【明慧日本2019年1月4日】私は今年21歳です。富裕層ではありませんが,衣食には困らない家庭で、親からの深い愛を受けていました。
しかし私は小さい頃から学校に行く気がなく、4年生の時は既に悪に手を染め、先生に暴力をふるい、集団で喧嘩をし、警察官を打ち、親と学校の先生が繰り返し忠告しても何の効果もありませんでした。その後はあっさり退学し、勉強もせず、巷の一部の不良少年達と長い間外でぶらぶらしていました。至る所で盗み、強奪、恐喝などの悪事をやり尽くし、広く名が知られた不良少年になりました。ある時、真夜中に建物に登り、部屋に入って窃盗をする途中で落ちてしまい、足を骨折しました。治療期間中、足がまだ良くならず、歩くことさえ大変なのに、また仲間達に支えられながらオートバイを盗みに行き、続けて悪事を働きました。本当に何度言われても改めず、罪深い人間でした。
1995年旧暦の4月8日、法輪大法を修める弟子達が修煉交流会を開き、私は紹介されてこの活動に参加しました。私を誘ったのは私に恨みを持ち、長年付き合わなかった友達のお父さん(法輪大法の弟子)でした。会場での法輪大法の弟子一人一人の発言は、私の孤独で汚い心を震撼させました。私は聞けば聞くほど震え、聞けば聞くほど後悔し、自分が過去にやった全てを後悔しました。私は初めてこのように大きな道理を聞きました。私は働かずたやすく欲しい物を得ていたようですが、極めて貴重な「徳」を失い、必ず償わなければならない業力と交換していたのです。自分で自分の身に業力などの黒い物質を招き、私は以前何が何だか訳が分からないまま悪事を働き、悪事をしても自分なりに腕がいいと思っていました。正に罪悪の深淵で彷徨っていたのです。縁があって法輪大法に出会わなければ、私はもっと深く堕ちてしまい、どうにも救いようがなくなり、自ら抜け出すことができなくなったでしょう。
法輪大法は私を目覚めさせ、私は社会に有益な良い若者、宇宙の特性である「真・善・忍」に従う良い人になろうと決心しました。私は古い学習者の助けの下で、真面目に学法を始めました。私は小学4年生の教育程度しかなく、実は4年生のレベルにも達せず、100の文字も知りませんでした。先生のこの奥深い超常的な大法を完全に深く理解するのは難しかったのです。当時本もなく、同修から借りて読みながら、1文字ずつ真面目に写しました。写すことを通じて私の乱れた心は段々清浄になり、大法に対して少し認識し、理解ができ、それに照らし、絶えず認識を高め、法に基づいて絶えず頑張りました。それから私にとって学法と煉功は毎日不可欠になりました。数カ月で私は李先生の全ての著作を写し終えました。全部で分厚い3冊でした。筆跡はよろめいたような字から段々きれいになり、特に写すほど心が明るくなってきました。私は先生のおっしゃった「法を学びて法を得る 比して学び比して修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」の教えを守り、真に修める弟子になりました。
誤った道を続けない為に、私は以前付き合っていたろくでもない者達とは関係を切ろうと決心しました。彼らが再び来て私に悪事を持ちかけると、私は一笑に付すか、又は婉曲に断りました。私は法輪大法の古い学習者達と常に話し、彼らの根気よい助けを受けて、自分がいつも法輪大法の中にいられるようにしました。業力の転化形式はそれぞれの方面から現れるもので、様々な環境の中でそれをなくすべきである、という先生の教えを心に刻み、心性を守り、一つ一つの難関を越えました。去年の中秋節前後、私はある家具店で手伝いをしました。お客様が店の前に止めていたオートバイが盗まれ、ちょうどその時私はいませんでした。私が店に戻るとオーナーは私が盗んだのだろうと言いました。一部のやじ馬見物をしていた人達も、盗んだのは私に似ていると言いました。その中の革靴を履いた者が私を強く蹴りました。以前の私ならきっと生きるか死ぬかと必死に争ったでしょう。しかし私は先生の話を覚え、自分は煉功者であることを心得て、穏やかな心で対応し、彼らと争わず、ずっと押し黙っていました。そこにいる人達と私の親さえ私が異常だと思いました。以前の私なら悪事をやり尽くし、ケンカが得意なのに、この間の言動は彼らに理解できず、みな私が変わったと言いました。そうです。私は変わったのです。
みな私が変わったと言いました。私も自分が変わったと思います。以前外出時には、私は必ず全身武装し、いろんな凶器を深く身に隠し、終日機会を窺って悪事を行ないました。一旦金を手に入れたら、酒色にふけって根こそぎ金銭を湯水のように使い、気炎万丈でしたが、心は極度に空虚で、一日中恐れおののき、自分がいつか悪事をし尽くした後、捕まえられてひどく打たれて障害を持つか、又は警察に捕まえられて刑務所に入れられると恐れ、終日精神が不安定でした。外で道を歩く時、いつも後ろから突然仲間に襲われるか、又は他人にこっそり狙われるのではないかと心配しました。今私は法輪大法を学んで正気が悪に勝ち、悪事を止めて善に向かい、よい青年、真の煉功者になろうと決心しました。私は今は外出する時、身に何も付けず、自分が煉功者であることだけを心で思い、正気いっぱいで、恐れがなくなりました。
私が大法を学んでから、家庭にも変化が起こりました。何年もの間、親がいくら諄々と私を諭しても、私は全く耳を持たず、いつも我意を押し通し、悪事を働きました。このならず者である息子の為に、親がどれほど涙を流し、心を痛め、人にどれほど金を償ったか分かりません。家には私が1日中外でもんちゃくを起こしたと告げに来る人が後を絶ちませんでした。父親はろくでなしの私を恨んで、私と親子の縁を切り、同じ食卓で食事もせず、赤の他人のように私に対しました。今、私が改めてお年寄りを敬い、賢人を尊敬し、人を助け、自分の事はいつも親と相談し、家にはまた楽しくて和らいだ雰囲気が現れました。まともな職業を持つ為に、私は父親に運転を学びたいと申し出ました。父親は全力で支持し、数千元を出して教習料を払ってくれるだけでなく、私にトラックも買ってくれるつもりです。この全ての変化はぼろぼろになっていた我が家に和気と楽しさをもたらしました。親は大法に感激し、私の修煉を大いに支持しています。
これこそ法輪大法の威力です。悪習だらけであった青年が罪悪の深淵から離れ、返本帰真の道を歩むようになったのです。