メディアのセールスの仕事についての修煉心得
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2019年9月7日】最近,、明慧編集部のお知らせ「修煉の問題は修煉で、会社の問題は会社で解決する」を見て、個人的な考え方があり、皆さんと交流したいと思います。

 お知らせの中に、「さまざまな有形のプロジェクトや会社の中には、金銭や物品があり、職位と分担があり、多くの人達の試金石となりました。無私になって尽くす者がおり、名誉や利益を求める者もおり、一心に人を救う者がおり、また冷たく見過ごす者もおり、困難を克服して根気よく前に進み続ける者がおり、あるいは、ただ便乗しただけの自己満足を求める者もおり、他にも色々たくさんあります」と書かれています。

 私はメディアのセールスの仕事をしています。最初、この仕事がフリーで、そして生活費がもらえるから素晴らしいと思っていましたが、時間が立つと、この仕事は他の仕事より難しいと感じました。実績が良くなければ、もらった生活費が足りないし、継続的に続けることもできません。大勢の同修が入って来ては、また離れて行き、続けられる人は中々いません。

 私は頑張って実績をあげ、安定な収入がもらえる時、歓喜心が生じて、自分が一番難しいプロジェクトをやっており、そしてうまくできている(自分を実証する心より生じた考え)と思っていました。その時、メディアのセールスというプロジェクトが、他のプロジェクトよりさらに、メディアの中の他の職種より価値があるという考えを持っている人は、他のセールスマンにもいます。

 実績が上がれば上がるほど、実績がよくない人を見下げる心が生じて、セールスをやっている同修に、実績という基準で図り、誰が実績がよいとか誰が素晴らしいとかを判断していました。この判断の裏には名利への執着が隠れています。実績が良くなると皆から褒められるし認められますが、それは「名」ではないでしょうか。同時に、自分の考え方と同じ同修と付き合いたくて、自分の考えと違う同修とは付き合いたくない、それは「情」ではないでしょうか。

 私はずっと自分がとても幸運だと思い、多くのプロジェクトの中で一番価値があるプロジェクトに参加して、徐々に安定な顧客の基盤を形成させて、あまり努力しなくても、この顧客の基盤によって自分が満足する実績になりました。徐々に私は現状に満足していき、そして固定した執着心や観念が生じて、その観念によって好き嫌いの心が現れ、他の人への評価も固まってしまいました。

 しかしこの数年、私が所在する地域は他の地域と同じように、全体の実績が継続的に落ちている現象が現れました。それには客観的な原因がたくさんあります。例えば、紙の媒体の衰退、顧客のマーケティングモデルの変更、自媒体の広がりなどなどです。私たちが完全に新しい市場に立ち向かっていく中で、既存の顧客の基盤もよそよそしくなりました。以前、現れた困難はある顧客の具体的な困難で、その困難をターゲットにして、しっかり対応すれば解決できます。しかし今、現れている困難は全体の市場の困難で、以前の方法がすべて無効になり、そして、その難度も日々増しています。大勢のセールスの同修のやる気が落ち、私も抵抗できない難しさを感じ、未来がどうなるかわからなくなりました。

 また、お知らせの中に、「困難を克服して根気よく前に進み続ける者がおり、あるいは、ただ便乗しただけの自己満足を求める者もおり」という言葉あります。これを見て、私は自分に対しての、棒喝のように感じました。そうですね。以前、安定した実績が私に名利をもたらし、それによって私は自己満足の状態に陥り、今の環境が変わり、その困難に直面する時、私はその困難を克服する勇気がなく、これでよいのでしょうか? セールスの仕事をすでに長年やりましたが、多くの困難や圧力も克服して一旦は安定し、新たな困難に出会った時、直面する勇気がなく、逆にいろいろな人心が生じました。この状況が市場の原因で、宇宙人の科学技術やインターネットにかかわり、また管理層にも責任があります。例えば、開発した商品が不足し、先見性がない党文化があるため、着実に行なうことができないなどです。実は、これらの考えの根源は、安逸心を求めるために生じた現実に抵抗する心です。

 師父は、「人類社会はほかでもなく、苦難と利益と享楽が共存している世界であり、いくらお金があっても、どの社会階層においても、人生には多くの苦難があるからです。苦しみによって人間は意識的または無意識のうちに苦難に対抗してしまい、その目的は幸せな暮らしを手に入れるためです。したがって、幸せを求める中で、人間はいかに傷つくことなく、いかに良い生活を送り、いかに社会で出世し、功なり名を遂げ、いかにより多くのものを手にし、いかに強者になるかなどのために経験を積んできました。これらの経験を持つと同時に、人生の観念は形成され、観念はまた経験が実践されていく中で強化されてしまいます」[1] と説かれました。

 私は自分に向けていろいろ探しました。その上で、メディアの仕事で現れた普遍的な現象について、皆さんと交流したいと思います。これらは師父が数多くの説法の中で説かれた人心や執着心です。

 思想が常人化する・成績があがれば人心が膨張して自惚れ、天の功績を横取りする・実績が良い人は実績が良くない人を見下げる・自分を実証する・資源を争う・協力せずさらに互いにぶち壊す・スタッフは管理層の管理に従わない・管理層はスタッフに責任を持たない上に、自分の命令に従う新人を使う・党文化の各表現(自分がいつも正しい、着実に行わない、一発で儲けられる、極端に走る、メンツを重んじる、竜頭蛇尾、小さいことを大げさにいう)・協力し合って、両方が指摘し合い互いに信用しない・物事を行なう心・名、利益、権利などを重視する・怒りっぽい・自分の勢力をもり立てる・不適切な男女関係などなどです。まとめればメディアのプロジェクトに入る目的は、名、利、情を享受することなのか、それとも師父に協力して、衆生を救うためなのでしょうか?

 今では、メディアが非常に特別なプロジェクトだと感じるようになりました。お知らせの中に書いた「試金石」のように、大法弟子にいろいろな検証を行ない、すべての人心を暴露して、着実に修煉する人だけが正しく行なうことができます。

 私たちはもう一度、師父の説法を思い出しましょう。「大法には名も利も官もなく、ただ、修煉あるのみです」[2]

 個人の悟りですが、不適切な所があれば、慈悲なるご指摘をお願い致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨(三)「最後になればなるほど、精進すべき」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨「猛击一掌」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/8/22/391751.html)
 
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