明慧法会|怠らず、根気よく明慧資料の仕事をしっかり行なう
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 文/海外の大法弟子

 【明慧日本2019年10月21日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 師父は、「明慧ネットは大法弟子の交流の場であり、対外の窓口でもあります」[1] とはっきりと説かれました。このプロジェクトの中で法を実証し、自分の誓約を果たすことができることはこの上ない光栄です。私は明慧資料グループに2004年から加入して、現在(訳注:2019年)まで、すでに15年が経ちました。日常の仕事は、中国各地の真相資料を取り扱うことです。原稿の調整をしっかり行ない、PDFを印刷し、発表文章をアップロードして公開します。さらに、各種の定期刊行物の全面印刷と資料のチェック、明慧法会や5.13の作品募集の選別などです。私と資料グループは、種類豊富な真相資料と膨大な作業量に初期の頃は苦労しました。しかしこの過程を経た後、専門的に明慧刊行物を定期出版するまでに至りました。十数年が一日に感じるくらいに、毎日の日常業務を成し遂げてきました。自分がどんなに疲れていようと、どんな関や難に遭っていようと、常にその日の任務の処理を終えるようにしてきました。なぜなら、明慧資料の仕事は私の使命と責任だからです。

 資料を作る過程で、嫉妬心を取り除く

 資料を作る過程そのものも、また修煉です。私の記憶に最も深く残っているのは、やはり嫉妬心を取り除く過程でした。すでに早くも10年が過ぎ去りましたが、まだ昨日のことのように覚えています。師父は「修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」[2] と説かれました。自分の嫉妬心が強いことを私は知っており、以前は嫉妬心を取り除けないことに悩みました。2008年1月『嫉妬心を取り除く』という小冊子を見た時、特に何も感じずにただ良いと感じ、公開しました。2年後、この小冊子がまた改めて明慧ネットに投稿され、協調人の同修が私に見せました。その時、この原稿は体裁が良くなくて、さらに繁体字であったため、私は読みながら原稿を組み直しました。その中の1編の文章で「それでは、嫉妬心とは何でしょうか?」とあり、師父は「嫉妬心のある人は人を軽蔑し、他人が自分を上回るのが我慢できません。他人が自分よりできるのを見ると、心のバランスを失い、耐えられなくなり、認めようとしません」[3] と説かれました。師父が説かれているのは私のことではないでしょうか?! 私はどうして今まで師父が説かれたこの法に気が付かなかったのでしょうか?! その瞬間、私はすぐに自分の嫉妬心が生み出した時間と根源が分かりました。さらに、嫉妬心から派生した他の人を馬鹿にする心、他人に相手にされないことを恐れる心などを認識し、それらはすぐにドミノ倒しのように全て倒れていき、無くなりました。あれほどの大きな執着の山が、師父によってすぐに消去され、かかった時間は1秒もありませんでした。その後、再び似たようなことに遭っても、嫉妬心からくる感覚は戻ることなく、物質も存在しませんでした。不思議なことに真剣に小冊子を読み終えて、私は初めてその小冊子が2年前に発表されたものだと知りました。私が嫉妬心を取り除くために師父が按排してくださったのです! 心の中における師父に対する感謝の感情は、言葉に表すことができません。嫉妬心がこんなにも簡単に取り去られたのです。

 他人のことを多く考え、心の容量を増やす

 初期のころは小冊子があり、地方向けのチラシや特集号などもありました。2005年2月初め、「明慧週報」を出版し始め、街の読者向けの「街のオアシス」、農村の読者向けの「同郷の人」、青少年向けの「朝日ののどかな話」の三つの固定された枠に分け、その年の3月には副刊もありました。「明慧週報」を出版するようになってから、毎年出版する地方の資料は年々に増え、その頃は毎日多くの資料を処理しなければなりませんでした。特に新年や祭日の資料が多い時には編集のプレッシャーも大きく、いつも質の良くない資料が私にまわってきました。例えば、含まれている内容が不適切なものや、書き方が傲慢なもの、テキストボックスの内容の消失したもの、文章の内容が不連続なもの、文章にテーマがなく締めくくりがないもの、行頭に句読点があるもの、写真がひどく変形して解像度が低いもの、テキストボックスの距離が狭いもの、ページの余白が無いもの、文字の大きさや文字間隔、行間が不均一なものなどが多くありました。その時は常人の仕事があり、毎日退社してからこのような真相資料を処理していました。しかし、どんなに時間がなかろうが、時間がかかろうが行なわなければなりません。「どうしてこんなに質の悪い資料が来るのだろうか?」と恨む心さえ湧いてきて、持つようになりました。

 段々とやって行くうちに、生命にはそれぞれ異なった特色があるので、仕事の能力にも差があり、同修たちもわざとやっているのではないと気づき始めました。本来、私はより寛容であるべきで、自分を改めるべきであり、そして他の人に要求すべきものではありません。黙々と不足を補っていこうと思いました。その後は資料をしっかりと改めることに時間を使いました。時間がない時にはフィードバックを書かず、すぐに技術チームに渡せるようにしました。この過程で、心の容量が拡大していきました。私はさらに「中国の大法弟子は学ぶのが速く、しっかりした内容に書き直せば、すぐに多くの地区でみな学ぶのだ」ということにも気づきました。不適切な箇所も同修たちが学ぶにしたがって、減少していきました。

 2009年11月の「明慧週報」は中国版に内容を合わせましたが、各地の資料はやはり種類がとても多く、専門レベルが不足していました。2013年になり、明慧の真相資料編集チームは「真相資料製作の調整について」を出し、何種類かの全面印刷の明慧定期刊行物を確立し、地方向けの小冊子は作る必要がなくなりました。また、地方向けのチラシも省と直轄市だけに限り、明慧週報地方版の制作も省、直轄市、自治区と地級市だけに限定するように調整されました。さらに第3ページの内容だけは、地元の内容に置き換えることが出来るように求めました。このように専業化することにより、多くの作業量が減少されました。

 地方の資料を処理する際、私は普段内容を見ていませんでした。しかしある時、国内からのフィードバックで「大タイトルが間違っている」と言われ、見てみると間違っていました。大タイトルと内容は完全に当てはまっておらず、内容は他の迫害事例でした。それ以後、私は内容を注意して見るようにし、ある時、常人が見るには不適当な内容を見つけました。例えば、ある迫害事例で「どこそこの地区では〇〇人の学習者が転向させられた」とか、「どこそこの地区ではある学習者がどのように転向させられたか」などの詳しい内容を描写されており、また、書き方が傲慢だったり等々です。私はそれ以後、今後のためにフィードバックを書き、不合格な資料を出版しないように精一杯努めました。

 本職の仕事をしっかり行ない、黙々と全体の不足を補う

 中国のこのような特殊な環境では、安全の問題は非常に重要です。もし、文章が中国の大法弟子の安全に関わるものであれば、フィードバックを提出します。すべての文章の検査は毎日行なわなければならず、作者のメッセージを発見すれば、毎回そのメッセージを一つ一つ削除しました。

 私の仕事は、やはり全面的に印刷の各種の定期刊行物をチェックしなければならず、各種の明慧定期刊行物や「明慧週報」、最近出てきた携帯電話の写真と短い動画資料、さらに年末にはカレンダーなどがあります。主な仕事は不適切な所があるかないかを見て、フィードバックと意見を提出し、最終的に決定稿として発表することです。各種の明慧資料がプロレベルになった後は、本当にますます良くなり、また、読む過程は一種の喜びでもあります。特に中国の大法弟子が様々な角度から作る質の高い定期刊行物は、真相をはっきりと伝える役割を果たしました。現在(訳注:2019年)までに段々と成熟し、これもまた私にとって特別なことでした。

 明慧ネットは唯一、第一人称が大法弟子という角度から真相を伝えるメディアです。これに対して他のメディアは、みな第三者の角度からの現れや考え方で、報道の角度はそれぞれ違います。明慧ネットに掲載しないと編集部が決定した文章は、真相資料の中に載せるべきではありません。明慧ネットの文章は、弟子が切磋琢磨したものが多く、用いられているのは修煉者の言葉であり、常人に見せる真相資料においてそのような言葉を使うことはできず、常人が理解できる言葉に変えなければなりません。大法弟子の修煉がますます成熟するにしたがって、常人が理解できない言葉の問題もだんだんと少なくなりました。

 明慧法会と5.13の作品募集の時期は、いつも私が最も忙しい時です。募集した原稿の中から選別された良い文章は、大変素晴らしく得難い文章です。ほとんど多くの文章は入選されませんが、文章の中で大法弟子の師父に対する感謝の心や、師父の弟子に対するご加持や慈悲を感じ取ることができます。さらに真相をはっきりと理解した人々が大法を支持し、福報を得て体現した大法の広大な佛恩も含まれています。良い文章とは着実に修煉してはじめて、書ける文章でなければなりません。中国の大法弟子は、このような厳しい迫害の中で正念を持ち正しく行い、これほど良くできており、私たちがさらに精進するよう激励しています。多くの良い文章を私はいつも涙を流しながら読んでいます。

 文章を選出する過程もまた修煉です。最初は流れ作業式に、長い文章は捨てずにとっておき、時間をかけて最初から改めて読み直し、最終的には選出しなかったというように時間のかかるやり方でした。しかし、段段と選出の感覚をつかみ、速度も増しました。選び出された良い文章は明慧の編集を経て加工され、文章に色が添えられます。発表される多くの文章は、編集部がタイトルを付け、小見出しの文字も校正されたものです。例えば、2016年に発表された法会の文章は「師父は偉大であり、法は偉大である」などです。大法弟子が一つの全体であることを深く感じ、一つのプロジェクトをしっかり行なうには皆の協力が必要であることを深く感じます。そして私が行なわなければならないことは、自分の役割をしっかりと果たすことです。残された時間に関わらず必要でさえあれば、私はいつでもしっかり行なうことでしょう。

 2019年の5.13の文章もちょうど選出が終わり、全世界が慶賀すべき第20回法輪大法デーを迎えました。師父が私たちに与えてくださったこのような素晴らしい按排への感謝しかありません。同時にまた、資料チーム、技術チーム及び明慧ネットの大法弟子全体のご協力に感謝いたします。

 以上がここ数年、明慧の資料チームでの修煉と仕事における私の少しばかりの体得です。不適切な所があれば、慈悲深いご指摘をお願いします。

 ありがとうございます、師父! ありがとうございます、みなさん!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」

 (明慧20周年法会の交流文章より抜粋、 編集)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/27/387644.html)
 
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