一家が残酷に迫害された大連市の朱本富さん死亡
■ 印刷版
 

 【明慧日本2019年11月22日】(遼寧=明慧記者)大連市の法輪功学習者・朱本富さん一家は、20年来、中国の法曹部門の関係者らにより痛ましい迫害を受けた。朱さんと妻の孫敬美さんは同時に懲役7年の実刑判決を宣告され、残虐な拷問により苦しめられた。朱さんは刑務所で迫害されたことによって、髪は全部白髪となり、体には黒い斑点がいっぱいできて、出所後にも胸が苦しく咳が出ていた。この状況下で、朱さんは絶え間なく警官らから嫌がらせを受け続け、2019年10月28日に死亡した。妻の孫敬美さんは刑務所から解放された後、吐き気がして嘔吐し、徐々に食事が摂れなくなっていき、すでに、2017年4月16日に、この世を去った。

朱本富
朱本富さん

 法輪功に出会って7年連続「模範人物」に選ばれる

 朱さんは軍隊で十数年勤務して、緊張した環境の中で十二指腸潰瘍、心臓病、胃病、冷え性などの病気を患い、軍隊の病院と地方の病院を駆け回ったが、好転しなかった。軍隊での勤務が出来なくなった朱さんは、地方に転職した。ちょうど法輪功が中国で広く伝え出された時期で、法輪功を学んだ朱さんは、各種の病気がすべて治った。

 法輪功を学んだ朱さんは、至る所で「真・善・忍」の基準に基づき自分に要求し、苦労をいとわず、個人の利益を図ったことがなく、連続して7年間「模範従業員」に選ばれたことがある。

 連行される中で、娘はショックを受けて精神異常になり学校を中退

 1999年7.20、江沢民が法輪功に対する弾圧を指示した。朱さんは同年の7月22日に北京へ陳情に行った。帰って来た後、朱さんは連行され、610弁公室の人員によりひどく洗脳されて、むごい迫害を受け続けた。さらに停職させられて24時間監視され、法輪功を中傷するテレビを無理やりに見せられ続けた。

 2000年の元日、妻の孫さんは北京に行き、法輪功の無実を訴えたため26日間拘束され、4800元(およそ7万4000円)をゆすり取られた。2000年7月、孫さんは仕事中に警官に派出所に呼び出され、理由もなく刑事拘留1カ月を受けた。その後、1年の労働教養処分を下された孫さんは、馬三家労働教養所に送り込まれ、全身を酷くつねられて傷跡だらけになり、耐えられないほどの痛みを伴った。また、人と話すことも許されず、重労働を科された。

 2002年4月17日、大連公安局黒石礁派出所の警官らは、朱さんの家の周辺で待ち伏せて、朱さんを連行しようとしたため、朱さんは放浪生活を余儀なくせざるを得なかった。

 その時、朱さんの娘は13歳で、夫婦ともやむを得ず家を離れたため、娘は李玉華さん宅に預けた。ある日の朝、娘は扉を開けて登校しようとしたところ、数人の警官らが一斉に入って来た。この突然の出来事に娘はショックを受け、精神異常になってしまい登校できなくなった。李玉華さんも連行され、労働教養1年を強いられた。それ以来、成績が優秀だった朱さんの娘は、学校を中退してしまった。

 夫婦2人が連行され、懲役7年の実刑を宣告される

 朱さんが家を離れた3年の間に住む場所を8回も変えたため、経済的な損失は多大なものだった。ある時、3カ月分の家賃を納めたばかりの時、住居が町内の派出所の警官らに発見されたため、直ちに他の部屋を借りなければならなくなった。その生活は普通の人が想像できないほどの苦難と恐怖に満ちた日々であったという。

 2005年9月5日、大連市の学習者・呂開利さんたちは、遼寧省遼陽県のCATVの放送の中で、『共産党について九つの論評』の映像を1時間30分にわたって割り込み、放送を流した。それを知った中国共産党政法委の元トップの羅幹は直接指示し、大連の法輪功学習者・張偉さん、楊本亮さん、呂開利さん、楊春玲さん、趙雪さん、曹玉珍さん、朱本富さん、孫敬美さんの8人を相次いで連行した。

 その後、朱さん、妻の孫敬美さん、楊春玲さんは懲役7年の実刑判決を宣告され、曹玉珍さんは懲役9年、呂開利さんと張偉さんは懲役10年、楊本亮さんは懲役11年の重い実刑判決を宣告された。

 営口刑務所で受けた迫害

 朱さんは2006年5月12日に営口刑務所に拘禁された。そこで、午前5時から深夜10時まで作業を強制され、半月の間に手、顔、足を一切洗うことを許されず、飲み水は毎日ミネラルウォーターの瓶の三分の一以下を支給され、それ以上の水を飲むことは許されず、トイレも1日に2回しか許されなかった。

 また、朱さんは「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、私は学び続けます!」と言ったため、鉄の椅子に3日間縛り付けられ、滅多打ちにされた。寒い冬の12月に、朱さんは服をすべて脱がされ、窓を全開して凍えさせられ、さらに酷く殴られた。

酷刑演示:铁椅子
拷問の実演:鉄の椅子

 本渓刑務所で受けた迫害

 2007年12月19日、朱さんを含めて12人の法輪功学習者は、営口刑務所から本渓刑務所に移送された。朱さんは刑務所側に指示された刑務所の規則を全く読まず、転向することを拒否したため、指示を受けた7、8人の受刑者らにひどく殴られたり、蹴られたりして全身が傷だらけになった。

 副大隊長の趙冶明は数人の受刑者らを連れて来て、交替で朱さんを殴らせ、水を満杯に入れた瓶で朱さんの頭をめがけて叩いたり、指で眼球をほじくったり、スニーカーを履いたままで胸を強く踏んだりした。また、針で朱さんの頭、手、指先を刺し、ライターの火で首と胸を焼き、火傷を負わせた。

 継続する迫害の中で夫婦2人が相次いで死亡

 2017年4月16日、妻の孫敬美さんは2年の労働教養と7年間の刑務所生活が続き、この世を去った。享年61歳であった。朱さんは2019年10月28日昼ごろ、高齢の両親と2人の娘を残して、大連鉄道病院で亡くなった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/9/395612.html)
 
関連文章