。海外留学も順風満帆で、米国のコネチカット大学でバイオテクノロジーとコンピューター・エンジニアリングの二つの修士を取りました。仕事を探したことがなく、仕事の方から戴宜葳さんを求めに来ました。「私の運はとてもよく、財布を落としても誰かが拾って届けに来てくれます」。戴宜葳さんはこのように感じていましたが、順風満帆の人生は30歳の年に、突然に逆転しました。
突然の交通事故に遭い ひどい内傷を負う
9・11事件後、米国の経済は停滞し、戴宜葳さんはまだ卒業していませんでしたが、仕事は決まっており、給料が高く、福利厚生もよく、戴宜葳さんの運の良さをクラスメイトは皆うらやましがりました。2005年、宜葳さんが新しい職場に通い始めて1カ月経ったある日、仕事を終え車を運転して帰宅する帰路で、1台の車が猛烈な勢いで後ろからぶつかり、宜葳さんの車は大破しました。宜葳さんも重傷を負い、外見からはわかりませんでしたが、内傷を負い、靭帯が損傷しました。しかしX線では靭帯に大きな問題は発見されず、ただ軽い脳震盪だと診断されました。
医者は1カ月間家で休養するように言いましたが、1カ月が過ぎた後、宜葳さんの状況は全く好転せず、それどころか痛みを感じる場所が多くなり、医者は「これ以上休むと余計に悪くなりますから、動きましょう、動けばよくなります」と言いました。医者の言葉通りに、「そうですね。動こう動こう、生活するためには動かなければなりません」と思い、こうして宜葳さんは仕事に復帰しました。
数カ月が過ぎ、宜葳さんの体はよくなるどころか、かえって悪化しました。最初は左半身が少し痛いだけでしたが、股関節、ひざの関節、腕の関節が痛くなり、交通事故の時に痛めたところが痛くなり、だんだんとすべての関節が痛くなり、全身が痛くなりました。その後、歩くことさえ困難になり、1歩歩くと1分間休まなければならず、また1歩歩くとまた1分休まなければなりませんでした。宜葳さんは怖くなり、辞職して台湾の漢方医に診てもらうことにし、夫1人が米国にとどまりました。
全身の関節がずれる
台湾に帰った後、人から紹介を受け、評判の良い漢方の整骨科の医師に会いに行きました。初診では宜葳さんに何も聞かず、宜葳さんの手を持ち上げて一つ一つの関節を触り始め、触り終えると関節を矯正し、それから全身の関節を矯正しました。矯正すると、痛くなくなりました。一体どういうことなのでしょうか? 医師は「あなたの関節はすべてがずれているので、また痛くなるでしょう」と言いました。「しかしX線では何の問題もありませんでしたが」。医師は「あなたの誤差はX線の誤差の範囲内だったので、わからなかったのです」と言いました。続いて「ここに来るのが遅すぎました。すでに古傷になってしまったので、治すのは難しいでしょう」とも言いました。
続く日々は本当に止まらない痛みが反復し、靭帯はすでに関節を固定できず、少し体を動かすとすぐにずれてしまいました。そして整骨科の漢方医に会いに行って、ずれた関節を矯正してもらわなければならず、何度も何度も整骨医を訪れました。しまいには、医師の家の近くに父親がアパートを借り、数カ月の時間が過ぎ、医師は戴宜葳さんを運動に連れて行き、健康回復の動作を教えました。しかし、その動作をしてもいつも関節がずれ、医師に会いに行き矯正してもらい、引き続き運動し、また関節がずれ、また矯正してもらいに戻り、自分でドアも開けられず、自分で服を着ることもできず、茶わんさえも持てず、全身の関節が痛み、その痛みは耐えられないものでした。
「線維筋痛症」でモルヒネで痛みを止める
さらに悪いことに、だんだんと神経の方面にも後遺症が現れ、「線維筋痛症」と呼ばれる病気になってしまいました。基本的な生活において呼吸や体温調節、血糖の調節がコントロールができず、すべてが乱れてしまいました。
宜葳さんはすぐに気絶するようになり、少し動くだけで全身が痛くてたまらず、どこへ行くにも酸素ボンベを持ち歩き、そうしなければ、いつどこで倒れてしまうかわかりませんでした。最もひどかったのは端午節の朝で、病院のベッドの上で痛さで目を覚まし、看護師にモルヒネを持ってきてもらおうと思いましたが、声が出ませんでした。宜葳さんは後に「あの時、初めて声を出すのにも、多くの細胞を動かす必要があることを知り、すべての細胞が痛み、すべての意志と力を痛みに耐えることに使ってしまい、声を出す力さえ残っていませんでした」と辛かった当時を振り返りました。
体全体、痛覚神経が通っているところであればすべてが痛み、その痛みが広がり、モルヒネでしか痛みを止めることが出来ませんでした。宜葳さんは「日夜続くこの痛みに耐えるのは不幸であり、さらにモルヒネの禁断症状が出たらさらにみじめだ」と思いました。そこで痛みを止めるためには薬の量が不足であっても、薬を増やすように医者には言わず、薬を少なめにして痛みに耐えました。
これまでのところ西洋医は「線維筋痛症」に対してなす術を知らず、ただモルヒネで痛みを止めるだけで、治し方がわからなかったので、中枢神経に効く薬を試し、毎日十数粒の薬を飲ませました。同じような症状で入院していた病人が、しばらくして性格が変わり、胃も悪くなったということに宜葳さんは気がつきました。宜葳さんはその時飲んでいた薬が、自分の生命を縮めるのではないかと疑いましたが、薬を飲まなければ過ごすことができず、痛みは本当に耐えられないものでした。
「病は骨髄にまで入ってしまったので、法輪功を修煉して自分で治しなさい」という医師の提言
台湾で苦しみ1年半かけて医者を求めても効果がなかったので、治療方法を探すのはやめることにし、米国に戻って夫と団らんし、「痛み」とともに一生を過ごそうと決めました。米国に戻ろうと決意する3日前、痛みを止める耳のツボの図をインターネットで探していた時、ある漢方医の文章を探し当てました。米国ではいつも宜葳さんは『大紀元』を見ており、その漢方医のコラムが特に好きで、コラムを読んでいるとその漢方医の徳が高く、人間性の正しさを感じていました。そして、この漢方医が関節の病気を研究していることがわかり、医学上の理論においても独特の見解を持っており、最後にもう一度試してみようと思いました。
この漢方医の患者はとても多く、米国に戻る前に一度だけ見てほしいと頼むと「彼女はとても良い人で、米国へ戻る前日の正午に45分間の時間を作ってくれました」。宜葳さんは後に「やはり彼女の医療技術は完璧で、腎臓、肝臓、胃、骨と骨髄の健康状態をツボに針を刺して検査し、出てきた血が黒いことを発見しました」。それはそのツボに対応する内臓がよくないことを表しており、病はすでに骨髄に入っており、医師は厳しい表情で「あなたは以前から何か心の問題を抱えていませんでしたか?」と軽い調子で尋ねました。最後に医師は「アメリカに戻っても、誰もあなたを救うことはできないので、自分で自分を救いなさい。法輪功を修煉すれば、どんな病気でもよくなります」と言いました。宜葳さんは後に「おそらく彼女はこの種のことを私が信じないとみて取り、法輪功のチラシと美しい資料だけを私に渡し、家に帰ってインターネットで自分で学ぶように言いました。後にこの2枚のチラシが、私の生命を変えることになるなど、その時の私は全くわからずにアメリカに戻りました」と語りました。
米国に戻ってもすぐには法輪功を学び始めませんでした。宜葳さんは後に「法輪功が病気を治せることを信じたかったのですが、太極拳と同じように十数年から20年練習してやっとよくなるのではないかと勝手に思い込み、そうであればその時私はもう50歳で、人生も終わりに近づいているはずです。やはり私は鍼灸師に頼んで痛みを止めてもらい、すぐに仕事に復帰できるようにすることの方が現実的でした」と語りました。しかし鍼灸は医療保険に対応しておらず、さらに昼間は夫が出勤しており、自分の生活を助ける人もおらず、すぐに関節をずらしてしまい、2週間ベッドに横たわってやっとよくなりました。
どんなに苦しくても 生きなければならない
生活していく方法が全くないとわかり、台湾に帰って医者を探したいことを母親に告げました。しかし母親は「帰ってこないで、これまで医者を探した時に、お金を全部使ってしまい、また治療するのなら借金しなければならないわ」と言いました。宜葳さんは3日間泣き続け、悲しみにくれ「30年間一生懸命勉強して、二つの修士を取っても、結局は自分の食事代さえ稼ぐことができない。痛みに耐える以外、他のことは何も出来ず、どうして生き続ける意味があるだろうか?」と思いました。心がとても痛み、最後は家族のために、どんなに苦しくても生きていこうと決めました。このまま病気を治す方法を探すのをあきらめた方がいいのでしょうか? それとも借金を重ねても、治療法を見つけることが出来ない難病を抱えたまま、何もせずに生きて後悔しないのでしょうか? 宜葳さんの心はとても苦しみ、もがきました。
その時、法輪功の煉功をやってみようと思い立ち、どうせ他のことは何も出来ず、修煉して悪くなるはずもなく、なぜならこれ以上、悪くならないであろうし、またお金もかからず、見込みはなくても最後の努力をしてみようと思いました。始めた時は法輪大法を一般的な気功だと思って学んだので、功法を教える動画をダウンロードしてそれを見ながら始めると、すぐにあちこちが悪化しました。宜葳さんの股関節は緩(ゆる)く、普通は両足をちょっと広げただけで関節がずれてしまい、第四式の功法はしゃがみ込まなければなりませんでした。それでも、「法輪功を信じ、動作が正しければ効果があるはずだ」と思い、両ひざを曲げてしゃがみ込むと、すぐに関節がずれてしまい、ベッドの上で痛くて起き上がれなくなりました。
「この時本当に怖くなり、もう駄目だもう駄目だと思いながら、西洋医でも漢方医でも治せず、気功でも治せず、残りの人生は本当に障害者だと思いました」。宜葳さんは「前世で私は悪いことをしたに違いない。残りの人生で日夜とどまることのない痛みで、今までの自分の業の債務を償還しなければならず、この体が私の牢獄であり、私を苦しめる刑具なのだ」とまで思いつめました。悲しみに暮れたある晩のこと、あの漢方医の素晴らしい人柄を突然思い出し「彼女が厳正に法輪功を推薦したのだから、もっと研究してみなければならず、こんなにすぐあきらめてはいけない」と思い直しました。
『轉法輪』を読み終えたその日に「修煉しよう」と心では すでに決めていた
翌日「台湾の法輪大法」を紹介している台湾の法輪功学習者が作ったホームページで「新しい学習者は必ず『轉法輪』を読まなければならない」と書かれているのを見ました。第3講まで読んで休んでしまいましたが、それでも震撼を覚え窓を開けました。次の日、また法輪大法のホームページを見て「新しい学習者は『轉法輪』を一気に読み終えなければならない」と書いてあったので、宜葳さんはその通りに一気に読み終えました。
「高い次元への功を伝えるとはどんなことでしょうか? よく考えてみてください。それは人を済度することではないでしょうか? 人を済度するというからには、あなたはもはや普通の病気治療と健康保持のみにとどまらず、本当の修煉をしなければなりません」(『轉法輪』)を読んだ時、宜葳さんは深く心を動かされ、済度とはなに? 私は末世に世に降りてこられた覚者に出会ったのでしょうか? 修煉てなに? 私は修煉の法門に出会ったのでしょうか? 私はどれだけ幸せなのでしょうか? 続いて「返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です。したがって、ある人が修煉しようと思うと、佛性が現われて来たと認められます」(『轉法輪』)の箇所を読み、心が震えました。
宜葳さんは興奮しながら「ついに見つけた!」と大声で叫びました。1日かけて『轉法輪』を読み終えると、感動で胸がいっぱいになりました。胸元に小さな自分がいて飛び跳ねながら「修煉しよう、修煉しよう、誰か見てますか!」と叫び、喜んでいるかのように感じました。しかしまた一方では「自分はこんなにも小さく、ふつうで平凡な人。特別な人が我が家に来て根基がよく佛と縁がある、などと言われたこともなく、入門弟子として選ばれる可能性も低くくて残念だ。世に降りられた覚者に出会えたのは幸せだが、こんな私には入門はできないでしょう」とも感じました。しかし心の中では、『轉法輪』に書かれていることは本当だと感じていました。宜葳さんは「私は入門できず、誰も私をかまってくれず、体を浄化してくれず、病気は永遠に良くならず、自分の業の償還を残りの余生の間、おとなしくじっと受け入れなければならず、私は『轉法輪』に書かれている通りに一生を過ごしていくしかない」と覚悟しました。
2年間の苦しみが一夜にして消えた
次の日の朝、目が覚めて注意深く活動しようと決め、痛む体を起き上がらせました。しかし思うように動かなかった手が、なんと目が覚めてからずっと自由に動き痛くないことに気がつきました。全身が、どこも痛くないと感じました。ベッドから起きても、歩いても、階段を下りても、2年間くすぶっていたあのひどい痛みがすべて消え、まるで夢のようでした。
深く震撼した宜葳さんの頭の中はゴーゴーと鳴り響きました。心の中で「こんな事ありえないわ、私救われたの? なんと神は本当に存在し、その力はこんなにも大きいの。本当に私に接触してくださり、ただそれが私に見えないだけだわ! 私の病気はここまで来るのに2年の時間を費やし、その痛みはこんなにも現実で、ずれた骨が互いにこすりあった時の悪寒もこんなにも現実で、なんとその痛みが、一夜のうちに全てなくなるなんて!! それに費やすプロセスさえもないなんて。結局、人の世はすべて幻であり、物質や財産が幻であるだけでなく、病気さえも幻なんだわ!」と絶えず頭の中で繰り返し考えました。しかし、自分が新しい人生のきっかけを得たのだということを、まだ信じようとはしませんでした。
次の日の朝起きると、やはり同じようにどこも痛くなく、宜葳さんは「これはもしかしたら本当かもしれないわ。しかし確定はできず、家で1人で座禅をやってみるわけにもいかず、もし不注意で、大腿骨を完全に開いてしまったら、這って動くことすら出来るかどうかもわからないわ。やはり煉功場に行って座禅した方が安全で、万一股関節が脱臼しても、誰かに救急車を呼んでもらうことができるわ」と思いました。そう思って煉功場へ行き、はじめは片足だけの座禅を3、40分組みましたが、脱臼するどころか、気分がよくなりました。心の中で「これは確かだ、師父は私を弟子にしてくださった」と歓喜の叫びをあげました。
修煉して8カ月で体が軽くなり、法輪大法デーを祝賀し 師父の恩に感謝する
すでに障害者補助の手続きを申請した1人の者が、幸運にも法輪大法の修煉に入り、全身の病気が一夜にして全快し、良くなっただけでなく、事故の前よりも強くなりました。健康や事業、結婚、家庭がもうすぐダメになり、人生が終わりかけていたはずが、第2のチャンスを与えられたのです。2008年5月12日、法輪功を8カ月修煉した宜葳さんは初めて「法輪大法デー」の祝賀活動に参加しました。宜葳さんは「これは私たちが師父の誕生日を祝い、師父に感謝する日です。師父のご恩の大きさには、永遠に報いることができません。ただ私は大法を大切にし、精進して修煉して、師父のご恩に報います」と心の中で誓いました。
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/12/25/122111.html)