「口癖」で執着心を隠さないように気をつけよう
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年4月26日】大法修煉の中で、時には一部の同修は意識的に、あるいは無意識的に「口癖」(くちぐせ)で執着心を隠そうとしています。以下では、幾つかの例を挙げて見ましょう。

 一、「すべて師父のご加護です!」

 ある同修夫婦がいます。妻はいつも訳が分からず転んで怪我をします。夫も何度も交通事故に遭い、もう少しで命を失いそうになり、その後、奇跡的に助かりました。彼らはいつも口癖のように「すべて師父のご加護です」と言っています。この言葉自身は間違っていないし、師と法を固く信じていることも否定しません。しかし、毎回このような危険に遭遇した時、どうしてこれだけ大きな魔難に遭ったのか、一体どのような「人心」がそれを招いたのか、その原因を内に向けて探したのでしょうか?

 彼らと交流することを通して、妻には夫を「見下す心」や「闘争心」があることが分かりました。一方、夫には「色欲心」があり、表面上ではこのような行為はもうなくなりましたが、しかし、根絶したとは言えません。人心が起きた場合、夜、夫は妻の部屋の前で騒ぎ立て、夢の中でもこの関門をしっかり乗り越えていないということでした。妻は夫に「色欲心があるのよ」と指摘すると、夫は「もう絶対ない、あれば、もうとっくに交通事故で死んでいる」などと弁解しました。結果、夫は本当に交通事故に遭いました。幸い、師父に見守られ、命だけは何とか助かりました。

 これは意識的に「すべて師父のご加護です」と言う口癖で、自分の執着を隠そうとしている事例です。実は、他にも「羞恥心」(しゅうちしん)や「顕示心」なども隠されているように思いました。

 二、「最近、法を習うことが足りていません」

 ある同修はよく怪我をしました。どうしてこのような魔難が繰り返して起きるかと聞くと、彼は口癖のように「最近、法を習うことが足りていません」と言って、とても誠実な語り口でした。

 しばらく観察すると、この同修は商売にとても執着していて、携帯電話の安全性を重視していない問題があることに気付きました。彼に問題を指摘しましたが、携帯電話の安全性について、未だに十分認識されていないように思いました。これは無意識的に「最近、法を習うことが足りていません」という言葉で執着心を隠し、内に向けて探さない例だと思いました。

 三、「すべて師父による神の奇跡です」

 ある同修は何度も連行され、迫害を受けました。しかし、毎回、毎回早く家に帰ることが出来ました。この話に言及すると、彼はいつも「すべて師父のご按排です。神の奇跡です。だから、迫害を否定することができ、早く家に帰ることが出来ました」と言います。

 実は、この同修が迫害される原因はとても簡単で、携帯電話の安全性に不注意だったからです。携帯電話が盗聴器であることについて、師父は何度も説かれました。ここでは師父の説法をもう引用しないことにします。

 一部の同修は「携帯電話の安全性を重視しないのは、行動の問題で、心性の問題ではない」と思うかもしれません。

 しかし、師父は「本当に信じていれば、あなたの言行は必ず一致しなければなりません」[1] と説かれました。携帯電話の安全性を重視しないのは、正しく師父と法を信じていないことではないでしょうか? 師父は「わたしの話を聞かず、大法の要求に従って行なわない人がわたしの弟子でありえますか? これは大法と対立することをしているのではありませんか? これが破壊でなければ何でしょうか?」[2] とも説かれました。

 この同修が繰り返して迫害される主な原因の一つは、正しくこれが原因なのです。これも意識的に自分の執着を隠そうとしている例だと思いました。

 大法修煉は殊勝かつ厳粛なものです。内に向けて探し、人心を修め、法から少しも逸脱してはいけません。師父は「修煉の中にいかなる人間のものを加えても、極めて危険なのです」[3] と説かれました。

 くれぐれもこの千載一遇の機縁を逃さずに大切にし、法を学び、心を修め、精進に精進し、三つのことをしっかり行なって行きましょう!!

 適切でない所があれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「猛撃一掌」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「根を掘る」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/4/384722.html)
 
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