文/ドイツの大法弟子
【明慧日本2019年10月25日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
毎晩寝る前に、私はいつも明慧ネットに掲載されている修煉体験を、寝る前の物語として読むことにしており、読まない日はまずありません。明慧ネットに掲載されている修煉体験のほとんどが、全世界の大法弟子が書いた文章であり、同修たち自身の心の変化の過程です。明慧ネットに掲載されている修煉体験文章は、どれも私の修煉に大きな啓発があります。そして同修たち自身の体験は、異なる角度から私を支持し励まし、私が試練を乗り越え、魔難を克服する助けとなります。お互いに学び合い修め合う中で、自分と同修との修煉の距離を見い出してくれ、自分のどこが緩んでいるのかを気づかせてくれます。また修煉において、どこがしっかり出来ていないかに気づかされ、さらに、大法に対する正しい信念を強化しなければならないことに気づかされます。
中国の同修たちの文章は残酷な迫害の環境下で、同修たちが依然として力強く三つのことを行なっていることを述べており、同修たちの師父と大法に対する強大な信念を表しています。厳しい批判に直面したり、挑戦的なプロジェクトに直面して心が波立った時、私は同修たちの体験を思い出すことがしばしばあります。そして、悲しみと苦痛の中で同修たちがどのようにして、依然として確固とした修煉を続けているのかを思い出します。
私は師父の詩を思い出しました。
「法を学びて法を得る
比べて学び比べて修す
事々対照し
做すところ到るは是れ修なり」[1]
明慧ネットの修煉体験を翻訳できることは、私にとって一つの光栄とは言え、大きな喜びさえ感じています。さらに他にも行なわなければならない大法のプロジェクトがありますが、私はやはり一番に、明慧の私に対する要求を達成するように尽力します。まとまった時間がないため、私はよく時間を分けて1編の文章を翻訳します。しばらくしてから自分の翻訳した原稿を読み直す時、いくつかの言葉があまりスムーズではないことによく気づきます。そして突発的な霊感があることもあり、さらによい言葉や文章の構成を思いつくことがあります。時には、煉功が終わったり法を学び終えた後に、適切な言葉をさらに容易に見つけ出すことができます。英語の文章をドイツ語に翻訳する過程で、私はさらに深く文章の内涵を理解することもできます。たとえばある時、嫉妬心に関する文章を翻訳しました。「この執着心が表した各方面を私は認識しました」という翻訳を通じて、実際に自分にもまだ嫉妬心が存在していることにも気づきました。その後、この深く隠された執着のきざしが現れさえすれば、私はその執着をつかみ取ることができ、さらにその執着を正念で取り除いています。
私もいつも病業の関を越えたり、病気治療に関したり、あるいは修煉者の家族もまた、大法とともに恩恵を受けた翻訳文を選んで夫に読ませ、そして夫に校正してもらいます。そうすることにより修煉していない家族として、夫も文章の中から法輪大法の素晴らしさと純正さに気づきました。もしも、夫の体のどこかに痛みがあれば業を消さなければならない、と夫は考えるので、すぐに医者に診せに行く必要はありません。さらに夫は毎日一式から四式までの法輪大法の功法を自分で煉功して、さらによいと感じています。発正念の時間になると、夫はいつも私に気づかせてくれます。問題を討論している時に、もし私が自分のために弁護するか、全く夫の話を注意して聞いていないと、夫は私を指摘することがあります。たとえば夫は「このような話には善がない。師父が教えてくださったのは、他の人を大切にしなければならないということではないのか」と言うことがあります。私の夫はすでに79歳ですが、体はまだ40歳の人のように元気です。私は心の底から慈悲深い師父に感謝申し上げます。
私たちの集団学法とその後の交流を私はとても大切にしています。皆が私心をはさまず、誠意を示す修煉体験交流の中で私は慈悲を感じ、さらにその中からよい恩恵を多く受けます。交流は私たちのお互いの信任を増すばかりでなく、私の心をも大きくしました。
そして、明慧ネット上の中国の同修の文章の一編一編に私は深く感動しました。このような貴重でよい文章を翻訳できることに、私は心から感激しています。
明慧のために仕事ができることは、特別な光栄です。明慧ネットは大法弟子の全世界の範囲での偉大で神聖な壮挙を記録しているのです。そしてこれらの記録は、一般の人々にとっても輝かしい歴史の証言であり、未来にしっかりと残されるものなのです!
師父は「大法弟子は偉大です。なぜなら、皆さんの修めているものが宇宙の根本の大法だからであり、皆さんが正念をもって大法を実証しているからであって、皆さんが巨大な難の中で打ちのめされることがなかったからです。大法弟子が法を正すことは、歴史上、かつて前例がなかったことです。理智をもって法を実証し、智慧をもって真相をはっきりと伝え、慈悲をもって法を広め、世人を救い済度する偉大なる壮挙の中で、一人一人の大法弟子の圓満成就の道を完璧なものにしています。歴史の偉大なる時期にあって、着実に、しっかりと歩んできた一歩一歩はみな、光り輝く歴史の証であると共に、比べるものがないほど偉大なる威徳なのです。この一切が、みな宇宙の歴史に記されることでしょう。偉大なる法、偉大なる時代は、最も偉大なる覚者を造り出しているのです」[2] と説かれました。
慈悲なる師父に感謝申し上げます、同修の皆さん、ありがとうございます!
以上が、私個人の現段階での認識です。もし至らないところがあれば、慈悲深いご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「弟子の偉大さ」
(明慧20周年法会の交流文章より抜粋、 編集)