文/海外の大法弟子
【明慧日本2019年7月9日】
師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
私は2018年に明慧のプロジェクトに加入しました。正法時期の最後に、このプロジェクトに加入できたことは、たいへん光栄であり、師父の慈悲深い按排に感謝申し上げます。
私は幼いときに同修である母親と一緒に修煉を始め、ちょうど海外に来てからの数年間は学業がきつく、外に出て大法の活動と集団学法に参加する時間がとても少なかったのです。師父の法と明慧が掲載する交流文だけに頼り、1人で修煉する近道を歩みました。仕事をするようになってからは、仕事の性質上、いつも仕事をしながら交流文を聞くことができます。明慧修煉園地の放送をほとんど聞き、中には何度も聞いた放送もあるほどです。
交流文の中で異なるケースで引用している師父の説法と同修たちの正念正行、および精進している状態はいつも私を励ましています。往々にして自分が難関に遭うか何らかの執着心に先導され、感情や誘惑に負けてしまう時、聞いている内容はちょうど私に対する交流でもあるのです。
はっきりと覚えていますが数年前、ビザの発給を断られ、常人の中で自分の能力を過信する強い観念が形成され、自分ではどうにもならないことに初めて出くわしました。その上、師父にお会いしたいという心と挫折感がない私はそれが受け入れられず、大きな関のようでした。ビザを拒まれた後、一日中情緒が不安定で、いつもは不屈である私が、法会に行けなくなったことを考えると涙が流れました。自分に問題が出た時は内に向けて探すことを心得ており、長期にわたって取り除かれていない多くの様々な執着心を見つけました。師父のご慈悲は、私の執着がまだすべて探し出されていないことを気づかせるためであったかもしれません。後日、放送の中でなんと同修が「ビザを拒まれた」という交流文を聞きました。頭の中の認識では、これはただ一度放送の中で読まれた自分に関係する交流文でした。これに震撼すると同時に、他の執着心を探すことができて、師父の慈悲なる啓示に感謝を申し上げました。
さらに、はっきり覚えていることは一度、家具市場で家具を売っている中国の同修の交流を聞きました。大法の要求に従って自分自身を律しっていたので、同修に接触する人はみな真相を理解しました。さらに師父の見事な按排の下で、毎月の売り上げがNo.1になり、同僚たちにとても敬意を表され、大法が素晴らしいことを皆知っていました。この文章に感動し、なぜなら、私はもう常人の仕事をしに行きたくはなく、ただ大法のプロジェクトだけをしていたいと思っていたからでした。前の仕事を辞める前、社長が休日出勤を割り振るたびに、私は同意しませんでした。なぜなら、大法の活動に参加しに行きたかったからです。それこそが大法弟子が行なうべきことだと思っていたので、常人の仕事の残業は妨害だったからです。なので、同僚たちに真相を伝え、神韻を勧めた時も、予期した効果には及びませんでした。同修の体験談を聞いた時「師父、以前の私は間違っており、もし、いま私が再び改めて行なうのならば、私は必ずしっかりと行ないます」と思いました。しかし、再び補う機会はなかったかもしれませんが、私は機会があろうとなかろうと、すでに法理に基づいて悟っており、行動において正すことができました。
私はそれほど積極的に仕事を探してはいませんでしたが、自分に合った技術担当の仕事に就くことができました。その過程は少し不思議な感じでした。もしかしたら、以前、交流文を聞いたことによって、上流社会に向けて真相を伝える期待に応えるようにと、師父がこのように按排されたのかもしれません。新しい環境の中で、私はいつでも、まず大法の基準に基づいてよい人間になることを忘れず、他人を優先に考える人になることを忘れず、同僚たちの同意を得て衆生を救い済度し、真相を伝えるチャンスを二度と逃しません。
2018年のワシントン法会で、師父はプロジェクトの中で努力を尽くした同修に大きな肯定をお与えになりました。私は明慧プロジェクトの重要性を初めて意識し、同修の光栄を喜びました。明慧ネットは私の修煉の向上に大きな助けとなりましたが、プロジェクトの特殊性のため、いつもは同修と明慧の事情について話すことが少なく、他のプロジェクトで忙しかったこともあり、明慧ネットのことを考えることはありませんでした。
その後、長年プロジェクトに携わってきた同修が、明慧ネットで修煉体験談を発表しました。それを読んだ後、同修たちの大変さと人手不足を実感し「もし私が行なうことができるならば、同修たちを助け、自分の力を発揮して貢献したい」と心の中で思いました。弟子のこの心を師父がご覧になり、それほど経たないうちに、プロジェクトの協調人が電話をしてきました。そして「明慧の仕事をする時間がありますか?」と聞かれたので、「師父は本当にこのように按排してくださったのだ!」と、とても驚きました。
加入して、初めての仕事は祝賀文章の掲載でした。午前中はセールスの仕事、午後はポスター貼り、文章が多くて徹夜か、あるいは早く起きて掲載しなければなりませんでしたが、とても光栄に感じました。毎回の交流の中で同修が話していたことを思い出し、だいたいの意味は、多くの祝賀文章を整理し、それは自分も師父に多くの祝福を送っているのと同じなのだ、ということでした。「師父、ありがとうございます、お疲れ様でした」と念じていました。私はとても楽しくて幸福でした。
今はいつも出勤し、時間がとても少ないのですが、プロジェクトの中で最後までやり遂げたいと思います。最善を尽くして自分の力を出して貢献し、きちんとスケジュールを立て、自分の誓いを叶えます。
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
(明慧20周年法会の交流文章より抜粋、 編集)