仕事の中で修煉する
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文/広東省の大法弟子

 【明慧日本2017年11月23日】師父は『轉法輪』の中でこのようにおっしゃっています。「特に若い男性は常人社会で立身出世しようとして、何らかの目標を達成しようと思っています!」。私はまさに師父がおっしゃったような若い男性で、常人の中で何かを成し遂げようと考えていました。会社からそのような機会が与えられたからです。

 2年前、中国大陸の経済の下落と不景気により、子会社が損失を出しました。親会社は子会社の管理層を整理し、1人だけ残して他の人員を解雇し、労働法に従って補償金を与えることを決定しました。

 残されたその1人が私でした。会社のトップが一致して思うのは、一生懸命仕事に専念し、職権を利用して個人の利益を得ようとしない私のような人が少なくて、探しにくいというのです。他の社員が続々と解雇と補償金の受け取り手続きを済ませた後、予想外に、会社側は私にも10万元近くの補償金を出しました。さらに、私は部門経理から子会社の副社長の兼任まで昇格されて、中国国内の第一責任者になりました。トップの社長たちは常に海外にいて、滅多に中国国内にいません。

 帰宅後、私はこの嬉しいニュースを妻に伝えました。妻はあまり喜びを見せず、却ってこう言いました。「職位や権などを重く見ないでください。副社長になるというのは、あなたの責任がもっと大きくなることですよ。会社の経営状況を改善していかなければならない上、 もっと大事なのは、あなたが修煉者なので、社員を率いて会社を本質から改善していかなければなりません。 皆が一緒に努力して初めて会社をうまく経営していくことができるのですよ」

 妻の話を聞いてから私は大きな圧力を感じ、全身全霊で仕事に没頭し、どんなことも自らの手で行い、費用を節約してコストを下げるために人を募集せず、全てを自分でやることにしました。毎日疲れ切っており、夕食やお風呂を済ませて妻に学法に誘われたときには、もう私はすでにぐっすりと寝てしまい、眠気や疲れを言い訳に早朝の煉功もしなくなりました。徐々に、私の物事への対処の仕方や考え方は大法から乖離していきました。

 一回、親会社の香港にある一つの取引先が同業者に奪われました。この取引先の流失によって子会社も収益において影響を受けるので、私は常人の方法でそれを奪い返そうと考えました。会社の状況と自分の考えを妻に説明した後、彼女は私と一緒に師父の『轉法輪』での以下の説法を学び直しました。「『こんなひどい目に遭わされて、耐えられるものでしょうか! やられたら絶対にやり返してやる! 奴に後ろ盾がいるなら、こっちにも後ろ盾がいる。徹底的にやろうぜ』となりかねません。常人の中でこのようにすると、常人からは強い人だと褒められるかも知れません。しかし、煉功者としてはそれは最低だと言わなければなりません。常人と同じように争ったり闘ったりすると、あなたはただの常人になります。もし相手よりも激しく争ったり闘ったりすれば、あなたは相手の常人にも及びません」。確かに、修煉者である自分は常人に混同してはならないです。随分長い間、心を静めて学法してこなかったことを思い出して、妻と夜の学法を再開しました。

 私は修煉者の基準に従って自分のいるべき姿を再認識し、観念を改め、贈収賄、ごちそうしたり贈り物をしたりといった常人のやり方を取らず、逆に家のものを会社に持って行って使うようにしました。他人からプレゼントされたショッピングカードを返すことができないとき、私はそれを妻に渡してショッピングに使わせ、そして同額の現金を大法資料拠点に持って行って、衆生を救う真相資料を作る資金として使うようにしました。

 個人の利益において私は淡白になりました。ある社員と会社の間で労使紛争が発生し、会社側が彼に3カ月間の給料を賠償しないといけない事態が起きた中で、私は内に向けて探し、自分の仕事上のうっかりミスも一因であったことに気づき、自ら5千元を出して、会社側が出した2カ月分と合わせて社員に支払いました。このことは妻以外、誰も知りませんでした。トラブルに遭ったら、常人はあらゆる手段を尽くして責任を他に転嫁しようとするのですが、修煉者は内に向けて自分のミスを探し、反省するのです。これが修煉者と常人の違いです。

 大法の指導の下で、私は自分自身を変えただけではなく、社員たちにも変化をもたらし、しんどい仕事を避けて楽な仕事だけを選び、いいかげんに物事に対処する姿勢を改めさせました。また、彼らに、「家族と自分自身に安定した収入が確保されるために、そして会社が存続していくために、皆が自ら努力していくことは全員の責任である」という意識を持たせました。

 私が常人の思惟方式から抜け出してから会社には利益が生まれ、役員たちはとても喜んでいました。私は彼らの信頼と期待に応えることができました。

 ここまで書いて、私は自分の金銭に対する執着がなくなったと感じました。実は、すべてには定められた運命があって、なぜ自分を苦しめながらも、それを無理やり求めようとするのでしょうか! 人間の富は徳と引き換えに手に入れるものです。修煉者の基準に従って自分の善と徳をしっかり守る人こそが、この世でのもっとも富ある人です

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/19/356867.html)
 
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