安逸心は生活の各方面にあふれている(一)
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文/中国の新しい大法弟子

  【明慧日本2014年9月17日】(次の文へ

 安逸心は深く隠され、察し難い心で、一種の精神的麻薬です。それが生活の各方面に存在し、修煉者の意志をむしばんでいきます。私は2012年7月に修煉を始めた新しい修煉者ですが、以下に自分の経験及びわずかな認識を述べたいと思います。

  小さいころから、私には物事を継続して行う強い意志がなく、何かを長く継続するのは至難の技でした。父がよく言うには、「志のある者は長い目標を立てるが、志のない者は常に目標を立てる」。後者はまさに私の事です。修煉してから分かったのですが、物事を長く継続して行うことができないのは安逸心によるもので、旧勢力は私を駄目にしようと、私にこのような習慣をつけたようです。

  修煉の当初、私は意気揚々として興奮し、20日間ほど楽しく煉功を行いました。ある日、歩いている途中、脳裏にこのような一念が浮かんできました。「小さいころから物事を長く続けられない私が、今回、本当にずっとやっていけるだろうか?!」。結局、翌日は煉功しませんでした。その後、毎回煉功する前に、私に煉功させまいとする力が私を引っ張っているのを感じ、それにうまく抵抗できれば2日ほど煉功を持続できますが、3日目からまた煉功を止めてしまいます。

 師父は『轉法輪法解』「広州での説法の質疑応答」の中で次のように説かれました。「煉功しても三日坊主で、まともに煉ることも、心性の基準に基づいて自分を要求することもできない人がいます。そのような人は法輪大法の弟子とはいえず、どんな事でも起こり得るでしょう」

  しかし、私は三日坊主どころか、二日坊主です。心の中ではそれが間違いだと思っていながらも、突破できませんでした。煉功をしたり、止めたりしています。 心性を修める面においてはまだ法の要求に沿って自分を律しているので、一応自分が修煉者だと思い、病業の虚像が出てもそれを否定し、心が動じませんでし た。

  ある日、夢の中で、自分がまるで一枚の鉄板のように固く、邪悪が成す術もなく、悩んでいるのを見ました。しかし、突然、私は服の裾を持ち上げ、自分の肋骨を見せると、邪悪が喜びました。当時悟らなかったのですが、邪悪はまさに私のこの「軟肋骨」から手を加えようとしました。

  ある日の朝8時、9時ぐらいに、既に起床した私は、横でぐっすり寝ている可愛い息子を見て、彼のそばでもう少しいようと思って横になった途端、ある声が聞こえました。「寝てはいけません。絶対に寝てはいけません」。しかし、私はそれを気に留めず、息子の傍で二度寝をしました。その日の夜から睡魔を招いてしまい、いつも寝る時間よりずいぶん前から眠くて目が開けられないようになってしまいました。

  続いて、私は煉功を早く成し遂げようと焦りを感じ、早朝の3時50分のグループ煉功に無理やり参加しようとしました。3時間半の睡眠(私は毎晩12時の発正念を行ってから寝ます)に慣れていない自分に強引に求めたため、いつも第五式の静功のとき、座って寝ています。早く起きたとは言え、四式の功法しか煉っておらず、しかも二度寝します。人為的に安逸心を放任させました。師父は夢の中で、車の走りが早すぎて、車輪が外れて、飛んでいった光景を見せてくださいました。それでも私は悟らず、毎日二度寝はしないと無理に自分に要求しながらも、結果的に寝てしまい、毎回毎回、安逸心を膨張させてしまいました。

  二度寝してはいけない事に関する交流文章をみて、私は思いました。「私はいつも二度寝していますが、別に何でもありません」。しかし、邪悪はずるいもので、まさに師父が経文の中でおっしゃったように、「だんだんとちょっとした記念品を受け取るようになり、そのうち大きな物までもらうようになり、しまいにはくれるものが少ないと承知しなくなります」(『轉法輪』)。その後、そんなに眠くないときでも、私は少し「休もう」と習慣的にベッドに横たわり、気が付けば、2時間過ぎてしまいました。

 ある日、私は安逸心を無くそうと強く決心しました。師父からのご加持も明らかに感じ、その晩ぐっすり寝てから、翌朝、第四式の功法まで煉功した後も眠くならず、続けて第五式の功法をすることも可能なのですが、しかし私はまたも怠けて、ベッドに戻り寝てしまいました。

 二度寝をすればするほど、私は全身に疲れや痛みを感じ、しかしそうしてはいけないと知りながらも、ますます自分をコントロールできなくなって、少し眠くなればすぐに横になり、アラーム時計が鳴ればアラームを消し続けて寝ました。徐々に、早朝の煉功をしなくなりました。

 再び安逸心を無くそうと決心し、私は大法の本を開き、師父の法像の前で跪き、師父に誓いました。しかし、私には全く改善が見られず、思い通りの行動をしませんでした。

  自分に恥を感じる私は師父に顔を合わせる勇気がなく、明慧ネットを見るのも、師父の法像を見るのも怖くてなりませんでした。他の同修は交流文章の中で、煉功が好きでたまらず、一日も欠かさないと書いているのを見て、自分に照らし合わせ、人がいとも簡単にできたことをなぜ私はできないのか? 私は本当に修めることができないのか? 修煉を放棄するのか? しかし、放棄すれば私にまた未来があるのか? 放棄すれば、邪悪が最も喜ぶのではないか? 放棄すれば、多くの衆生はどうなるのか? 再三に考えて、私は自分がいくら駄目でも、這ってでも厚かましく師父に付いて行こうと決めました。

  子供は私を指さしながら、「厚かましい、厚かましい」と言い、私は返す言葉がありませんでした。身近に話せる同修がおらず、誰も私を理解してくれません。一見、普通に生活している私ですが、実際、誰もが知らないところで、黙々と、安逸心の泥沼から出たり入ったりしていました。師父しか知りませんでした。

  ある朝、私は重い体を粘々するようなベッドから引き離し、起きようとするとき、こんな駄目な私を見て、師父はきっと怒られるだろうと思うと、目の前に師父の慈悲なる笑顔が見えました。きっと師父は私を励まされていたと思います。慈悲で偉大なる師父は私のために業力に耐え、心労され、そのうえ様々な方法で私を励まされました。それでも精進しなければ、私は本当に師父に申し訳ありません!

  ある日の夜、私は疲れ切って、ベッドの横で泣き出しました。一人で修煉するのは本当に苦しく、そばに同修がいればよかったと思いました。翌日、地方からある同修が尋ねて来ました。彼女は蓮のように美しく、私たちは詳しいことを話さなかったのですが、でも彼女が同修であることを察しました。私は嬉しかったのです。師父に感謝し、引き続き前進する力を得ました。

  しかし、時間が経つにつれて、惰性が再び襲ってきました。しばらくもがいてから私は自分に自信をなくしました。その時、ある声が聞こえました。「毎回のチャンスは再び来ません」。それは師父の声でした。それを聞いて、私は初めて気づいたのですが、私には徐々に修煉を放棄しようとする念が芽生えていました。師父は本当にその一念が形成される前に知ることができます。私は自分が危ない境地に入っていることに気づきました。しかし、制御できなくなった車のように、私は止まることができませんでした。

  まるで私が2人いるように、学法しようと思っても結局は学法せず、ボーとしているうちに時間が過ぎてしまいました。煉功しようと思っても結局煉功せず、 何かに阻まれているようでした。朝6時の発正念をしようと思っても結局寝過ごしました。真相紙幣を作ろうと思っても結局未だ作っていません。集めた電話番号を海外の同修に送ろうと思っても結局いつも忘れてしまいます。体がだんだん太ってきて、毎日美味しいものを欲しがり、夢の中では色魔に惑わされ、まぶたにはのりが着いているように感じ、ちょっと座ると寝てしまい、頭には鎧がつけられたように重くてなりませんでした。一講の学法もしんどく、毎回少ししか学ぶことが出来ませんでした。15分の発正念は非常に長く感じ、途中、手が倒れたり、眠くなることがしばしばです。仕方なく、学法の際、私は立ったり跪いたりして、発正念も立ってするようにしています。私は安逸心に厳重に妨害されていることを知りました。

 ある日、私は朝10時に起床しました。修煉者としてはあるまじきことです。夢の中で、私は次元が落ちたのを見ました。

  その後、脳裏によく浮かんでくるのは、「私はもうダメだ、師父は私を見放された」といったマイナスの考えばかりで、内心非常に苦しかったのです。夢の中で、屍が狂うように飛び跳ねているのを見ました。幸い私は「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」を覚えていて、やっと悪夢から目が覚めました。

  一度、明慧ネットで同修の交流文章を見て、突然分かったのですが、修煉は神聖で素晴らしいことで、私が大法を得たのもどれだけ幸運なことでしょう。 どうして放棄できるでしょうか。そう思うと、涙が止まらないほど流れてきました。「師父、師父、私は師父に付いていきたいです」。師父の神聖、高潔、偉大さ、無量の慈悲が一切を溶かし、一切を包容できると思いました。私は心底から叫びました。「師父、私は師父についていきます!」。その後、私は再び正念を取り戻したのを感じました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/9/12/297630.html)
 
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