『洪吟五』を暗記することによる修煉体験
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年11月22日】今年の10月から、私は集中的に『洪吟五』の105篇を暗記して、自分の修煉状態が柳暗花明(りゅうあんかめい:どうにもこうにもならない時にぱっと解決方法が見つかる様子)になりました。いくつかの修煉体験を皆さんと交流したいと思います。

 1、世の人々は創世主を待っている

 今まで、私は衆生を救い済度することについて、ずっと責任を感じることができず、真相を伝えたり、三退を勧めたりすることは、単純に師父の要求があるからやらないといけない、という気持ちで、自分が気に入る人だけを選択して話していました。それでも、その人から質問があったり、反対の意見が出たりすると、私はすぐに腹を立てていました。私には、慈悲心を持って生命を大切にする気持ちや、相手を真に救い済度しようという気持ちがあまりなく、特に、直接迫害に参与した人に対して真相を伝えても、相手を圧倒するような勢いで、嫌な気持ちも含まれており、一生懸命話しても効果が良くありませんでした。それらの状況を私はあまり気にせず、師父が送ってくださった多くの縁がある人々を大切にしていなかったのです。

 『洪吟五』の詩を暗記した時、私は、大法弟子を大切にするだけでは不十分で、全ての人々に対して、今世の人間としてのあらわれがいかに悪くても、彼らの本来の生命は創世主を待っているのだと分かりました。大法弟子は創世主の使者であり、世の人々に真相を伝える使者です。目で見て普通と思う資料は、衆生が生生世世待っているもので、彼らが救い済度される希望です。この機縁を失ったら、生命は滅びる所に歩みます。そして、この機縁はすぐに消えます。大法弟子として、慈悲心を持って、真相をしっかり衆生に伝えるべきです。衆生にしても、誓約があり、創世主の呼びかけを待っています。

 2、世間は迷い

 世の人々は、自分の人生の目的のために、毎日忙しく働いていて、世間の全てが簡単に人心を動かせます。しかし、世間自体は迷いであり、人の神性を埋めて、真相が見えず、認識できないような働きがあります。この迷いは世間の人々を救い済度することの難しさを増やしました。そしていろいろな虚言があり、すべて世の人々を毒害しています。師父は「幾人が目を醒ますことができるのか見抜けたものは聖賢である」 [1]と説かれました。大法弟子も迷いの中で、いろいろな虚像に簡単に惑わされます。世間の気風がますます悪くなり、いろいろな虚言、名利、また現代の変異した観念や行為など、すべて人々を迷わせています。師父を手伝って法を実証するため、衆生を救い済度するため、この迷いを破らなければいけません。修煉の精進はこの世間の迷いを破れます。師父は「大法弟子を探して、真相を知り、心を開こう。彼らこそ、衆生を連れ、天門を通れる未来の王なのだ」 [2]と説かれました。これは何という光栄でしょう、なぜ世間のいろいろな迷いに惑わされるのですか。

 3、 迫害の真の目的

 長い間接してきて、私はこの迫害に対しての認識が二つできました。一つは大法弟子が迫害されていることですが、もう一つは直接迫害に参与する人が、大変危ない境地に落ちているということです。しかし多くの衆生への影響を考えて、私はあまり深く伝えないようにしています。彼らに真相を伝える時、迫害のことについて、できるだけ簡単に話しています。なぜなら、彼らが酷い迫害の話を聞くことで強い恐怖心を感じ、逆に真相を受け入れられなくなるかもしれない、という心配からです。師父は「私たちは、大法徒であり 弾圧は、あなたの頭を混乱させるため、 真相を覆い隠すことこそ、企みである」 [3]と説かれました。大法弟子への迫害は、単純に大法弟子を迫害するだけではなく、もっと陰険な目的は世の人々を惑わして、救い済度されないようにすることです。今世の人々が「今朝のために、一生一生は忙しい」 [4]のように変わって、周りのことを気にせず、虚言に惑わされて、さらに真相に対して認識できなくなります。残酷な迫害の下では、恐怖と不安により「恐れているのはいったい法輪功の真相なのか、それとも中国共産党の残酷な迫害なのか」を人々は見分けられなくなります。大法弟子が信仰を堅く守ることと、理不尽な迫害、一体どちらを叱り責めるべきですか? 『共産主義の最終目的』の書籍に記載されているように、20年間続いている凄惨な迫害により人々は「真・善・忍」に賛同することを恐れ、人々はこの三文字の本当の意味を考える勇気さえ無くしてしまったのです。

 以前、私はいつも迫害のことを強調し、同修の誰かがまた強制連行されたとか、誰かがまた判決を下されたとか、なぜ迫害がまだ続くのかとか、悪人になぜ悪の報いが来ていないのかなどなどを考えていました。今、大法弟子の使命は衆生を救い済度することだと分かって、私は人間の体がある限り、個人の利益をまず放下して、衆生を救い済度することを優先にすると決めました。どんな環境においても、法を実証し、衆生を救い済度することをやるべきです。これは、この迫害を否定することです。

 4、現代の観念と行為を取り除き、伝統に戻る

 『洪吟五』の中で、多くの詩は、伝統に戻ることと、現代の観念や行為の危険さに言及しました。大法弟子として、師父がすでにはっきり教えてくださいましたから、師父の教えの通りに行うべきです。

 私個人の心得としては、雑念を払い欲望を無くし、やるべきことをしっかり行い、伝統的な方式で生活することだと思います。現代の観念と行為の一つの表現は、人間の怠惰を放任し、名利情の誘惑を大きくしていることです。理性的に見ると、現代の人工知能は、人に幸せや生活の充実さを与えてはいません。

 私は、いまスマホで単純に電話の機能だけを利用しているだけであり、常人のネットや、テレビ、ゲーム、ネットショッピングなどの機能はすべて利用しません。人と付き合う時は、直接人と交流します。化粧などもできるだけ簡単にし、生活費も節約し、規律的に生活して、毎日必ず煉功を保障します。こうすると、私は大変元気で、妨害も少なくなりました。師父が説かれた「伝統は、神が人のために開創した道」 [5]を体験しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「見抜けたものは聖賢」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「天機を解く」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「真相をあなたに歌う」
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「すべては劇」
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「私は真相を歌う」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/17/394688.html)
 
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