気に食わない話を聞いたら 原因を内に向けて探そう
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文/河南省の大法弟子

 【明慧日本2019年1月11日】以前、ある同修はよく修煉する前のことやトラブルなどのことを私によく話して聞かせました。その時私は、彼は法に基づいていない、彼は修煉がよく出来ていない、彼は心性が低いと思いました。そこで私は「修煉する前のことをもう言わないでくれる!」と不機嫌に彼に話したことがあります。今思い出すと、その時の自分も同じで修煉もよく出来ていないし、法に対しての理解も実に浅かったのです。

 私の理解では大法を得る前と大法を得た後の生命は同じではありません。大法を得た生命はこの時点から、まったく新しい生命になっています。修煉する前の私は良くないところが本当に多いのです。すべて良ければ、修煉する必要はありません。それなので、修煉する前のことを話す必要がないのです。私達は真相を伝えることに追われて、毎日忙しくて手が回らないのに、あんなつまらない事を聞く余裕はありません。修煉に関していることなら私は聞きます。師父は「もし、皆さんのために歴史上の一切を引き受けなければ、皆さんはまったく修煉できません。もし、宇宙の衆生のために一切を引き受けなければ、彼らは歴史が過ぎ去ると共に解体されることでしょう。もし、世人のために一切を引き受けなければ、彼らは現在、まだこの世に存在する機会すらないでしょう」[1] と説かれました。

 しかし数年後、私は法を暗記することによってやっとわかりました。私達はいくら精進しても、いくら真相を上手く伝えたとしても、やはり私達の気に食わないことが目の前に現れてきます。なぜかと言うと、昔のことに関した記憶も物質で、私は同じような良くない物質をまだまだたくさん持っているからです。例えば、一部の同修は不当に迫害されたことがあり、その迫害された当時の環境や人、そして起こったことを忘れられません。どうしてでしょうか? つまり、それは邪悪が良くない物質をあなたの頭の中にインプットしたからです。私も不当に迫害された経験があります。刑務所から出て来たその後の2年間というもの、刑務所のすべての事が私の頭の中に存在していました。それなので、私達は昔の良くない記憶を捨てなければなりません。

 私は「同修の間ではみんな内に向かって探しているから、付き合いやすい、せめて常人との付き合いよりも気が楽である」と思ったことがあります。今になって分かるようになりました。この理想的な考え方は法に基づいていませんでした。師父は「したがって、今後煉功する際、さまざまな苦難に遭うでしょう。それらの苦難がなければ、修煉がどうやってできるでしょうか? 誰もが和気藹々としており、利益についての衝突や心が乱されることもなく、ただそこに坐っているだけで、心性が高まることになるでしょうか? そんなことはまずありえません。人間は実践の中で本当に自分を錬磨しないかぎり、向上することはありえません」[2] と説かれています。

 悟りが遅れてしまったようですが、師父は「この理は、たちどころに認識する人もいれば、徐々に悟り、認識する人もいます。どう悟ってもいいのではないでしょうか? いっぺんに認識できれば、それに越したことはありませんが、徐々に悟ってもかまいません。どちらも悟ったことになるのではないでしょうか? どちらも悟りですから、どちらも悪くありません」[2] とも説かれました。

 同修みな共に、励まし合っていきましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「法を正す时期の大法弟子」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/19/361969.html)
 
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