別の角度から執着心を見る
■ 印刷版
 

文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年6月11日】修煉の過程において「全ての執着心」が「魔」であり、彼らは人のまだ放下できていない「人心」を利用して人を操り、間違いを犯させようとしているのだ、と私は悟りました。

 ある日バスに乗ろうとしました。たまたまバスの運転手は兄の友人で、私も知っているハンサムな人でした。バスに乗った時、自分の脳裏に「色欲心」が湧いて来たと感じました。それを否定する暇(ひま)もなく、運転手は「あなたは乗車券を買わなくてもいいですよ」と親切に声をかけてくれました。私は笑顔で運賃箱に料金を入れて無意識に彼の肩を叩いて、そのままバスの奥の方に進みました。しかし、この行動は私と運転手にとって、とても気まずい思いをさせました。自分のその行動にびっくりして、頭の中は真っ白になりました。なぜなら、自分はこれまでとても保守的な人間だと思っていたからです。家に帰ってから、その色欲心を絶えず否定し、発正念をして一掃しました。しかし、バスに乗っていた時、その「色欲心」を自分だと思い込み、「自分の色欲心がどうしてこんなに強いのか」と悔しく思いましたが、どうにもならないことでした。幸い、師父は私がこの人心を修めようとする願望があるのをご覧になって、あの気まずい局面を解消してくださいました。

 執着心の裏に隠れている「魔」はとても欺瞞(ぎまん・人の目をごまかし、だますこと)性があり、時にはそれらを分別することが出来ますが、主意識が強くなければ、或いは法をしっかり学んでいなければ、それらを自分だと勘違いしてしまいがちです。そうした場合、自分がそれらのに操られてしまい、そして、「こんなに長く修めていても、どうしてまだ執着心がこれほど強いのか」と戸惑ってしまいます。実は、それらのを自分としっかり区別して考えれば、それらは自分ではないことが容易に分かります。

 師父は『轉法輪』の中で、「人間の最初の生命は宇宙に起源を持つということです。真・善・忍という特性を持った宇宙空間は本源的に善良なものであり、人間も生まれた時は、宇宙と同じ特性を持っています」と説かれました。「これらの汚い執着心は私が下りて来た時、旧勢力によって少しずつ加えられて来たもので、法を正す時期に、それらの執着心を利用して私の正念を妨害し、私の修煉を妨害し、法を正す師に手伝うことを妨害し、そして、世間の人々を破滅させようとしている」と私は理解をしました。

 その後、これらの汚い魔が脳裏に顕れると、私は先ず「あなたは真の私ではない。真の私にはこれらの廃物はない。旧勢力の按排を認めない、師父が按排してくださった道しか私は歩まない、私を操ると思うな! 滅! 滅!」と考えました。すると、それらのは明かに弱まってゆき、消えてゆくと感じました。

 旧勢力の陰謀を暴き、否定するためにこの文章を書きました。次元に限りがありますので、正しくない所があれば、同修達からのご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/22/387661.html)
 
関連文章