迫害に遭った娘達を心配する両親が相次いで死亡
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 【明慧日本2019年1月31日】遼寧省営口市の王福芹さんは1997年に法輪功を学んだ後、長年の持病が回復した。王さんの3人の娘達も法輪功学習者で、法輪功を迫害する政策の中で3人の娘達は迫害を受けた。特に末っ子の娘の李鳳美さんは留置場と遼寧女子刑務所で残酷な迫害を受けたことによって、何度も危篤状態に陥ったことがある。そのため、両親の王さんと夫の李坤連さんは娘達を心配するあまり、精神的な苦痛と恐怖の中で、相次いで亡くなった。

'王福芹(琴)和 老伴李坤连遗照'
王福芹さんと夫の李坤連さん

 李鳳美さんは営口市熊岳高校の元英語教師である。1999年7.20以降、李鳳美さんは何度も不当に連行され、懲役4年の実刑判決を言い渡された後、熊岳公安支局、蓋州市留置所、営口教養所、鲅魚圏第三留置場および遼寧省女子刑務所へ転々と移され、心身ともに大きなダメージを受けた。

 鲅魚圏留置場では、刑務所の医師・高日正は点滴と食事の中に、中枢神経を破壊する薬物を投入したことによって、李鳳美さんの記憶力が喪失した。その上、髪の毛が大量に抜け落ち、呼吸困難にまで陥り、歩行が出来なくなった。そして失禁をするようになり、暑さ寒さの感覚がわからなくなり、食事を摂ったかどうかさえもわからず、薬物のせいで感覚機能を喪失してしまった。それでも、医者の高日正は李鳳美さんにまだ少しの記憶が残っているのを見て、さらに強行して不明な薬物を注射した。

 その少し前に、長女と次女も洗脳班に強制連行された。この一連の出来事で、王さんは心身ともに耐えきれず、心配のあまり脳溢血を発症し、2004年3月21日に娘の冤罪が晴れないまま亡くなった。享年69歳だった。

 王さんは生前7回も娘の李鳳美さんに面会に行ったが、すべて拒否された。王さんが亡くなった後、家族は留置場に行き、李鳳美さんにせめて母親の最後を見送らせて欲しいと、一時釈放を求めたが許可されなかった。

 王さんが亡くなった後、夫の李坤連さんは精神的にひどい衝撃を受け、恐怖の中で、毎日のように包丁や棍棒を持って、頭の中に浮かんでくる警官らに向けて叫んでいた。2009年11月22日、李坤連さんも力尽きて、とうとう亡くなった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/1/9/380182.html)
 
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