睡魔に打ち勝った体験
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文/広東省の大法弟子

 【明慧日本2017年5月2日】2013年より前の数年間、私は学法すれば居眠りし、煉功すれば寝てしまい、発正念の際も眠くて手が倒れており、学法しても法を得ることができず、煉功しても功を得ることができず、状況は最悪でした。2014年から状況はだいぶ変りました。主な原因は、師と法を敬うことを重視し始めたからだと思います。以前の私は心地のよさや楽な姿勢を求めて、学法のとき、知らず、知らずのうちに背中をどこかに持たせかけていました。グループ学法に参加し始めてから、私は同修とのギャップに気付き、学法の時の姿勢や心構えを正してから眠くなくなりました。そして、絶えず新しい法理が分かるようになり、全体的な修煉状態が改善されていき、主意識も強くなりはっきりとしてきました。

 しかし、それでも100パーセント眠くならない状態を保てませんでした。早朝の煉功のとき、最初は意識がはっきりしていても、第五式の功法を煉る時間になれば眠くなり始めます。ひどい時、たとえ起きたとしても、どうしても睡眠が足りないと感じて、潜在意識の中に「もう少し寝ないと目がちゃんと覚めない」という考えがあって、座禅の後半から意識が朦朧としてしまいます。しかも、その後かならず二度寝します。この状態を変えようと自分なりにはたくさんの方法を試し、明慧ネットでこの方面の交流文章も多く読んできましたが、改善できませんでした。

 ある日、朝の3時40分に起きた私はいつもの通り、しばらく頑張りましたが、座禅を組んで40分ほど経った時点でまたも眠くなり、目を開けたままにしても駄目で、睡魔に勝てずしばらく寝ることにしました。再び目が覚めた時にはもう3時間も経っており、目が覚めた瞬間に、昨日学んだ1段落の法が脳裏に浮かんできました。「空気の微粒子や石、木材、土、鋼鉄、人体など、あらゆる物質の中に、真・善・忍という特性が存在しています」[1]。この説法を十数年の間、100回以上も読んできましたが、これまで別の意味として悟ったことがありませんでした。その瞬間、私は突然別の法理が分かりました。それらの物質も宇宙大法の表現形態で、表現の形式が違うだけで、どの物質にも人間の「眠気」という性質がありません。また、私が眠くなりたくないと思っていても、眠くなってしまうのはなぜだろうか? それは自分の心性がまだ向上しておらず、その次元に達していないからです。自分が無意識のうちに安逸や心地よさを追求していたため、自ら睡魔に隙を与えたからです。もし、私は鋼鉄のような強い意志を修めることができれば、「眠気」に悩まされることがなくなり、石のような動じない堅さを修めることができれば、「眠気」に勝ち抜くことができるでしょう。

 師父は「上士、道を聞けば勤めて之を行う」[2]という説法をされています。私はやり遂げたのでしょうか? いいえ、できていませんでした。もし、私は各方面において勤勉をやり遂げているなら、きっと眠くならないでしょう。もし、夜眠る前にもっと長く座禅し、発正念を行ってから寝れば、もっとまじめにやっておれば、翌朝はきっと早起きできます。もし、昼間に心地よさを追求せず、すぐにベッドに入って寝ようとせず、その時間を活用してもっと多くの真相資料を作ったり、多くの修煉体験を読んだり、多く学法して自分の勤勉の物質を増やせば、だらける物質もきっと減るでしょう。もし、普段の行動や修煉の中で安逸心や怠惰する心を滅し、再びだらけたりしなければ、私の空間場にはきっと眠さという物質がなくなり、私も必然的に眠さに打ち勝つことができます!

 早朝に起きても眠くなることを心配したり、もう少し寝ないといけないなどと考えてはいけません。それは誤った観念であり、排除すべきです。私は自分にこう言い聞かせています。「今日はもっと寝たいという心や二度寝をしようとする心を滅します!」 眠くなると、私はこう考えます。「眠いのはあなたで、私ではない。あなたが眠くなっても、私は眠くない。眠いどころか、もっともっと目が覚めて、強靱な意志の力であなたを溶かします」 、「勤めて之を行います」。このことができてからはだらけが消えて、睡魔に打ち勝つのも朝飯前のように、簡単にできるようになりました。時々少しの眠気が残りますが、主意識はすぐにそれに気づき、捉えて滅することができるようになりました。

 法理は円融(えんゆう・ 個々のものが、それぞれの立場を保ちながら融和し、さまたげのないこと。完全にとけあっていること)しています。睡魔を克服するだけではなく、色欲の心や怨む心を修める際も、もし、あなたが鋼鉄のような強靱な意志を修めることができれば、心が動じなくなります。そうなれば、いくら美しい女性を目にしても、あなたの心は巨木のように動じなくなります。どんなに美しい人を見ても他のどのようなものを見ても、色欲の心が生じないでしょう。主元神――真の自分には色欲の心がありません。神には人間のような低次元の一切の心がありません。修煉するわれわれも、身体が徐々に高エネルギー物質に転化されて、やがて神体になるのです。もちろん上記は一例ですが、他の多くの執着心を取り除く際も、道理は通じ合っているのです。

 法理を悟り、着実に修煉して、行動において「勤めて之を行う」ことをやり遂げたとき、私は長年悩んでいた眠気から解放され、五式の功法を一気に終え、発正念もさらに力強くなりました。

 師父はこうおっしゃっています。「一人の修煉者として、あなたがもし強靭な意志をもたなければ、自分を制御できなくなり、ここまで達するのはなかなか難しいのです」[1] 。実は、痛みであれ、眠気であれ、多くの多種多様なしんどさや心性における辛さ、どれもがあなたを三界内に留まらせる物質です。そこから超脱したければ、それらの物質の制約から抜け出さなければなりません。強靱な意志力がなければできますか! もう一つ心得たのは、同じ問題に対して、もっと高い基準を持って自分に要求すれば、違う結果が生まれるのです!

 個人的な次元の限られた認識ですが、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/29/346350.html )
 
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