第二の誕生日から 私は生まれ変わった
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 文/アメリカの大法弟子

 【明慧日本2019年1月25日】

 皆さん、こんにちは!

 私はトッド・リップリンガーと言い、シカゴに住む学生です。2年前(1997年)、他の大学2年生の学生と同じように精神的なもの、例えば信仰や宗教に対して非常に困惑していました。なぜなら、今まで受けてきた学校教育は私に科学というものを注ぎ込んできたからです。「この科学は、私達はみな猿人から進化してきたものであると説き、最も倍率の大きい望遠鏡で見ても、天国の存在を見つけることができないと説ています。ですから、天国は存在する可能性がないものだと結論づけました」。神がいるという具体的な証拠がなければ、私は絶対に教会に行って祈祷したり、懺悔したりしません。なぜなら私の趣味と仕事は魔術師であり、神の存在について深く疑っていたからです。当時、私は武術や仏教、道教に興味を持っていました。これらは私の精神的な虚無感を満たすかのように見えましたが、虚無感はやはりあり、私の生命は完ぺきではありませんでした。私は皆さんに当時の私がどれほど悪かったかをここで言いたいのではなく、皆さんに私の生命が再生したことを伝えたいのです。

 それは1998年4月8日のことで、その日、私は法輪功を見つけました。私はチャイナタウンの図書館で法輪功を紹介したチラシを見ました。その時、私はちょうど太極や気功に興味を持ち初めた頃で、同時に仏教も研究していました。チラシを読んで、私は法輪功が物質と精神の理を結びつけているものだと感じました。もっと良いと思ったことは、これが無料で学べることでした! そこで私は家に帰って『轉法輪』の第1講を読みました。当時私はとても興味があると感じただけで、法輪功がこれからの私の生活を永遠に変えることになるとは少しも思いませんでした。

 その日から私は法輪功を煉り始め、毎日本を読みました。もちろん五式の功法は、法輪功を学んでいる他の全ての人達の身体に起きたような良い効果を、私の身体にも起こしました。詳しくはここでは述べません。私が言いたいのは、以前、毎日武術を数時間やって身体の敏捷(びんしょう)さや強度、耐久力の改善を求めていたにも関わらず、このような武術の鍛錬の効果は、法輪功の五式の功法を煉って得るモノの半分の効果にも及ばない、ということです。その答えは鉄砂掌や千里脚などの他の気功にもありません。その答えは、法輪功の座禅をすることと自分の内に向けて探すことによってのみ、得られるということです。

 私は心の深いところから、法輪功は私に真理を示してくれた、と素直に言えます。私は毎日『轉法輪』を学び始めました。とても早い内に、私は自分がこの世に対してシニカル(皮肉な態度をとる)な大学生から、修煉者に変わったことを自覚しました。私の話、行為、ひいては考えさえも、すべてのことが今までとは異なり、激しく変化を起こしました。私は元々汚い話はあまりしなかったのですが、今は全くしなくなりました。私にどうしてそんなに汚い話ができるでしょうか? 私は今現在、他人が言った汚い話さえ聞きたくなく、考えたりもしません。そして私は人に対して叫んだり、怒ったりしなくなりました。皆さんもご存知のように道路は常に混みあい、人々はみな道を急ぎます。私は普段自転車に乗り、人とぶつかりそうになることがあります。私はできるだけ「速く、急げ!」とか「このばか、何をやってるのか、よく見ろ?!」などと言うような言葉を口に出さず、また、考えないようにしています。法輪大法は私に何の怨みも持たないように教えてくださいました。そこで私には恨みを持たせるような事柄は、もうすでにこの世間にはありません。

 ロックミュージックは以前、私にとって大きな執着でした。『轉法輪』を学んだ後、私はこのような音楽がどれほど乱雑であるかを認識し、聞かなくなりました。先生はタバコを口にくわえている佛はいないとおっしゃいました。イエス・キリストも絶対にロックバンドに仲間入りしないでしょう。次元をもっと高めるためには、良くない情報の影響を受けてはいけません。テレビからもこのような良くない情報が出てきます。先生がおっしゃった通り、テレビの内容には悪いモノがあまりにも多いのです。私はそれぞれの親に自分の子供達がどのようなテレビ番組を見ているかを知ってほしいのです。今私は目をごまかすベールが既に剥がされたことを感じます。私には今のテレビと音楽には恐怖や暴力、色情があふれているのがはっきり見えたので、これらに対する執着もとても簡単に捨てられました。

 パソコンのネット上も同様で、テレビよりさらに良くないことを私は見出しました。皆さんに素直に言いますが、私には元々ネット上の色情関連のモノに執着がありました。私は以前、欲望のままにパソコンのネットを見ていました! しかし法を得て間もなくして、これらのモノを見るのがどれ程良くないかを認識しました。法輪功を学んだ私はこれらのモノを断固として放棄し、一定期間内に時々刻々と自分に注意を促せば、これらの良くない執着がなくなることに気付きました。そこで私はこれらのモノに二度と接しませんでした。間もなくして色情の画面はこれ以上、私の興味を引き起こすことがなくなり、汚く見えるようになったために、私を引き付けておくことがなくなりました。私はそれらの汚い画像の全てを捨てたり、削除したりしました。全ての執着は必ず取り除くべきであり、私の意識はこれらのモノに惑わされることなく、必ず冷静であるべきだからです!

 シカゴの町を歩くと、至る所に色情を引き起こす広告や看板が設置されており、人の欲望をとても引き起こしやすいことがわかりました。もし町でそれらを見かけたら、私は見ないように頭を下げて通り過ぎます。その後、私には町や学校で綺麗な女性を観察する習慣があることにも気付きました。例を挙げますと、もし2人の女性が試験準備のため復習を助けてほしいと頼んできた場合、1人は美人でもう1人は普通の人で、2人とも助けが必要です。私は自分が自然と美人の方を助けていることに気付きました。アメリカ文化はすでに私に深い影響を及ぼし、若くて美人の方を当然好みます! しかし、偉大なる李洪志先生はこれは個人の執着によるモノであることを説かれ、彼らの顔立ちと関係なく、全ての人に別け隔てなくよく接するべきである、と私に教えて下さいました。そこで私は今では誰に対しても同じように接するように努力しています。美人でもそうでなくても、男性であれ女性であれ、金持ちであれ貧乏人であれ、そしてホームレスや黒人、白人、アジア人であれ、信仰を持たない人であれ、年配者であれ、中年、少年、青年、障がい者、奇異な人であれ正常な人であれ、どこかが違っていてもいなくても関係なく、私は必ず全ての人に対して同等に慈悲心を持ち、全く同じように接するべきであることを学びました。

 もちろん、私にはまだ完全に取り除かれていない多くの執着心があります。私の生活は執着心との闘いで、執着心を放棄することと忍耐することの過程でもあります。私の魔性は100を超える理由を使って、それらを放棄させまいと邪魔してきます。魔性が邪魔する度に、私は自分に「何がもっとも大切なのか? 個人の利益か、それとも法輪功なのか?」と聞きます。当然、答えはいつも「法輪功」です。私はこれが正道であるかどうかと疑いが生じる度に、自分に『真・善・忍は決して間違っていないし、良い人になることも決して間違いではない』と言います。私が法を学んでから、すなわち「私が生まれ変わった第二の誕生日」から、私は生命が再生したように感じ、返本帰真の正道に導かれていることを強く感じています。

 ああ、それに、私が他人のことを先に思う時、全てのことが素晴らしくなります。李先生の慈悲なる微笑はどれほど素敵でしょう! 私が『轉法輪』を捧げ持つ時、どんなに悪い状況も良くなります。法輪功は世界中の全ての人の楽しさを合わせたモノよりも、もっと最高に素晴らしいのです。人々に私自身が感じたこれら全ての良さ、素晴らしさを感じてほしいのです。そのためには人々が自分を絶えず正しく修正し、「真・善・忍」に向かう大法を学び続けてほしいのです。私も絶えず最高の真理である「真・善・忍」に向けて精進していきます!!

 皆さん、有難うございました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/1999/7/7/8682.html)
 
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