文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年9月26日】師父は『轉法輪』の中で、「相手は表向きあなたと喧嘩しているような振りをして、内心ではあなたを思いやっているというわけではありません。本当に心から腹が立っていたのです。なぜなら業力が誰かのところに落ちていれば、その人は必ず辛い思いをするからです。これは間違いないところです」[1] と説かれました。繰り返して関門を突破する中で、このお言葉について少しの体得がありました。
この業力は修煉者の業力で、自分の空間場に存在します。この業力を取り除こうとする時、この業力は自分の空間場から飛び出し、連れ合いの体に落ちて行きます。この時、相手はとても辛い思いをして、心から腹が立ってしまいます。実は、相手はそれについて何も知らず、ただこの関門を突破する「お芝居」の中でその役を演じているだけに過ぎません。つまり、相手は自分が関門を突破するための「お芝居」を作っているのです。その時、相手が本気で何かをしようとしているのではなく、自分に関門を突破させるために手伝っているのだ、と分かっていれば、きっと心性を守ることができ、そして、心から相手に感謝するでしょう。なぜならば、自分に関門を突破させるため、相手はこれだけ大変な役を演じているからです。この時、業力は取り除かれて徳に変わって、また自分の空間場に戻ってきます。しかし、もし心性を守り切ることが出来なければ、その業力は取り除かれず自分の空間場に留まり、次に消去されるチャンスを待たなければなりません。
師父はまた「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです」[1] とも説かれました。相手が自分の業力を消去するために演じているだけだ、と分かれば、私たちはきっとこの関門を通り抜けることができるでしょう。
個人の少しの浅い体得です。法に則っていない所があれば、同修達にご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』