師父が按排された道を歩む
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年5月1日】旧勢力が按排した道を歩むということはどういうことでしょうか? 個人的には三つの場合があると思います。一つは旧勢力が按排した破滅への道を歩み、つまり邪悪の要求に協力することです。もう一つは修煉の中で旧勢力が按排した試練に耐え、旧勢力が按排した関門を乗り越えることです。さらに一つは旧勢力の按排を受け入れたくないのですが、しかし、旧勢力に敏感に反応し、その結果、「旧勢力の按排を否定する」ために修煉をするということです。以上の三つの表現は、旧勢力の按排に従うか従わないに関係なく、いずれも自分の修煉を旧勢力の按排と一緒にして、旧勢力の按排に取り囲まれて修煉をし、結果、故意にか知らずにか旧勢力が按排した道を歩んでしまい、真に師父が按排された道を歩まないことになるのです。

 法を正す時期の大法弟子として、私たちには師父のご加護があり、大法のご指導があるので、十分に円満成就することができます。ですから、旧勢力に取り囲まれて修める必要もなければ、そうすべきでもありません。具体的に言えば、修煉の中で何かに遭遇すれば、ひたすら大法に照らして、法の要求通りに行ない、100パーセント実行し、法と師を信じて、正念を持って正しく行なえば、乗り越えられない関はありません。旧勢力の按排を気にすることはまったくありません。

 情勢と環境がどう変わっても、私達の修煉の基準は変わりません。つまり自分を修め、邪悪を一掃し、衆生を救い済度することをしっかり行なうことです。私達が置かれている環境は師父のご按排なのか、旧勢力の手配なのかに関係なく、大法を基準にすることです。言い換えれば、誰が按排したのかを考える必要もなく、法に則って対応できるかどうか、それを考えることが一番重要なのです。よい事でも悪い事でも、法に則って対応し、正念を持って正しく行なえば、最終的に必ず良いことになります。

 師父は「何も変わっておらず、師父はやはり当初の師父で、宇宙の法は永遠に変わりません。(熱烈な拍手)ただ、この迫害の中で、このいわゆる試練の中で、執着を取り除いた人もいれば、取り除いていない人もいます。さらに執着が増えた人もいます。これはこのいわゆる試練の中で現れてきた状態です。皆さんが変化しており、大法弟子が変化しているのです。正の方向に向かって変化しなければ、負の方向に向かっていきます。これは間違いのないことです」[1] と説かれました。

 私達は心の中から、旧勢力と旧勢力の按排に対する執着を徹底的に放下し、彼らのことを気にせず、たとえ旧勢力が按排したことだとしても、特別な考えを持たないで、ただただ大法に照らして、放下すべき執着を放下し、邪悪を一掃するように発正念をし、救うべき人に真相を伝え、法に則って行なえばいいのです。「大道は至簡至易である」[2] ですから、ひたすら師父のご指導の下で真・善・忍に基づいて修煉すれば結構です。

 旧勢力に大法弟子の修煉を按排する資格はありません。彼らは大法弟子が発正念をして一掃する相手です。大法弟子と旧勢力との関係は按排と按排される関係ではなく、一掃するものと一掃されるものとの関係なのです。

 法を正す時期の大法弟子にとって、今、どこに身を置かれていても、家にいても、会社にいても、留置所や刑務所にいるとしても、それはただ修煉の環境が違うだけです。修煉の要求と基準は変わりません。すべては法を師にして、何事も大法に従い、やるべきことをやり、100パーセントに実行し、正念を持って正しく行なえば、法を実証する道は必ず開け、大法弟子の歴史的な使命は必ず果たすことができるのです。

 以上は現段階で個人的に悟ったものです。適切ではない所があれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「功法の特徴 」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/3/7/383550.html)
 
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