「明慧ネットを閲覧できた」を読み 考えさせられたこと
文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年1月17日】明慧ネットは大法弟子の交流する場所であり、大法弟子にとってまるで我が家のようです。明慧ネットが立ち上がってから20年来、明慧ネットのお蔭で、地元では偽りの経文を配布する同修もいませんし、発正念の内容を改ざんする人もいませんでした。協調人がいくら能力があってもここまでは出来ず、また、法に基づいていなければ、同修たちも協力しません。
今年、地元のある年配の学習者がしばらくの間、集団学法に参加する事が出来ませんでした。この年配の学習者は、大法弟子の交流する場所を失ってはいけないと思って、パソコンを買いました。年配の学習者は毎日明慧ネットに上がっているうちに、キーボードの打ち方も出来るようになりました。以前、三退リストを他の同修の所に送らないといけなかったのですが、今ではこの年配の学習者は自らキーボードを打ち、三退リストを作成し、ネットで送ることが出来るようになりました。また、地元のもう1人の同修Aさんは、長い間、病業の状態に陥っています。明慧ネットにはAさんのような状態について、様々な交流文章があります。しかし、Aさんは明慧ネットを見ませんし、『明慧ラジオ』も聞かないのです。『明慧週刊』だけ読みますが、しかし、明慧ネットの文章は『明慧週刊』では、ほんの一部しか掲載していないため、同修Aさんは他の多くの体験文を読む事が出来ませんでした。
明慧ネットを閲覧することによって、法を正す進展に追いつきますし、修煉の道を偏って歩むことがないと思います。明慧ネットに掲載された様々な文章は、修煉者にとって参考にする価値が大いにあり、明慧ネットは私たちの家のようなもので、大法弟子は毎日この家に帰りましょう!!