【明慧日本2018年8月10日】ニューヨークに在住の法輪功学習者・張鴻玉さんの父親・張明さんは、2018年6月29日、法輪功学習者・李全臣さんと一緒に遼寧省丹東市寛甸区で法輪功の資料を配布していた時、現地の警官に連行され、現在、寛甸留置場に拘禁されている。鴻玉さんは米国で父親の張明さんを救援するために駆け回り、国際社会の正義ある人士にこのことに関心を持ってもらい、丹東市寛甸の関連部門に父親の張明さんと李全臣さんを直ちに解放するように要求した。そして法輪功への迫害を停止させ、拘禁されているすべての法輪功学習者を直ちに解放するよう呼びかけた。
父親の張明さんは再度連行される
2018年6月29日の夜、丹東市の法輪功学習者・張明さんと李全臣さんは、寛甸区で法輪功の資料を配布していた時、現地の警官に連行された。翌日、警官は張さんの留守宅に行き、家財を押収した。目撃者の話によると、部屋中は滅茶苦茶に散乱され、法輪功の書籍やパソコンなどの私有物品は警官により、何処かに持って行かれたという。張さんは一人暮らしのため、具体的にどのぐらいの家財を押収されたかは、まだ確認できていない。現在、張さんとの面会はまだ許されていない状況である。
数日後、父親が連行されたことを知ったニューヨークに在住の鴻玉さんは、直ちに今回の連行事件を国際社会に暴き出し、父親を救援する活動を開始した。鴻玉さんは次のように話した。「未だに父との面会が許されないため、父の情報が一切わからないままで、非常に心配しています。中国の留置場や刑務所はとても邪悪な場所で、多くの法輪功学習者は中で想像できないほどの拷問を受け、甚だしきに至っては迫害されて死亡しました。5年前に、母は人々に法輪功迫害の真相を伝えたという理由だけで、拘禁され、苦しめられて3カ月も経たないうちに、迫害により死にました。現在、父がまた不当に拘禁され心配しています。父は現在、苦しみを耐え忍んでおり、こうした一分一秒の間でも生命の危険に直面しています」
母親の修金秋さんが3カ月経たないうちに迫害死
母親の修金秋さんは、2013年9月5日、丹東市振興区で人々に法輪功迫害の真相を伝えた時、法輪功に誤解を持つ人に通報されたため、振興区の臨江派出所の警官により連行され、拷問で苦しめられた。2013年11月28日、修さんは無念の思いを晴らせないまま、死亡した。享年52歳だった。
鴻玉さんは涙を滲ませながら、2017年4月25日、ニューヨークの学習者が集会した際、母親について次のように語った。「母は何度も拘禁され、残忍で悲道な迫害を受けました。最後に連行された時、警官による尋問を受けた際、母はそれを拒否し一切答えず、ひたすら法輪功の素晴らしさを警官に伝えました。警官は母を拷問室に閉じ込め、母の両手と両足を鉄の椅子に縛り付けました」
「数日後、母の足が腫れあがりました。ある若い警官は革靴で母の腫れている足を何回も力強く踏みつけたため、踏みつけられた足の指は黒く紫色になり、右足の親指の爪が剥がれて、足の指が血まみれになりました」
「ずっと縛り付けられていた母は全身に浮腫みの症状が出て、ひどい痙攣を起こし、腹部も大きく膨らみました。最後に食べ物が喉を通らなくなり、歩くことも出来なくなりました。2013年11月16日、中国共産党の人員らは責任を逃れるため、昏睡状態に陥った母を丹東市人民病院に運びましたが、医者の話によると、すでに手遅れだったそうです。2013年9月5日から11月28日までの間、3カ月も経たないうちに、苦しめられた母は無念の中で亡くなり、私たちと永遠の別れになりました」
母方の祖父と祖母は迫害の中で死亡
1999年7.20、中国共産党による法輪功への天地を覆い隠すほどの残虐な迫害が始まった。法輪功を学び受益した鴻玉さんの祖父は、中国共産党の歴代の政治運動を経験していたため、心の中では大変な恐怖を感じていた。祖母は娘と娘婿が何度も迫害を受けたため、長年にわたり警官と町内の人員による嫌がらせを受け、これを耐え続けた。しかし、長年におよぶ巨大な圧力と苦痛の中で、両目とも失明してしまった。そして、とうとう最後に、限りない精神的な圧力と苦しみの中で、祖父と祖母は相前後して亡くなった。
最後に、鴻玉さんは2018年6月20日、ワシントンDC国会の前で、「今、歴史の大きな転換期の前で、一人一人はすべて自分の将来を選んでいます。中国の公安局や検察庁、裁判所などの関係者達に、はっきりと善悪をわきまえ、迫害を停止させるように、また、直ちに父の張明さんを無条件で解放するように呼びかけます! 迫害を受けたのは、私の家族だけではなく、幾千幾万の法輪功学習者たちが私達と同じように苦難に遭い、苦しめられています。彼らのためにも呼びかけています!」と訴えた。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)