「忍」の楽しさ
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年9月24日】私は2016年3月から大法修煉を始めた新しい大法弟子で、修煉してからすでに1年余りになりました。

 大法の修煉をする前、私は頑固で、口が悪く、どんなことでも白黒をはっきりさせなければ気が済まない性格で、そのため、私達夫婦はいつも口喧嘩ばかりをしました。私にとって、夫が何をやっても気に入らず、彼の頭のてっぺんから足の先まで欠点ばかりで、とにかく彼の事を気にいらないのです。私は心の中が辛く、いつも顔を曇らせ、愚痴ばかりを言って、家庭関係も冷え切っていました。

 大法の修煉をした後、私は師父の要求通りに自ら修め、心性を高め、真・善・忍に基づいて身を処して、夫に対して優しくなり、辛抱強くなり、そして、夫の言動を受け入れるようになりました。ここでは修煉後に起きた一つのエピソードを皆さんと分かち合いたいと思います。

 昨年の夏のある蒸し暑い夜、夫は仕事から帰ってから、冷麺を食べたいと言い出しました。夕飯を準備し終わったところで、ちょうど6時前になったため、私は夫に「先に食べてくださいね。私は発正念をしてから、いただくわ」と言いました。静かに正念を発していると、突然、彼が「こんなに食べきれないほどの冷麺を作って、どうするつもり?  20年もご飯を作って来たのに、どうしてこれぐらいの分量も分からないのか」と大声で怒鳴っているのを聞こえました。それからの彼の言葉はますます聞き苦しくなり、あれやこれやと文句ばかり言われました。

 私はかっとなって来て、爆発させようとした時、突然師父が説かれた一石四鳥の法を思い出しました。「彼に怒ってはいけない!怒るどころか、彼に感謝しなければならないのではないか」と思った途端、怒りが一気に消えてなくなりました。そして、私は立ち上がって笑顔で彼に、「今日、あなたの怒鳴り声は何故か歌声のように美しく聞こえたわ」と言いました。それを聞いた夫は目を大きくして、とても驚いて不思議そうな顔で、私をしばらく眺めてから、くるりと背を向けて行ってしまいました。

 夫が離れていく後ろ姿を見て、私は笑い出してしまいました。

 「忍」というのは心の上に刃が乗っているのですね。大法を学ぶ前、私は「忍」と言うのは弱腰で、理不尽な事に逆らおうとせず服従して、とても苦痛なことだと理解していました。今度のことを通して、私ははじめて修煉者の「忍」は決して辛いことではなく、むしろ楽しいことだと体得しました。

 この文章を持って、同修たちと励まし合い、奮い立って追いかけ、さらに精進して行こうと思いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/21/351009.html)
 
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