17歳で父の跡を継ぎ 任重く 道遠い中をしっかり歩む
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 【明慧日本2019年11月19日】(明慧ネット記者のインタビューから)

 1960年代に入ると台湾は輸出工業によって、経済的にも奇跡的な飛躍を遂げました。その奇跡を支えたのは勤勉に働く人々の努力のおかげでした。鄭予慈さんのお父さんもその中の一人でした。

 予慈さんは次のように話してくれました。子供の頃から父に対する印象は、いつも忙しく働いている姿でした。両親は若い時にゼロから起業し、その後、プラスチック工場を設立しました。受注生産のため、機械を24時間稼働しながら.待機している状態でした。工場の2階が自宅になっていたので、夜になると機械の騒音でよく眠れない時は、いつも階下の生産現場に行っては、よく箱詰めの手伝いをしていました。その後、新築した住宅に引越しをしましたが、父はほとんど工場に寝泊まりし、たまに夜中に父が帰って来て玄関の戸を開ける音で目が覚め、私は寝ぼけている状態で父を迎えました。

 両親が忙しかったために、子供の予慈さんはいつもお父さんの車に乗せられて、注文の製品を顧客の元に届けたり、また、取引先に行って、商談が終わるまで車の中で待機していました。生活のために頑張っている両親の姿を見て育った予慈さんは、幼い頃から生活の厳しさと人生の辛さを感じていました。

 2005年のある日、お父さんは一冊の黄金色に輝く本を持って家に帰って来ました。それについて予慈さんは当時のことを振り返り、このように語りました。両親は結婚する前から正法を探すために、いろんな法門を学んだことがあります。今も覚えていますが、その日の父は少し興奮した表情で「今度こそ真の法、真の道を見つけたぞ!」と喜んでいました。

 父に勧められて、当時小学校5年生の予慈さんは1日かけて、『轉法輪』の9講の内容を全部読み終えました。そして翌日から、五式の煉功動作を習いました。当時、それはとても印象深いものでした。『轉法輪』を読み終わった時、父はソファーに座って私に「これから獅子のように勇猛精進して、修煉するんだよ!」と励ましてくれました。

 17歳で家業を継ぎ、重責を担う

 '图:郑予慈在炼功时感受到强大的能量在手中流转。'
坐禅をすると掌に強いエネルギーを感じる鄭予慈さん

 小学校を卒業した予慈さんは私立中学校に進学し、寄宿舎に入りました。学校にはインターネットもテレビもありませんでした。私は『轉法輪』を学校に持って行って、毎日「論語」を1回暗唱した後で、それを書き写して机の上に置いていました。当時、中国共産党による法輪功への迫害がすでに起きており、私は周りの同級生達に中国の国内で、私と同じ「真・善・忍」を修煉する善い人達が酷く迫害され、ひどい場合は生きたまま臓器を摘出されていると伝えました。そして、彼らに明慧ネットで法輪功への迫害の情報が見れることや、さらに「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」を念ずるように教えました。

 予慈さんが高校に進学してからも、お父さんの忙しさは一向に緩和されることなく、さらなる圧力が度々やってきました。「ある日、父の声が突然枯れたように出なくなり、その状態がしばらく続きました。当時、取引先の会社が突然倒産してしまい、父の会社に数百万元(およそ百万元は、1552万円)の損出が出ました。多額の資金不足に直面した父は、それでも一言の文句も言いませんでした。「真・善・忍」を修煉している父は人のことを優先して考え、相手も苦しんでおり、借金返済の能力がないのだと理解しました。しかし大きなプレッシャーの中、経営を維持していく中で長引くストレスが原因で、健康状態がどんどん悪くなりました。私が高校2年生の時、父は正常に呼吸が出来なくなったため、気管切開の手術を受けました。

 以前、予慈さんにとってお父さんは頼りになる存在でしたが、成長するにつれて自分も家族を支える存在だと認識するようになりました。そこで予慈さんは、父が手術してから話すことができなくなり、母1人で手が回らない状態になったため、翌年、私は学校に事情を説明して高校を中退して、自宅の会社で働くようになり、それは自分の責任だと考え、予慈さんには迷いはありませんでした。

 その時の予慈さんは17歳でした。かつての同級生たちが何の経済的な心配もなく勉強している姿を見て、予慈さんは羨ましかったそうです。心が穏やかでない時、法輪大法は私に勇気と知恵を与えてくださいました。師父は「修煉者は、捨てることもできなければなりません。常人の中のさまざまな執着、さまざまな欲望を捨てなければならないのです。いっぺんにできなくても、徐々にできるようになるのです」[1] と説かれました。 一人一人の道はそれなりの原因があり、他の誰の道であっても参照するものがないと思いました。法を学ぶ中で自分の考えが正され、自分の道を歩み続ける力と自信をいただきました。

 そして、修煉の道でどんなことに遭っても動揺しないことだと、私は難関に直面した時に悟りました。困難の裏に潜んでいる原因が見えなくても、修煉している以上、厳しい環境と大きなプレッシャーの中で揺るぎなく歩み続けるべきだと分かりました。

 当時の工場の仕事はとても忙しく、父は私を連れて取引先を回り、かすれ声で商談する中で、私は父の意思を相手に伝えるなどして、父から経営を学びました。自分が単独で業務をこなせるまでには、2年ぐらいかかりました。幸いにも会社の経営は日増しに良くなり、盛んになりました。債務の返済問題も解決され、新たに設備を導入することによって、人手が節約されました。

 現在の予慈さんは毎日忙しくても、充実した生活を送っています。お父さんから図面の作成や金型の作り方などを習う傍ら、休みの時は観光スポットに行って法輪功の煉功をして、法輪大法を広めています。

 「行ない難きも行ないうる」を心に、一つ一つの難関を乗り越える

 2016年、予慈さんの父の病状が悪化して再入院し、母は病院で介護することになりました。予慈さんは一人で会社の重責を背負い、受注から現場の生産、出荷、品質管理、アフターサービス、それに従業員の具体的な事までこなしていました。毎日、直面しなければならない問題がたくさんあり、助けてくれる人は誰もいませんでした。

 ある日の夜、予慈さんは1人で車を運転して病院へ行きました。雨まじりの風が吹いており、周囲は真っ暗で見通しの悪い山道でした。途中の山道がしだいに険しくなり、人も車も見えない中で運転をするのはとても不安で怖かったそうです。しかし、ちょうどその時、カーステレオから突然、師父の説法の録音が流れてきました! 師父は私の側で見守ってくださっていると思い、心から勇気が湧いてきて、無事に病院へ着きました。

 毎日、予慈さんは精一杯頑張ってつぶれそうになった時、常に自分が大法弟子であることを忘れませんでした。「時々、師父の『轉法輪』の本を開くと思わず涙が止まらなくなりますが、どの段落を読んでも、師父の法はいつも私が困難と直面している時、勇気を与えてくださいました。会社に様々なトラブルが突然現れてきますが、不思議にそれが一つ一つ自然とクリアに解決されていきました。師父が語られた通り、「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗 花明 又 一村(リュウアン ファミン ユウ イーチュウン)』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」[1] と予慈さんは勇気づけられました。

 機械に巻き込まれて粉砕骨折したはずの手が無事だった

 重圧の中で頑張って来た予慈さんの身に、たくさんの奇跡が起きました。予慈さんはその中からいくつかを取り上げました。ある時、大型機械にゴミがあるのを見て、きれいに取り除こうと素手で拭いていたら、思わず手が機械に巻き込まれてしまいました。すぐに機械を止めましたが、手は機械の真ん中に挟まったままで、引き出すことは出来ませんでした。通常ならこの機械に挟まれると粉砕骨折になってしまいます。当時、私の第一念は師父を信じて、「大丈夫だ!」と強く念じました。私は冷静に作業員にドライバーで両端のねじを緩めさせ、ゆっくりと手を引っ張り出しました。その時の手は、饅頭のように腫れ上がっていましたが、不思議なことにどこも痛くありませんでした。その日の夜、私は普段通り出かけて集団学法をしてから、煉功をしました。煉功をする時、強いエネルギーが手に沿って流れるのを、はっきりと感じました。そして2、3日後には腫れが消え、手の動きに全く問題がありませんでした!

 予慈さんはもう一つの出来事を語りました。かつて、台湾新北市に大きな火災が起きたことがあり、建物8棟、合わせて26軒の家が全焼しました。しかし、火は「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」と書かれた横断幕がかけられていた建物の前で、ピタッと止まったそうです。

 予慈さんの家の工場にも「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」と書かれた回り灯籠がかけられており、回転し続けているそうです。2017年に、命を奪われるほどの大きな火事も爆発寸前のところで、奇跡的に消火されました。家の工場のすぐ隣に捨てられた家具がいっぱい詰まった、鉄の板で作られた小屋がありました。ある日、何らかの原因で小屋が燃え出し、炎が勢いに乗って工場に延焼してしまい、機械が燃えて大きな爆発音が聞こえました。周囲の住民たちは皆、家から飛び出して呆然と見ていました。当時、工場の前には電柱が立っており、すぐ向こう側はガソリンスタンドでした。工場の中には大型の機械がたくさん据え付けてあり、万が一火災が発生した場合、その結果は想像するだけで恐ろしいものでした。その危機一髪の瀬戸際に、見たことのない1人の人が突然工場に飛び込み、総電源の元のブレーカーを下げてくれました! その時、消防車も駆けつけて来て、大きな災難は回避されました。その後、母から聞きましたが、当時母は「法輪大法は素晴らしい!」をずっと念じ続けていたそうです。

 結び

 現在の予慈さんは自信を持って単独で仕事をこなせるだけではなく、接する顧客や取引先の人達にも法輪大法の真相を伝えています。また、神韻公演を推進する活動にも参加し、トップクラスの神韻公演をより多くの人に紹介しています。さらに、彼女は将来、進学して専門的な知識を身につけようと計画をしています。

 実は、昔の私は人見知りの強い性格で、人と接することが大の苦手でした。そんな自分がここまでやって来られたのは、修煉の道で師父が見守ってくださったから出来たことで、一つ一つの難関を乗り越えることが出来たと思います。私にとって、今のこの一分一秒がとても貴重で大切な時間なので、しっかりと自分を修めて向上し、これからも難関を乗り越えていきたいと思います! そしてそれと同時に、より多くの人達に法輪大法の素晴らしさを伝えていきたいと思います!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/1/395279.html)
 
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