感謝を求める心を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年12月21日】十数年前、ある同修は刑務所で転向を強いられ、修煉を諦めてしまいました。彼女が再び大法修煉に戻るように、私は結構多くの時間をさいて何回も彼女と交流し、大変な苦労をして説得しました。しかし当時、彼女は転向したことは間違っていないと思っていました。

 あれから時間が経つのは本当に早いものです。彼女がいつまた修煉に戻ったのかわかりませんが、久しぶりに彼女と会った時、あの頃の事を私は何も言及しませんでした。しかし、頭の中には常に一念がありました。つまり「あなたはあの時言ったはずですよね。転向って決して間違っていないし、正しいことです」と。

 数年前のある日、同修の家で彼女と一緒に発正念していたとき、私は天目である場面を見ました。彼女が私の前に横たわって、私の歩む修煉の道を阻むことになるというものでした。師父は私に一体どんな啓示をくださったのでしょか? もしかしたら、私は彼女に対して何か執着心があるのではないでしょうか。その時、まだ私は悟りませんでした。だんだんと学法が深まるにつれ、私はやっとわかりました。つまり、彼女のことを一所懸命に手伝ってあげたことがあったのに、彼女から「迷惑をかけてすみませんでしたとか、お世話になっていますとか、ありがとうございます」などの感謝の言葉が一言もなかったこと自体が、私には理解できませんでした。なるほど、私には感謝を求める心があるのではないか、この人心が私の修煉を阻むものになっていたと気付きました。

 師父は「人を済度するには条件を付けず、代価も報酬も取らず、名乗り出ることもありませんから、常人の中の模範人物よりずっと優れています。それはまったく慈悲心によるものです」[1]と説かれました。また、師父は「佛家では、人を済度するにあたって、条件を言わず、代償を求めず、無条件に助けるということなので、われわれも学習者の皆さんに多くのことをしてあげることができるのです」[1]とも説かれました。

 師父の説法に照らしてみると自分は名利を追求し、人から感謝してもらうことを求めていました。本当に情けないことです。今考えてみたら、この感謝を求める心があったため、彼女の口から何の感謝の言葉が出なかったのだと思います。逆に彼女は私の修煉を手伝ってくれたのではないでしょうか。同修よ、ありがとうございます! 私はこの感謝を求める心を必ず取り除きます!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:www.minghui.org/mh/articles/2018/12/2/377186.html)
 
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