文/ブルガリアの大法弟子
【明慧日本2019年2月17日】私はブルガリア出身の船員です。2016年から法輪大法を修煉し始めました。大法に出会う前、私の首と背中の調子はあまり良くありませんでした。背中が痛くてその痛みが首まで広がり、さらに、ひどい頭痛が起きるようになり、いつも鎮痛剤を服用しなければなりませんでした。たくさんの治療法を試みて、頸椎にオゾンを注入したのですが、あまり効果がありませんでした。病気は完治することなく、後半の人生にも悪い影響が出る恐れがあると医者に宣告されました。また、視力にも少々問題があって、運転する時にはメガネをかけなければなりません。しかし、これらの問題は法輪大法を修煉して数カ月後に全部治りました。
1、長年探した結果、やっと法輪大法に出会う
法輪大法に出会う前、私はずっと人生の意義を探して、佛教を含む多くの書籍を読みました。何かをして自分を高めていきたいと思っていましたが、何をすれば良いかが分からなくて修煉という概念も知りませんでした。
兄も私と同じことを考えていて、私たちはヨガの教室にも通いました。その後、兄はテレビで中国古代の修煉方法「法輪功」を紹介する番組を見ました。よさそうな功法なので、もっと詳しく知りたいと兄は言っていました。すると数日後、兄は偶然に古くからの友人と再会して、友人は法輪大法を修煉しており、しかも地元の公園で集団煉功にも参加していることを兄に教えました。私と兄は、ヨガをやりながら法輪功も試してみることにしました。初めて『轉法輪』を読んだとき、これは自分がずっと探していたものだと確信しました。数カ月が経ち、私と兄はヨガを止めて一心不乱に法輪大法の修煉に溶け込みました。
2、執着心との闘い
ここで意外なトラブルに遭ったおかげで、「失と得」に対する自分の執着心を発見した体験を、皆さんと分かち合いたいと思います。
それは私が2016年の冬に出航していたある日の朝、メールを開いたら、妻からのメッセージに「家が水浸しになっているので、すぐに電話してほしい」と書いてありました。私はすぐに妻に電話すると同時に、電話の内容はきっと私に対しての心性の試練になるに違いないと分かっていました。妻から聞いたことは、我が家の階上の家の水道管が破裂して、大量の水が我が家に流れ込んだというのです。我が家は内装工事をしたばかりだったので、私はとても気落ちしてしまいました。
翌朝、『轉法輪』を読んだとき、「個人の利益や対人関係の軋轢において、それらのことを気にかけないでいられるかどうかが肝要です」[1] という教えが、脳裏に現れました。
それから、内に向けて探して、いくつか良くない考えを発見しました。例えば、私はこの損失を被るべきではなくて、こんなことが私の身に起きるとは不公平だ、これは我が家の責任ではないので、階上の家の人に弁償してもらおうとか、また、家の内装工事をやり直すのにどのくらいの費用がいるだろうか、などなどいろいろな考えが浮かんできました。
それからの数日間、妻や両親と通話をする度に、帰ったら階上の家人と弁償について交渉しなければならないと何度も言っていました。しかし私は修煉者なのでいずれにしても、そのように対処してはいけないことも、よくわかっていました。
師父は「あなたは相手と同じように争ったり闘ったりしないだけでなく、心の中で相手のことを憎んでもいけません。本当に相手のことを憎んではなりません。相手のことを憎むと、腹が立ったことになるではありませんか? それでは忍を守れなかったことになります。われわれは真・善・忍を重んじますが、そんなことをすれば善のかけらもなくなります。ですから、相手と同じようにしてはいけません。あなたは相手の中傷によって、職場で面目まるつぶれになったとしても、相手のことを本当に怒ってはいけません。それだけでなく、心の中で相手に対して本当に感謝しなければなりません」[1] と説かれました。すべての良くない考えや疑いの心を抑えて、今回の損失は弁償をしてもらわないことに決めました。階上の家に行って、何か手伝うことがないか聞いてくるようにと私は妻に頼みました。それは、階上の家の被害はきっと我が家よりも酷いと思ったからです。そう思うことにより、私は心の重荷が下った感じがしました。
家に帰ってみると、我が家の被害情況は想像していたほど酷くなかったので、私と妻とですぐに家を修復しました。
3、真相を伝える体験
私が初めて真相を伝える活動に参加したときのことを、今なお鮮明に覚えています。それは修煉を始めて6カ月後のことでした。その日、同修Aさんは私にブルガス市に真相を伝える活動があると知らせてきましたが、ブルガス市は我が家から130キロも離れています。それでも私は彼に「行きます」と約束しました。それから、私に対する魔難が始まりました。
まず、大法の活動に参加したいと妻に告げたとき、妻は怒りだしました。何故かと言いますと、ブルガス市に行くには、朝とても早く家を出発しないといけません。大法の活動の前夜、私たちの結婚式の時の花嫁の介添人の誕生日パーティーがありますが、パーティーに欠席するのではないかと妻は心配したからです。パーティーには必ず参加すると妻に説明しても、妻の怒りは収まりませんでした。それでも、結局パーティーには出席しました。でもパーティーの席で、妻と友達にお酒を勧められましたが断りました。
パーティーは明け方まで続き、私はほとんど寝ていませんでした。しかしそれは、真相を伝える活動に参加する決心がどれほど固いか、どうかの試練なのだと分かりました。そこで、この試練を乗り越えなければならないと強く思いました。
早朝、同修Aさんと兄と私は一緒にブルガス市に向かいました。到着したとき、人手不足で困っていた現地の協調人は、私達が来たことをとても喜んでくれました。無条件に同修に協力することの重要さを初めて体得しました。
真相を伝える中で、私はずっと強い正念を持っていました。ある通行人の年配の女性に、中国で起きている迫害を説明し終わると、女性はロシア語で「私はロシアから来た者ので、あなたが言っている内容が分かりませんが、あなたはきっと良い人だと思いました。しかし、あなたが何を言ったのかを知りたくなりました」と話しました。私は女性にロシア語の真相資料を渡し、この出会いにとても勇気づけられました。正念があれば、何も私を阻止することができないことを体得しました。
真相を伝えるもう一つの活動に参加した時の感想を語りたいと思います。
2017年7月、カードヴァルナ市在住の古い弟子のBさんは「7.20」記念活動を計画しましたが、現地には他の学習者はいません。しかもカードヴァルナ市は、私の居住地から60キロ離れています。私を含めて周囲の同修達は、Bさんを手伝いに行くことに決めました。しかし私は7月初旬から咳はでるし、痰もでるし、咽喉も痛いので、これは旧勢力の妨害ではないか、正念をもって旧勢力を一掃しなければならないと思いました。
それからの数日の間、私は真面目に発正念をして、なおいっそう真面目に学法しました。師父は「実は、もし皆さんの念が非常に正しければ、町を歩いたり、あなたの都市で暮らしたりして、周りの全ての環境は全部片付けられます。あなたの存在は衆生を救い済度する作用をしています。しかし、個人修煉として魔難に遭うことがあります。あなたに大きな能力があっても、誰も修煉の中で自分で歩む道があります。同時に、法を実証する中で旧勢力が皆さんに多くの妨害をもたらしており、この妨害は通常、正念が足りなければ、なかなか取り除かれることができません」[2]と説かれました。
7月17日、私の具合は一向に良くならなかったのですが、公園での集団煉功に参加しようと決めました。煉功しているうちに体が熱くなったと感じ、煉功した後に咳や痰がほとんど出なくなって、咽喉の痛みも自然と消えてなくなりました。このことは私の修煉の信念をいっそう強めてくれました。7月20日の活動の当日、私の体はすっかり快調になり、真相を伝える活動は順調に運びました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』