2回の労働教養と10年の冤罪で大連の張偉さん死亡
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 【明慧日本2019年11月11日】(遼寧=明慧記者)遼寧省大連市の法輪功学習者・張偉さんは、2回の労働教養を強いられた後、さらに10年間刑務所の中で苦しめられ、深刻な結核を患い、呼吸困難で危篤状態になった。2019年10月6日午後、張さんは無念の思いを晴らせないまま、死亡した。享年52歳だった。

 テレビ番組の中で法輪功迫害の真相映像を挿し込み放送したため、張さんは2005年10月に連行され、懲役10年の実刑判決を宣告された。その後、営口刑務所、盤錦刑務所、瀋陽東陵刑務所、鉄嶺刑務所と転々と拘禁され、残酷な拷問によりひどく苦しめられ、骨と皮ばかりに痩せこけて、肺の部分に空洞が現れた。そして極度に衰弱した張さんは、毎日のように転向を強制されるなどの酷い迫害を受け続けた。

 10年の冤罪を終えて帰宅した張さんは、息をすることさえ困難となり、時には喀血を伴い、ひどい時はボール2杯分の血を吐いたこともあり、病院の重症患者室に運ばれ何度も危篤の通知を出されたことがある。張さんの妻はアルバイトをして、家賃と一家の生計を維持し、苦難に満ちた生活を送っている。

 張さん一家は法輪功を学んでいるという理由だけで、残酷な迫害を受けた。妻の陳梅さんは2007年に、懲役3年の実刑判決を言い渡された。父親の張錫明さんは労働教養2年を科され、大連労働教養所に拘禁された。母親の王秀香さん(77歳)は、今なお瀋陽女子刑務所に拘禁されている。

 法輪功への迫害が始まる前、張さんは大連市で個人経営をしていた。1999年9月、張さんは法律に基づいて北京に行き、法輪功の無実を訴えたため、大連市留置場で26日間拘留された。1999年12月16日、外で煉功したため、張さんは大連市留置場で15日間拘留された。

 2000年2月5日、張さんは大連市の星海広場で煉功したため、大連市麻薬戒毒所まで連行され20日間、ひどくい迫害を受け、また労働教養を強いられ大連労働教養所に拘禁された。その後、さらに瀋陽市の馬三家労働教養所に移送されて引き続き迫害された。

 2001年6月10日、張さんは用事で吉林省へ出かけた時、吉林省松原市公安局の警官に連行され、労働教養2年を強いられた。

 2005年10月13日、張さんと他の学習者2人は外出した際に、連行され遼陽市留置場に拘禁された。遼陽市留置場で、張さんは断食をして迫害に抗議し、何度も昏睡状態に陥ったことがある。家族が張さんの解放を求めた際に、ある警官は「国家安全局と遼寧省公安庁が下達した指令により、絶対に解放できず、かりに刑務所の中で死んだとしても、解放しない」と言い放った。

 結局、張さんは遼陽県裁判所により、懲役10年の実刑判決を宣告され、その間、営口刑務所、盤錦刑務所、瀋陽東陵刑務所、鉄嶺刑務所と転々と移送され、拘禁された。そして刑務所内で、暴力を振るわれたり、スタンガンによる電気ショックを加えられたり、トラの椅子などの刑具で苦しめられた。

 2015年10月12日に出所して帰宅した張さんは、骨と皮ばかりに瘦せこけて、息さえできない状態で、喀血を伴っていた。2019年10月6日午後、張さんは死亡した。

 残酷な迫害が原因で、「真・善・忍」の信念を堅持し続けた張さんは、52年の短い人生を終え、この世を去った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/29/395160.html)
 
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