文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年8月15日】私は2006年に大法を得た大法修煉者です。今年42歳で、今は海産品の商売をやっています。ここで、自分が法を得たときに出会ったことを、皆さんと交流したいと思います。
私は幼い頃、常人が見えない光景が見えていました。次元が低いので、何かを見たときに気分が悪くなって怖くなったり、時には病気になったりもしました。
小学5年生の頃、度々同級生に「『佛』という文字を辞典で調べて欲しい」と言われていました。その時、私は「佛さまは神さまでしょう。天上で飛べるのでしょう」と思っていました。私は映画で、少林寺の大雄宝殿の佛像を見て、妹に「出家してお寺で修行すれば、佛になれるのかなあ」と聞くと、妹は「お母さん、姉さんが出家したいと言ったよ!」と叫んだので、「何を考えてるの!」と母は私をいましめました。私は妹に小さな声で「出家しないで、佛になるための修行ができる方法があるのかしら? 私は親に孝養したいの」と言うと、妹は「そんな良いことがあるわけないでしょう」と答えました。
ある日、テレビで中国の新しい国家主席(江沢民)を見て、大きなヒキガエルが拍手しながら歩いているのが見えました。私は驚き「彼はヒキガエルだ! お母さん見て! 彼の指の間には水かきがある。お父さん早く見て! 江沢民はヒキガエルだ!」と叫んでしまいました。その時、お父さんは近所の人と喋っていて、近所の人は「お嬢さんは文化大革命の時なら、牛舎に送られているところよ」と言い、お母さんは私の背中を強くつねりました。 近所の人が帰った後、お母さんは小さな声で「自分が見えたことを他人に言わないでね。わかったわね」と念を押され、私は「はーい」と答えましたが、でも江沢民がなぜヒキガエルなのかと当時、不思議に思いました。
1994年から私は毎晩寝れなくなり、寝ようと思うと神様や死んだ人、古代の人、いろいろな光景が見えていました。その頃、私は16歳で学校の寮に住んでいて、誰にも言えなかったので、すべてこれらを日記に記入していました。
1994年6月21日、就寝時間になると私は誰かに助けてもらえると思って、以前と違って徐々に眠れるようになりました。眠りについた時、自分が外で飛んでいると感じました。私は二つの山の間の橋のある所を飛んでいて、下を見ると橋の下には水がありません。私は橋に降りて行き橋を渡り、山の下では男性と女性が剣術を練習していました。その女の子は私を見て、私のことを知っているようで嬉しそうに「師父はあなたを待っておられます」と言いました。私はその女の子に着いて、山頂に上りました。山頂には一人の背の高い、金色の服(今の煉功用の服)を着た男の人が、私に背を向けて立っていました。女の子は、「師父、来ました」と言うと、師父は私に向かって来られたので、私はすぐ跪き、顔はほぼ地面につけたので、師父の顔ははっきり見えませんでした。師父は「あなたは先に降りて、あなたは第二…」、あとの話がまだはっきり聞こえませんでしたが、瞬時にさっき来た時の橋の所に着きました。私がまた橋の下を見ると、今回は前回と違って、橋の下に多くの殺された蛇の頭がころがっており、その蛇の頭が私をじっと見ていました。ある声が聞こえてきて、「早く行って」と言われ、私は目が覚めました。
その後の7、8日の間は、私は毎晩良く寝ていました。朝起きた時、心からわけのわからない嬉しさがこみ上げてきました。法を得た後、同修から1994年6月21日に、師父は山東に来られてここで2回目の法を伝えられると教えてくれました。師父の法力は無辺で、私の元神を外に移動させ、そして私のためにいろいろな妨害を排除されました。でも、「第二…」という意味は何なのでしょうか? あとでまた何か説かれましたが、何だったのでしょうか?
1997年の冬、私の伯母さんが『轉法輪』という本を渡してくれました。本の中の師父の写真を見ると、師父が私にニコニコされ、なんだかすごく親しいと感じましたが、どこかで出会ったことがあると思っても思い出せませんでした。私は3日間でその『轉法輪』を読みましたが、まだしっかり理解してないのに、伯母さんは『轉法輪』の本を取り戻しにやって来ました。
あれから10年が経ちましたが、私はずっと貧しく、いいことが全然なく、悪いことをやっていないのに最後は私のせいにされました。10年間、仕事上にしても家庭の事にしてもいろいろあって、私は心身ともに大きく傷付きました。
2005年12月、私は母と県城でベーカリーを開きました。お金を節約するために人を雇わず、すべての仕事は私と母がやっていたので、大変辛かったです。
ある日、私は母と仕事をしながら喋っていました。「お母さん、大家さんが2階に貼ってある釈迦牟尼佛の画像を見ましたか? 神様は本当に存在してますか?」と私は母に聞きました。「わからないわ」と母は答えました。私は「もし神様がおられるのなら、一番次元が高い神様がおられるでしょう。釈迦牟尼はどうやって佛になったか、私は一番次元が高い神様の弟子になりたいです。もし最高の神様の弟子になれれば、どんなに晴れ晴れしいことでしょう。誰からもいじめられないでしょう。もし師父がいらっしゃるなら、師父は今どこにいらっしゃいますか? なぜ私を探しに来られないのですか? このまま生きていても意味がないですね。お母さん、私の誠意を示すため、私は線香を買って拝みます!」と言って、デパートに線香を買いに行きました。佛家が9を重んじるということを聞いたことがあるので、私は窓の框(かまち)に香炉を置いて9本の線香を焚いて、母の手を掴んで「お母さん、私と一緒に拝みましょう。私と一緒に、『この世界に神様がいらっしゃると信じています』と言いましょう。『私は最高の神様の弟子になりたいです。この線香は神様のために焚いています』と言いましょう。体についている良くないものをこの線香の香りで追い出しましょう。私の一切は最高の神様にお願います」と言いました。母は私の様子を見て笑っていました。
私はしっかり9回伏して拝み、線香を香炉に差し込む時に、パーっと線香に火が着いてしまいました。私はびっくりして、線香を取り出して火を吹いて消しました。また差し込むとき火がまた着きました。このように火が着くと吹き消し、また火が着いてはまた吹き消し、9本の線香はすぐ燃え尽きました。
4日後、隣に新しい住民の人が引っ越して来ました。その隣のお姉さんは私に「天安門焼身自殺」事件や「法輪功」の迫害の事を私に詳しく話して聞かせました。私は母と本名で中国共産党の組織から脱退しました。私はそのお姉さんに「わたしは法輪功の本を読みたいです」と言うと、お姉さんは法輪功の本を私に渡しました。本を開き師父の写真を見ると、笑っておられました。写真の中の師父が目くばせされると、私の下腹部のところが熱く感じ、また震動していました。後にこれは師父が私に法輪を与えられたのだと分かりました。
その後、私は風邪のような症状が現れ、何度も吐き、吐いたのは緑の毛のようなとても臭いものでした。約4カ月経って嘔吐の症状が消え、十二指腸潰瘍の病気もなくなり、体重も10キロぐらい増えました。しっかり寝れるし、ご飯も美味しく食べれます。耳の中の瘤も消えました。これは師父が私の体を浄化されたのだと分かりました。
隣のお姉さんはパソコンで、師父の法輪功の動作を教える映像を見せてくれました。私は金色の煉功服を着ておられる師父を見て、そして師父の声を聴いて、学生時代の時の夢を思い出しました。「この方は私の師父ではないでしょうか?!」。五式の功法を勉強して、毎日3日間しっかり煉功していました。4日目、私は第三式の「貫通両極法」を煉功したとき、師父の声で「時計回りに法輪を4回回して」を聞くと、お腹の所で法輪の回転が感じられて、とても不思議でした。
『轉法輪』を全部読み終わった当日の夜、私は夢の中で、自分がある大学の教室の中に座っていました。周りの人が皆何か解答しているようです。私が周りを見ていると、2人の試験官が教室に入って来て私を見ると、嬉しそうにその中の一人が私を指して「やっと来ましたね」と言いました。私はすぐ立って「先生、私は大学に入ったことがありません。大学の知識がないのに、なぜここへ来たのでしょうか」と言うと、試験官の先生は「あなたはここに座りなさい。ここがあなたの座席です」と答えました。
今振り返って考えると、私は「第二段階の弟子」だと分かりました。師父は私を選択してくださり、大法を得させてくださり、本当にありがたいことです。何段階でもいいのですが、私は必ず精進してしっかり修めて、師父の済度のご恩に報いたいと思います。
師父は「寺院に行かず山にも入らぬ 通学、耕作、通勤す 人心を直に指し法に照らして修め 俗世の清潔なる蓮に悪沾たず」[1]と説かれました。私は小さい頃に妹と「お寺に入らなくても、佛を修煉できるのか」という話を思い出して、すぐ妹にもこれを伝えました。妹も修煉の道に入りました。そして、私の母も法を得ました。
あっという間に13年が過ぎました。私の親戚も大法の真相が分かって、私たちが真相を伝える時、親戚も協力して多くの人が真相を理解して、修煉の道に入りました。
皆さん、もしまだ『轉法輪』を読んだことがなければ、本当に惜しいことです。どうか自分の観念を放下して、自分の身分を放下して『轉法輪』を読んでください。そうすれば、あなたの人生が必ず素晴らしいものに変わります!!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「修煉の形式」