「善良で 優しかった母を返して」
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 【明慧日本2019年8月17日】私は李雪松と言います。私の母は孟紅という名前です。2019年7月26日午後7時ごろ、黒竜江省女子刑務所から突然に私の家族に電話がかかってきて、「孟紅は血圧が高くて、心臓にも問題がある。今から、孟紅をハルビン医学大学付属第二病院に送る。治療費を用意しておきなさい」と言われました。

 すぐ、私たち家族は病院に駆けつけました。しばらく待っていると救急車が到着しました。救急車のドアが開けられ、2人が母の胸部を押さえているのが見えました。その後、母が救急室に運ばれましたが、10分後、医者が私たち家族に「応急処置したが、孟紅は何の反応もない」と告げました。

'哈尔滨<span class='voca' kid='53'>大法</span>弟子孟红'
孟紅さん

 母は1941年4月22日に黒竜江省の農村地区に生まれ、小さいときから生活が苦しく貧しかったのです。母は自分の生い立ちを話してくれました。「学校へ通っていた当時、新学期が始まるといつも学費が払えず、泣きながら母親にどこかでお金を借りるように頼んでいたそうです。母は一生懸命勉強してやっと都市の学校に進学できました。就職もできましたが文化大革命の時に、家が地主の身分でまた農村に行かされました。文化大革命後、ハルビンに戻ることができましたが、いつも小心翼々で生きてきたそうです」。確かに母は口数の少ない、優しい人でした。

 母が病気になって手術をしてから、気功に興味を示しました。1996年5月、私は『轉法輪』を持って帰り、母に見せました。母が本を読んだ後、法輪功の修煉をし続け、暑い夏も厳しい冬も1年中、朝早く起きて煉功をし、法も学びました。それで母が変わり、健康になり、心もずっと広くなりました。会社で母はエンジニアとして、数回も優秀職員と評価されました。私はいつも「お母さん、長く生きれば生きるほど若くなっていくね」と言ったことがあります。母の物事についての見解の正しさは、誰もが認めていました。母が「これは大法のおかげだよ。大法と師父に感謝しなければならないわ」といつも言っていました。

 2012年5月22日午前11時、母が黒竜江大学で法輪功が迫害されている真相資料を配った時に、大学派出所の警官らに連行されました。その後、ハルビン市保健路派出所の警官らが家にやって来て、家宅捜索をしました。

 その後、母がハルビン第二留置場に送られましたが、年齢が高齢であるため留置場側が母の入所を断りました。しかしその後、母が南崗区裁判所に懲役7年の実刑を言い渡されました。年齢の問題で保釈されましたが、次の年の3月27日朝9時、南崗区裁判所の裁判長・文と南崗区公安分局の警官らは突然、家に不当に侵入して来て、当時73歳の母を連行して、黒竜江女子刑務所に送り込みました。

 母が刑務所に拘禁される前は体もとても元気で、顔色も良かったのですが、6年の間、刑務所の中であまりにも酷い迫害を受け続けて、突然、亡くなりました! 

 私はここで「悪いことを何もしていない、善良で優しい母を、なぜ、死ぬまでひどく迫害したのですか」と、中国共産党当局人達に問い詰めたいのです。「善良で、優しかった母を返して」と心の底から叫び、元気な母を返してほしいと訴えたいです。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/7/30/390809.html)
 
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