明慧法会|明慧とともに成長する
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 文/海外の大法弟子

 【明慧日本2019年10月25日】1999年は私にとって初めて明慧ネットのための翻訳の任務を授かった年です。私は長い時間をかけて単語を調べ、最後に中国語式の英語で、初めての文章を整理しました。過去の20年を振り返り、「一人の大法弟子として明慧で翻訳し、明慧とともに成長できたことはどれほどの光栄であろうか!」ということに気づきました。

 紛れもなく明慧は、ずっと大法弟子の最も重要なウェブサイトです。英語と他の言語を話す大法弟子は、英語版の明慧ネットから最新の情報を得ます。常人は、明慧を読んで法輪大法を理解します。人権団体と政府部門は、中国共産党の迫害に関する明慧の報道を参考にします。翻訳者は、必ずすぐに各方面の読者に、最も的確に中国語から英文にした情報を伝えなければなりません。

 師父は説法の中で、私たちに対して起こる明慧ネットの作用の進行を肯定なさり、「確かに、大法弟子の修煉状態がどういうものであるかに関わらず、ずっとしっかり歩んでいる人もいれば、そうではない人もいますが、明慧ネットの速い報道は相当大きな作用を果たしました。ですから、明慧ネットは偉大であり、関わっている学習者は素晴らしいのです」[1] と説かれました。

 一、自分を修め、言葉も修める

 明慧の文章を翻訳し始めてからしばらくして、明慧の翻訳が普通の文章の翻訳と異なることに気づきました。私が行なうすべての任務はすべての字を打ち込み、そして、私が選んだ言葉の背後にあるすべての考え方は、みな私の修煉の旅路の基盤となるものです。

 私たちの翻訳の内容は一般的な翻訳とは異なります。文章は完成された言葉で書かれたものではありませんが、すべての報道と交流文章はみな啓発に満ちています。私はいつも心性の交流文章に感動して涙を流します。交流文章を書いた偉大な同修たちのために翻訳を行なうことができ、私はいっそう嬉しく思います。私は同修たちの話を宝物を手に入れたかのように、同修たちの話をある種のエネルギーに転化し、さらに多くの人に幸運と恩恵をもたらします。法を正す修煉と衆生を救い済度する偉大な旅路は、後代のために残す史詩なのです! 法輪大法の力は同修たちの簡単な言葉の中で、まぶしくきらめきます!

 私は専門の翻訳のトレーニングを何も受けていませんが、人を思いやるようにと、師父は私たちを教え導いてくださいました。この法理は私たちの仕事のやり方の上で体現します。中国と西洋の二つの考え方の間を切り替え、中国語の作者の意図をできる限り理解し、同時に、私たちの西洋の読者のことをも考えます。

 西洋の読者を自分の目の前に置く時、文章と構文がさらに容易に適切に扱えることに気づき、重複を避け、最も適切な言葉やフレーズを選択します。私の仕事はひとりでに基本編集と翻訳を同時に行なってしまうことがあります。師父はいつも最も適切な言葉を私に気づかせてくださいます。ある時、自分がある英文の単語を知っていたことに、さらに驚きました。もし私が以前に、その単語に出会ったことがあるならば、それはずっと以前に違いありません。しかし、師父は私が使う必要がある時に、正確な言葉を私の頭に入れてくださるのです。

 師父の按排はいつでも完璧です。私はいつも与えられた翻訳の内容が、私が向上しなければならない場所にあるように感じます。与えられたいくつもの文章は鏡のようであり、自分の執着がはっきりと見て取れます。私は心性の交流文章を仕事としたことがなく、なぜなら、明慧の翻訳過程は自分を反省し、同修の実例の中で学習する過程だからです。

 私は小さな町に住んでおり、周囲に同修はあまりいません。私たちはただ毎週の学法の時間だけに会うだけです。面と向かって心性を交流する機会は少なく、なぜなら、私たちは他の街に行って神韻のプロジェクトを支持するか、地元の活動を組織するためのスケジュールについて、討論するために時間をかける必要があるからです。しかし、同修たちの明慧交流文章から私は多くのことを学んでいます! 一度読んだだけで大きな助けになるのですが、同修たちの文章を英文に翻訳することで、さらに深く法を理解できるようになります。もし私が明慧の文章を翻訳するように師父が按排してくださらなかったなら、修煉において、落後することが避けられなかった可能性があることを私は想像できます。

 交流文章を翻訳することから恩恵を受けることができることを、私自身が肯定していることを理解しています。しかし、私が選択した翻訳もまた一つの執着であったなら、自分が好む文章を選んで翻訳することは、情に対する執着になります。すべての文章はみな重要であり、明慧ネットではみな様々な役割を担っています。

 ある時グループの会議の中で、中国の行政処分制度に関する長くて無味乾燥な文章を、誰も翻訳したがりませんでした。約20ページほどあり、さらに私たちの良く知らない用語が多くありました。「誰かこの文章を翻訳できますか」とグループの協調人が皆に聞いた時、ある同修が、今は熱があるのでこの文章を受けられない、と言いました。他の同修は、急がなければならない多くの文章がすでにたまっている、と言います。皆が数秒間沈黙しました。他の人が自ら進んで翻訳を買って出ることがないことは明らかです。「私が翻訳します」と言って、自ら沈黙を破りました。私のこの短い言葉は大きくはありませんが、疑問の余地がないように聞こえます。私たちのグループの協調人は「本当に勇士がいますね」と言ってくれました。

 実際は自分では全く勇敢だとは思っておらず、私はただ文章そのものに対する何らかの執着を起こさせたくなかっただけです。他の同修は急いで文章を翻訳しなければならず、自分はもっと長く、あまり急ぐ必要のない文章を請け負う責任があると私は感じています。この文章は長い日数をかけて出来上がり、最後には発表されませんでした。しかし、私は時間を浪費したとは全く思いませんでした。明慧の報道を翻訳することは自我を研ぎ澄ます過程でもあります。どの文章を発表するかは編集者によって決められますが、翻訳者はすべての任務を完成させる責任を負っており、さらに、すべての文章が発表されるつもりでまじめに向き合います。毎回明慧のために貢献する機会を私はとても大切にしています。

 二、息子と一緒に明慧を行なう

 私はかつて子育てで足を引っ張られたと思いました。事実上、師父はすでに完璧な按排をなさっており、子供たちが大法弟子の家庭に産まれることで、大法の子供弟子になりました。私はフルタイムの仕事で忙しくしながら家事を行ないますが、師父は学法の時間を残してくださり、さらに、私が子供を育てる機会を利用して、私の業を消去してくださり、心性を向上させてくださいました。

 2人の息子は小さい時から法を学んでいます。中学校に上がってから、子供たちは私のために翻訳の校正をやり始めています。子供たちの母国語は英語ですから、子供たちは私の誤りを正すことができ、さらによい言葉遣いを探し当てます。子供たち2人はいつも喜んで私のために英文を校正し、それと同時に、また明慧の文章の中から多くのことを学びました。心性の交流文章は子供たちの精進と修煉を激励し、中国での迫害報道に関して子供たちは中国共産党の本性を理解し、活動の報道で子供たちは視野を広め、法輪大法が世界各地に広く伝わっていることを理解しました。

 私が子供たちに校正をさせる時は、いつも子供たちが何をしているかにかかわらず、いつもすぐに手伝わせます。長男は高校の時に宿題が多かったのですが、恨み言を一切言わずに文章を校正することが、長男の大半の時間を占めました。その際に、長男の宿題が多いことが心配だったので、次男に多く手伝ってもらいました。ある時、子供たち2人が一緒に文章を読み、有益な意見を吸収しました。もし時間が許せば、私は少なくとも息子2人のうちのどちらか1人に、私の翻訳を校正してもらうようにしています。もし同じ間違いを私が繰り返していることに、子供たちが気付いたら子供たちは私を指摘するだろうし、さらに、私に文法上の規則を解説してくれます。

 ある日、長男がある文章を読み終わり、私に「お母さん、お母さんの英語はすごいよ。何も間違いがなかったよ」と伝えてくれました。長男のこの言葉に私は思いがけず、大喜びしました。

 ある晩私は夢を見て、息子と私が一緒に空を飛ぶ夢を見ました。私が前方で、子供2人が後ろについて来ていました。私たちは大法弟子になることができ、本当に非常にうれしく思います! さらにうれしいことは、師に手伝い、法を正すことができ、衆生を救い済度することができることです!

 (明慧20周年法会の交流文章より抜粋、 編集)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「明慧ネット十周年法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/26/387643.html)
 
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