文╱中国の大法弟子 清蓮
【明慧日本2017年4月27日】昨年のある日、常人の夫は私に「お前はまた、留置場に連行されるよ」と言いました。その時、はじめて自分が法輪功のDVDを配った時、真相を知らない人に通報され、そして監視カメラに撮られていたことを知りました。夫の話を聞いても私は動じず、荷物を片付け、A町にあるもう一軒の家に行きました。
そこで法を学びましたが、気持ちが落ち着かず、効果は良くなく、マイナスな考えが絶えず頭に浮かび、迫害され、労働教養を科され、思想改造施設に送られるなどの、当時の一幕また一幕が目の前に再現し、気持ちはとても重苦しくなりました。その時、「衆生を救い済度しているという基本に立って物事を考えるのではなく」との一念が脳裏に浮かび、それは師父が『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』の中のお言葉でした。私はその説法を探し出して、この言葉を見つけました。師父は「一部のことに関して、皆さんはどうしても理性をもって考えることができません。行なおうとすることに関しても、人心をもって争ったりしています。あなたは自分自身が大法弟子だと考えたことがありません! あなたの責任はどれほど大きいのか考えたことがありません! 衆生を救い済度しているという基本に立って物事を考えるのではなく、いつも人心から考えています! 具体的な問題に遭うと、人心が生じてしまいます! 具体的なことになると、人心が湧き立つのです! 大法はそんないいかげんにやることですか? 本当に正しく対処することができなければ、間違いなく問題が起きるのです。しかも小さい問題ではなく、あなたの生命、あなたの生命の永遠は旧勢力によって終わらされてしまうのです」[1]とおっしゃいました。
私はびっくりして目を覚まし、これは私のことをおっしゃっているのではないかと思いました。以前何度もこの部分を読みましたが、いつも「○○さんはなかなか病業の関門を越えられず、具体的な話になるとすぐ人心が浮かんで来る」、「○○さんはあれこれの問題があって、どうして師父のおっしゃる通りに行わないのか」と他人のことばかり考えていました。今日、やっと分かりました。修煉と言うものは、自分を探さなければならないことをやっと分かりました。
「旧勢力の罠に嵌(は)まった。このままではだめだ。観念を変えなければいけない」と思いました。そこで、「私は大法弟子です。宇宙の中で最も偉大で、最も慈悲なることを行っています。私は法を正す師を手伝っており、衆生を救い済度しているので、いかなる邪悪な生命にも妨害されません」と正念を強め、心の中で繰り返して師父の法「いずれにせよ、師父は旧勢力を認めていません。皆さんも認めないでください。正々堂々と良く行い、それらを否定し、正念を十分にするようにしてください。私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」[2]を暗唱しました。
そして、最近旧勢力に乗じられる隙でもあったのかと探しました。しばらく前に、同修と一緒に地方に迫害の資料を配りに行き、すべてがとても順調に運んだため、歓喜心が生まれ、頭の中に「近年、警官は私に対する監視が厳しく、玄関を出ると廊下にも監視カメラが設置され、また人を雇って私を監視していたにもかかわらず、私はまったく妨害されず真相を伝え人を救うことが出来ました。もしかしたら、警察は体に障害が出るほど迫害を受けた私のことを諦めたのでしょうか」と考えました。このような正しくない考え方が出た時でも私は重視せず、正念を発してそれを一掃しようともせず、知らないうちに有頂天になり、資料やDVDをたくさん配りましたが、法を学び、正念を発することを疎かにしました。
問題の根元を見つけた後、私は覚悟を決め、心を落ち着かせ、「断固として旧勢力の按排を否定し、たとえ私の修煉に漏れがあったとしても、迫害は許さず、認めない、徹底的に否定する」と、精神を集中して強い正念を発しました。すると、心に詰まった物質が一気になくなり、心身ともに軽くなりました。慈悲なる師父は、この問題に関して私の心性が所定の位置に到達したと判断され、別の空間で旧勢力が私に作った難を瞬間的に消してくださいました。
翌日、私は家に戻ることに決めました。「もし、本当に連行されたとしても、それは警察官の中に大法の真相をまだ知らない人がいるということで、それなら、私は面と向かって真相を伝え、その可哀想な命を救いましょう。なぜなら、彼らも法のために来たからです。三界は衆生を救うために作られたもので、邪悪が思うままに横暴を働く楽園ではありません」と思いました。
師父と大法に対する強い信念を持って私は家に帰りました。夫は私を見るとすぐに、「お前は連行されても平気なのか」と言いました。私は「恐くありません。私には師父がおられますから、師父のおっしゃる通りにするのです」と言うと、夫は笑いました。私も笑いました。そうですね、師父は「汝に恐れ有らば 它はじきに抓む 念を正しくすれば 悪はじぐに崩る 修煉の人 法を持っており 正念を発すれば 爛鬼炸く 神世に在りて 法を実証す」[3]と説かれたからです。
もし私達大法弟子が100%法と師を信じて、法を師にし、時々刻々正念を持って自分の良くない人心や観念を一掃することをやり遂げれば、そして、正念をもって法を正す師に手伝い、衆生を救い済度することができれば、私達はきっと師父がおっしゃった「真念で満天が晴れ渡る」[4]のすばらしい境地を体得することができると思いました。
大法の中で今日まで歩んで来られたのは、師父の慈悲なるご加護があったからです。この偉大な法を私達に伝授してくださった師父に感謝します。師父は私達を地獄からすくい上げられ、そして、業力だらけで、利己的で、党文化いっぱいのこの私を平和で、善良で、包容力のある生命に正して下さいました。ここまで書いて、すでに顔一面に涙が溢れてきました。弟子は必ず法をたくさん学び、三つのことをしっかり行い、精進して着実に修め、師父の慈悲なるご済度に背かないように致します。
師父に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『2003年の元宵節の見解』
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「何を恐れる」
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「感慨」