「生死の関門」に直面している同修へ ひと言
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2019年10月15日】1週間前、生死の瀬戸際から戻ってきた私は、一刻も早く自らの経験を今「生死の関門」に直面している同修と分かち合い、同修の皆さんと共に「死」を乗り越え、師父について法を正す終点まで行き、私達の歴史的な使命を果たそうと強く思い、本文を書きました。

 私は7.20以前から修煉を始めた古い弟子です。当時、19歳でした。次ではこの5年来、私が経験した病業の仮相について話をしたいと思います。

 2人目を妊娠した時に妊娠糖尿病にかかり、しかも、1型糖尿病でした。1型糖尿病は世界でも難病だと言われ、生涯インシュリンを服用しなければならず、インシュリンを飲まなければ長くて数カ月、短くて数日間で ケトアシドーシス(酸性血症)になり、数時間後に死亡する、と言う病気です。

 この5年の間、私は6、7回ほどこの難関を突破しようと試みましたが、いずれも失敗に終わり、毎回、体が耐えられず、結局は病院に運ばれて緊急措置が取られました。家で死んでしまえば、大法に泥を塗るのではないかと思ったからです。「私は滝を登る鯉のようでした。竜門を飛び越えたいのですが、いつになったら飛び越えられるのでしょうか」と同修によく弱音を吐きました。

 半年前のことでした。前回の関門突破が失敗した後、私は師父に「弟子はもうだめです。この関門を乗り越えられそうもないです。本当に無理です」と申し上げました。この時私は片手で人間を掴み、片手で神を掴もうとしていました。しかしどうしても諦め切れず、自分の世界を欠損させてはいけない、その部分の衆生を破滅させてはいけないと思いました。

 再び関門を突破しようと決意したきっかけは、その数日前に読んだ同修の文章でした。その文章の中に、旧勢力は同修の内臓を盗みましたが、その瞬間に、師父は彼に新しい内臓を交換してくださった、という箇所を読み、私はハッと悟りました。「なるほど、師父は新しい内臓を交換することが出来るのだ。それなら、私のインシュリンを分泌しない膵臓も師父が交換されることができるのではないか?」と思いました。そして、数年前にも同じような内容の同修の文章を思い出しました。中には、「師父は自分に片方の骨格を取り替えてくださり、数日後また片方を取り替えてくださった」と書かれていました。

 そこで私は再び勇気を出して、「今度こそ、必ず正念でこの関門を突破しよう! いくら辛くても、決して人心を動かさず、生死の関門を必ず突破しよう! 決して自分の世界を欠損させない! 必ずその部分の衆生を守ろう! 私は神です! 老、病、死はありません! あるのは苦しみに耐えること、業力を消去することだけです」と思いました。後に、師父も苦に耐えなさい、業力を消去しなさいと気付かせてくださいました。

 十数日後に魔難がまたやって来ました。私は1日2回煉功して、長時間にわたって法を聞きました。不思議なのは今までと違って、今回の体の苦しみが以前の5分の1の程度でした。症状もかなり違いました。呼吸はいつも通りでき、腐ったリンゴの匂いがしましたが、下痢をしても嘔吐はしませんでした。今まではずっと下痢も嘔吐もしていました。心臓にも窒息感がなく、ケトアシドーシスによる全身の痛みもなく、死の直前にすべての臓器の機能が停止するような反応もありませんでした。そして、炭酸飲料を飲んだ後のようにげっぷがよく出て、二酸化炭素を出しました。そして、私はなんと自力で階段を下りることが出来ました。そこで、私は夫に「いつものように家族4人で小冊子を配りに行こう」とお願いしました。3日後、症状が消えてなくなりましたが、体力がまだなく衰弱していました。しかし1週間後には、インシュリンを打った時よりもずっと元気になりました。ここまで来ると、師父のご加護の下で、ついに生死の関門を突破したと分かりました。

 「生死の関門」に直面している同修と交流したいのは、実は、人間のすべてが虚像に過ぎず、痛みも、怪我もみなそうですが、目に見える物のすべてが実在しない虚像に過ぎないということです。それは遊園地のお化け屋敷と同じで、人をただただ怖がらせ、脅かせ、恐怖感を覚えさせるためのものです。しかしそれを通して、旧勢力はあなたの心が動じるかどうかを見るのです。心が動じれば、あなたは人間です。旧勢力はあなたを迫害することが出来ます。今まで、毎回生死の関門に遭遇した時、私はいつも人心を動かしました。しかし、業力が細胞に対する殺傷力、そして体が感じる様々な苦しみは、本当に耐えられるものではありません。師父は「物質と精神は同一のものです」[1] と説かれました。「人心は人間の肉体を動かすことしかできません。そうした場合、死ぬ気で耐えるしかできません。しかし、神の念を動かせば、体の中の高エネルギー物質を動かすことが出来ます。そうなれば、人間の感覚や感受が働かなくなります」と私は理解しました。そして、「生死の関門は、長年溜まってきた心性の関門でもあり、人間か神かを区別する関門でもあり、法と師を信じるかどうかの関門でもある」と理解しました!!

 最も受益した二つの学法の方法をここでご紹介します。

 一つは法を暗誦することです。私はただ先へ先へと暗誦して行き、復習せず、スピードを求めず、心に留めることだけに力を入れました。毎日悟るもの、得るものがありました。ここまで歩んで来られたのも、法を暗誦したおかげです。

 もう一つの方法は法を聞くことです。食事、煉功、学法以外、その他の時間、家事をする時間も含め、ずっと法を聞きました。少しでも暇があれば必ず法を聞きました。一日、同じ講を繰り返して聞き、同じ言葉を何回も聞くことにより、とてもはっきりと頭にインプットされました。そして夜の眠れない時に、法を聞くのもとても効果的でした。夜が更けると周りが静かになり、法を聞くと心に留まり、昼間にはとても元気になります。もっと不思議なのは、この頃座禅をするとよくウトウトして頭がはっきりしないのですが、夜に法を聞くようになってから、座禅してもちっとも眠たくありませんでした。病業にいる同修、特に寝たきりで法を学ぶことのできない同修は、24時間中、法を聞いてください。一日中、法に溶け込んでください。

 「生死の関門」に直面する同修達は、怖がらないでください。病状や自分の感覚を信じないでください。師父だけを信じてください!! 法を多く多く学んでください!! あなたが世の中にいるだけで、どれだけの衆生が救われることになるでしょうか!

 同修同士でお互いに肩を並べて手を繋ぎ、苦しみに耐え、業を消去し、内に向けて探し、一緒に生死の瀬戸際を乗り越えましょう!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/9/12/392959.html)
 
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