師父は弟子の娘の私まで 見守ってくださった
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 文/中国の大法弟子の娘

 【明慧日本2019年7月20日】私の名前は陽陽と言い、大法弟子の娘です。母は世界で最も偉大なる李洪志先生の弟子です。師父が「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[1] と説いておられることを母から聞きました。以下のことは、は師父がこの大法弟子の娘である私を見守ってくださった真実の話です。

 一、独りぼっちの私にもう一人の母

 11歳の時、母は大法修煉のため不当に連行され、独りぼっちになった私は、山東省にある飲食店を経営する親戚の家に連れられ、そこで暮らすことになりました。

 そこでは私は毎日たくさんの仕事をしなければなりませんでした。一番怖いのは週末でした。一日中休みなく仕事をしなければならず、宿題をする時間すらなかったのです。ある日、お腹があまりにも空いて、客が残したものを食べてしまいました。それを見た親戚は「自分をお客さんだと思っているのか!」と怒鳴りました。それより怖かったのは、親戚は新学期から私を学校に行かせないつもりでいました。つまり、給料を払わなくて済むし、労働力にしようとしたのです。

 6月1日の子供の日に、私は母が以前に買ってくれた電子ピアノを持って、同級生の家に行きました。踊りの伴奏をしたのですが、その日はとても楽しかったです。気付いたら同級生のお母さんは私を見ていて、その目差しは母みたいに親切でした。

 私は聞こうとしましたが、それより先に「あなたはどこから来たの?」と聞かれ、驚いた私は「私を知っているのですか?」と聞きました。するとおばさんは「そうよ、夢であなたを見たの。半月になるけど毎日夢に現れ、最初は遠かったけど段々近づいて来たの。今日会えるなんて、どんな縁なのかしら?」と言って私を抱きしめてくれました。私には分かりました。これは師父が按排されたもので、頼る者もなく、心細い私を助けに来てくれた人だったのです。

 おばさんは自分の家でご飯を食べさせようと、私を誘ってくれましたが、迷惑をかけたくなかったので、私はいつも「家に帰って食べる」と言って、断っていました。ある日、帰ろうとしていた時、おばさんは「自分も行ってみる」と言い出しました。本当は誰もご飯を作ってくれないので、断りたかったのですが、おばさんの目を見たら、それが言えませんでした。帰る途中、残飯でも良いので、何か食べ物があるように願いましたが、親戚が借りてくれた家に着いて、台所に入って見たおばさんは何もかも知ってしまいました。ホテルでお客さんが残したものがなければ、私は食べるものがないのです。おばさんは「すぐ帰ってくる」と言うと、どこかにでかけて行きました。

 少し経って、おばさんはゆで卵が入ったうどんを持って来ました。その温かいうどんを見て涙が止まりませんでした。「家はどこなの? お母さんは?」の質問にさらに涙が流れ、「母は法輪功修煉のため刑務所にいて、今自分は親戚の家にいる」と答えました。それを聞いたおばさんも涙を拭きながら「おばさんの家に行こう。裕福ではないが、あなたはお腹を空かせることはないし、法輪功修煉者は悪い人ではないので、これからはどこも行かないで、おばさんの家で安心して暮らしても大丈夫よ」と抱きしめてくれました。

 その日から、私はおばさんの3人目の娘となりました。毎日楽しく同級生と一緒に学校へ行き、段々と元気を取り戻しました。

 あの意地悪な親戚はこのことでおばさんを脅したり、悪い噂を流したりしましたが、優しいおばさんはそれでも私を親戚へは返しませんでした。こうして私はおばさんの家に3年も住みました。その後、おばさんも福報を得ました。長女が結婚後に起業して、おばさんも裕福で幸せになりました。これは大法がその優しい一家に与えられた福報だと分かりました。

 どんな言葉を持ってしても、慈悲で偉大なる師父への感謝の気持ちを表すことができません。もしあの時にずっと親戚の家にいたら、自分がどうなっていたか想像もつきません。

 二、ヤクザを追い払う

 2009年、母が帰ってきたので、優しいもう一人の母と別れ、南方のある都市に行きました。

 ある日、学校の帰りにバスを待っていると、突然、バイクが私の前に止まりました。それに乗っていた男性は無理矢理に私を連れて行こうとしました。

 当時、時間も遅かったので周りに人が少なくて、とても怖かったのですが、その時、師父を思い出し「李洪志先生、助けて下さい!」と心で叫びました。そう思ったら、本当に奇跡的にそのヤクザの手が止まり、私を掴めずに立ち去ったのです。

 恐怖で立つことすらできなくなった私は、涙を流しながら「また師父に助けてもらいました。どう感謝すればよいでしょうか」と思いました。

 三、成績が上がる

 一時期、同級生とゲームにはまり、それしか考えなくなった私は、成績も学年で179番まで下がってしまいました。1カ月後のテストの成績でクラス分けをするので、私も母もとても焦りました。母は「一番良いのは学法することで、頭の中の良くないものを整理することだ」と言い、私と一緒に『轉法輪』を読みました。

 それにより雑念がなくなりました。また母に教えてもらった「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」をずっと暗唱しました。

 テストの日、奇跡が起こりました。すべての問題が私の復習した範囲内のものでした。成績発表後、なんと市内の重点学校、重点クラスに入学したのです。

 今回のテストを通して、再び、大法の奇跡を感じることが出来ました。慈悲なる師父がまた助けて下さったのです。

 四、友人を探す

 2009年の夏休みに、母と共に東北の実家に帰りましたが、その後、学法グループに参加した母は再び連行され、私は一人で南方に帰らなければなりませんでした。

 北京に到着して南方行きの列車のチケットを買おうとしたら、お金が足りないと気付きました。どうしようもなく、私はアルバイトをしながらお金を貯めることにしました。そして果物を仕分けして、再梱包する仕事が見つかり、一日でも早く帰れるように朝から晩まで仕事をしました。夜は経営者に頼み倉庫で寝ました。

 ある日、友達に会いたくなり、ネットカフェに行きました。QQにログインすると見知らぬ人がいました。

 「あなたはもしかして、羊ちゃんですか?」とその人が先に挨拶してきました。私のQQネームが羊ちゃんだったので、「そうです、あなたは誰ですか?」と聞きました。

 「私はウサギです。羊とウサギは皆優しい動物なので、きっと友達になれるよ」

 話をしていくうちに、彼は移民してアメリカに定住している人だと分かりました。数日後、母が大法弟子であると、私の現状を知った彼は、ドルを振り込んでくれました。「アメリカでは法輪功は合法で、あなたのお母さんもきっと良い人だ。これから必要なお金は私が負担するから、早くチケットを買って帰宅して」と言ってくれました。

 それ以後、母がいない間、ずっと私の学費や生活費はすべてウサギさんがアメリカから送金してくれました。

 信じられないという人もいるでしょうが、これは実際に私に起きた事実です。彼とは面識もないし、本当の名前も知りません。これもまた師父の慈悲なるご加護だと思います。

 以上の何件かのことは、母も身内もみんな知っていることです。それ以外にも、私の勉強や仕事、生活のことなど師父のご加護は言い表せないくらいたくさんあります。師父は世の人達に同じ慈悲なのです。真心を込めて「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」を覚えて唱えれば、神さまは加護して下さいます。大法に対する敬意を忘れなければ、必ず幸福が訪れます。

 すべての言葉を使って言い表しても、このご恩を表すことができません。

 慈悲なる師父に感謝致します! 合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/29/383860.html)
 
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