文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年8月20日】グループ学法に参加する際に気づいたことですが、法を学ぶとすぐに眠くなる現象が修煉者の間で普遍的になっています。一部の同修は法を学び始めるや否や眠くなり、しかも長い間その状態を突破できていません。ここで私自身が睡魔に勝ち抜いた経験を書きだして、同修の皆さんの参考になればと思います。
数年前の一時期、私も学法の時に睡魔に襲われ、それを突破するためにさまざまな方法を考えました。たとえば、眠くなれば力一杯に頭を壁にぶつけたり、冬は室内着で外に出たりして、いろんな方法を試しました。要するに、自分の強大な意志の力で睡魔を制圧しようとしていたのです。当時、睡魔に屈服しなかったものの、根本から問題の解決は図れませんでした。
その後、あることに気づきました。法を学ぶ時は真面目で厳粛な態度を取るべきで、そうでなければ容易に睡魔に隙に乗じられてしまいます。この厳粛さは法を学ぶ時のスピード、法を読む語気に表れ、座る姿勢もその表れです。法を学ぶ時は厳粛でなければ師と法を敬っていないことになり、睡魔に隙に乗じられやすく、眠くなりがちです。この点を認識してから眠くなるケースは少なくなりました。しかし、やはり根本から問題を解決できていませんでした。
ある日、私は静かに座ってこう考えました。「おかしい。どうして法を学ぶと眠くなるの? 法を学べば学ぶほど目が爛々としてくるはずだ!」。そう思った途端、私を眠くさせていた物質が突然消えてなくなり、私の脳が急にスッキリとしてきました。それから、そのいわゆる「睡魔」は二度と現れず、私は何の妨害も受けずに学法できるようになりました。時々、長時間の仕事で疲れ切って横たわって休んでいる時、同修の「学法を始めますよ!」の一言を聞くと、眠気がすぐに消えました。
そこで、私は法理上の新たな昇華を得ることができました。いわゆる「睡魔」は大法弟子にとってまったく存在すべきものではありません。以前、「法を学ぶ時は真面目かつ厳粛な態度を取るべきで、そうでなければ容易に睡魔に隙に乗じられてしまう」という私の認識には漏れがあって、「睡魔」を認めていたとも言えます。
実は、大法弟子を学法の際に眠くさせるのは旧勢力による一種の迫害で、しかも最大の迫害です。いかなる口実があっても、それを存在させるべきではありません。なぜなら、師父は旧勢力による一切の按排を承認されていないからです。もちろん、厳粛に真面目な態度で法を学び、師と法を敬うのは大法弟子の本分で、無条件にやり遂げるべきことですが、できていないからと言って、他の要素による妨害を受けなければならないことはありえず、両者はまったく無関係です。
大法は宇宙を創造した根本です。法を学ぶ時に眠くなるはずがなく、学べば学ぶほど頭がますます冴えてくるはずです! この点をきちんと認識しなければなりません。法理がはっきりと分かるようになれば、その睡魔にまた来る勇気があると思いますか?