文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年3月2日】私は医師なので、立場上、大勢の人と接する機会が多くあります。私はこれらの機会に大法の真相を伝えています。しかし、上司は常に私が職場で法輪功の真相を伝えることをやめるように勧告します。通報があったからと言うのです。
職場で真相を伝えることができなければ、この職場でのポストのメリットはなくなります。今の私のこのポジションは師父がすでに按排されたものであり、どうして私がそれに背くことが出来るでしょうか。大法の真相を私の患者さんに知ってもらわなければなりませんが、上司の立場も考えなければならず、強引な行動はとれません。どうすればよいのでしょうか? 師父に教わった「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]のように行うことに決めました。個人修煉において、何事も忍耐すれば、正法修煉の道は自然と平坦に歩むことができると悟りました。
私は、個人的な名利にこだわらず、ひたすら仕事を完璧にこなすことに専心しました。我慢しがたいことでも、我慢し続けました。自分が忍耐する目的ははっきりとわかっています。それは今の自分のこの仕事のポジションを保ち、正法修煉の中で自分の使命を全うするためなのです。
しかし、悪意に警察に通報されたこともありました。数回にわたり自宅は家宅捜査を受け、もう少しで停職処分を受けるところでしたが、師父のご加護により、勤務先は「彼の仕事は完璧である」という高い評価で、私の停職処分を棚上げしました。
ある日、タクシーに乗りました、運転手さんはとても話し好きな女性でした。座席に腰を下ろすやいなや「こちらの病院では法輪功を習ってるお医者さんが大勢いると聞きましたが、それって本当ですか?」と話し始めました。「この病院には法輪功を習ってるお医者さんがたくさんいると噂になっているのよ。中にはなんと、診察しながら患者に法輪功を伝授していると聞きました」と続けて言いました。「確かにたくさんいます、ほかの医者のことは知りませんが、私も法輪功を習ってます」と伝えると、その運転手さんは「おや、私はまた良い人に会いました」と言いました。
ある日、1人の患者さんが「去年、ここに来た時に、ある医者が私に法輪功のことを教えてくれました。あなたと同じように話しました」と言いました。「ここなら、ずっと私しかいないので、慈悲なる師父は弟子の私の安全を考慮なさって、私の容貌は常に変えられているのではないだろうか」と私は思いました。
とても元気なお年寄りの患者さんが私の診察室を訪れて「先生はまだここにいたんですね、来る前から、もし先生に会えたら、わしは共産党を脱退したいと先生に伝えて「三退」の声明を発表してもらいたいとずっと思っていました。わしはベテランの共産党員だが、先生の仰ることを信じます」とはっきり言いました。
のちに、あの元気なお年寄りのように、三退するために来る患者さんが毎年現れました。
また、偶然な出来事もありました。私用のため、近所の派出所に出かけました。そこで、ちょうど私を監視する警察官と患者として診察室に来ていた警察官の2人に会いました。前者は敵意を抱いていましたが、後者は「こちらの先生の腕は超一流です。数年前、私の持病の発作がよく夜中におき、病院に駆けつけると、運よくこちらの先生の当直する日に当たりました。こちらの先生に当たれば、点滴を受けて、直ぐに治りましたが、ほかの先生の場合は、数日かけて点滴を受けても治りませんでした。父に『どうせ辛い思いをするなら、こちらの先生の当直の日まで待てばいいと言われました』」と話しかけられ、その話を聞き、私を監視する警察官は「病院の先生が皆、先生のように優秀な方ならいいなと思います」と態度が一変しました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』