文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年6月16日】私は1998年から法輪大法の修煉を始めました。この二十数年間の修煉ですべての病気が完治しました。今年で70歳を過ぎましたが、肌が白くてツルツルしているため、知らない人達に、50代位だとよく言われます。今回、私は大法を修煉してからどのように嫁達と付き合ってきたかを述べたいと思います。
私には息子が4人がいて、嫁達と孫達を加えると、十数人もいる大家族です。大家族なら、大きいトラブルはなくても、小さいトラブルがたくさんあり、特に姑と嫁との間のトラブルです。
私の長男、三男、四男と嫁達との関係が良く、彼らは家に来ると、私が大法を学ぶ時間を確保できるように、できるだけ嫁達は子供達の面倒を見ていて、私が外にいるのを見ると、私に「お母さん、今日はまだ学法をしていませんよ!」と声をかけてくれます。彼らは私の修煉のことを気にかけてくれて、出稼ぎで他の都市に行ったときも、負担をかけないように、できるだけ下の子供を連れて行き、上のおとなしい子供を置いて行きます。また、彼らは私に楽な生活をさせるために、必要以上のお金をくれます。彼らは新しい家を買い、最も広い部屋を私に、新しいベッドや、布団を買ってくれたり、新しい洋服や靴を買ってくれました。
村の人達はみんな私を羨ましがりました。彼らは大法弟子の私に善意で対応してくれたので、大法の福報を得られたと、分かりました。彼らがいくら私に優しく対処してくれても、私は口頭で彼らに感謝を表しているだけで、歓喜心は出ていません。
次男と次男の嫁は、他の子供達とは違って、彼らは私と敵のように対応していました。私が子供の面倒を見ようとしても、見させず、また彼らの畑仕事を手伝おうとしても断られました。しかも、彼らからは食料やお金は一切もらっていませんでした。しかし、他人の前では、私が子供の面倒を見ない、畑の仕事も手伝ってくれないし、他の3人の息子とその家族だけが好きで、だから皆嫌いだと次男達は言っていました。彼らはいつもちょっかいを出しては、私の悪口を言い、私を殴ろうともしました。しかも、悪口が酷過ぎて、それを聞いた近所の人達は「子供が親に向かって言うことではない」と言っていました。孫達の結婚式にも私には一切関わらせませんでした。
次男と嫁にこのような仕打ちをされても、私は彼らを憎まず、師父にご教示いただいた通り、トラブルに遭う度に、内に向けて探しました。何らかの因果関係があるとわかっていたので、この事は気にせず、雨の日に外に干していた洗濯物を片付けてあげたり、お昼に帰って来れなければ、孫達のご飯の支度をしたり、孫達が転んで衣服が破れたら着替えをさせたりしました。彼らは私がしてあげたことに対して、感謝するどころか、私に暴言を吐きました。しかし、彼らからの悪口に対して、私は全く怒りませんでした。なぜなら、師父は私達に「どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」 [1]と説かれているからです。
一昨年のある日、次男の嫁はちょっとしたことで私に暴言を吐きました。私は「あなたはいつも私に暴言を吐いているけど、私はいつも相手にしませんでしたよ。私は法輪功を学んでいるし、それに我々の大法の師父は「良い人になり、そしてさらに良い人になり」と教示されているからですよ。あなたはうちの嫁さんであり、家族なのに、もしあなたと争い合ったら、私達の恩怨がますます深くなり、私達にとって、何も良いことはないでしょう? 私が修煉していなければ、きっととことんまであなたと争い合っていたでしょう。今まであなたから悪口を言われても、あなたを責めませんでした。私はいつも、自分のどこがいけないかと探していました」と言いました。すると、嫁は黙っていました。
去年の夏、故郷で災害が起きました。次男と嫁は外出しいて帰って来なかったので、私は彼らの畑が浸水しているかどうか様子を見に行きました。野菜に付いている泥をきれいに洗い、倒れた農作物を直すつもりでしたが、河川を渡った時に、河水の流れが急だったので、私は10メートル以上流されて、ちょうど彼らの畑まで流されました。師父に助けていただいたとわかりました。私は畑にあった野菜の泥をきれいに洗い、倒れた農作物を直してから家に帰りました。このことを近所の人や次男達に知らせましたが、今回、彼らは何も言いませんでした。
それから、次男達は私に対する態度が良くなり、現在私達の関係はとても良くなりました。
師父のおかげ、大法のおかげで、私はトラブルに遭う度に「忍」ができ、トラブルに遭ったら、内に向けて探すことができました。師父のご教示のおかげです。私は家庭でのトラブルから心性を向上させることができました。家族のおかげで自身の怨恨心、闘争心、歓喜心を取り除くことができました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』