文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年2月22日】明慧ネットの煉功音楽の最新版が2018年11月に発表されると、私はすぐにダウンロードしました。第二功法の1時間の煉功音楽を見つけて、少しプレッシャーを感じました。なぜなら、今まで通りの30分のものならば気楽に煉功できました。しかし、1時間となるとちょっと躊躇(ちゅうちょ・決心が定まらずに心が揺れて、ためらうこと)した後、考え直して1時間の法輪椿法を選んで煉功をしてみました。
私は2001年修煉を始めた時、法輪をずっと抱き続けることは難しいと思い、心の中でずっと放下できませんでした。一つの関門をまだのり越えていない間に、また次の関門が現れて来ました。30分間のものでさえ難しいと感じていましたが、今回の1時間の第二功法に挑戦してみることにしました。
私の悟りでは、正法が今日の段階に至り、師父は弟子にさらに大きな威徳を樹立させるために、1時間の法輪椿法を私達にお与えになりました。弟子たちがこの俗世の中で、さらに多くの衆生を救い済度できるようにするために、もちろん心性上、自分に厳しく要求することは当然ですが、それには身体上、もっと筋骨を労しなければなりません。それで、1時間の法輪椿法を私達に与えられました。今、一部の同修は身体に異変が現れたり、さらに旧勢力に肉身を引きずられて亡くなった同修もいます。旧勢力は大法弟子の安逸する心に乗じて、今も大法弟子を虎視眈々(こしたんたん・おのれの野望を遂げるため、じっと機会を狙っている様子)と酷く迫害しています。
長い間、私は学法するとすぐに眠くなり、煉功する時も時々居眠りをし、妨害が大きかったのです。2018年の11月に発表されると、私は新版の煉功の音楽をすぐにダウンロードして、1時間の第二功法を煉り始めました。時には辛いと感じましたが、辛いことは良いことではないか、業力を消す良いチャンスではないかと思いました。安逸は功を伸ばすことが出来るのでしょうか、成就できるのでしょうか? 師父は「実は、人類社会の理は宇宙の中で逆になっています。人間が難に遭い、苦しみを味わうのは業力を返し、幸せな未来を得られるようにするためです。修煉者の場合、正しい理にしたがって修煉すべきです。苦を嘗め難に遭うことは業力を取り除き、罪を除去し、人体を浄化し、思想境地と次元を高める絶好の機会であり、大変良いことです。これは正しい法理です」[1] とおっしゃいました。
こうした考えから、私は1時間の抱輪を抱く「法輪椿法・第二式」を煉り始め、今でもずっと煉り続けています。その良さは一言では言い尽くせませんが、現在では学法の時に眠けがなくなり、真に法を得ることが出来るようになり喜んでいます。また嬉しいことに、心性も学法し、煉功する中で以前よりもずっと昇華して上がってきました。
師父の苦心のご按排に感謝いたします。師父の慈悲なる救い済度に感謝いたします。弟子は必ず修煉の道をこれまで以上に勇猛精進し、三つのことをしっかりとやり続け、どんな事があっても、師父について家に帰ります!!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』・「最後になればなるほど、精進すべき」