法輪大法を修煉する過程で 奇跡を証明する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年11月28日】私が最も幸せで忘れられない日、それは1998年のお正月でした。その日に私は法輪大法に出会って修煉するようになり、師父はいつも私のそばにいてくださり、私の運命はその日から変わりました。

 私は夫と娘、一家3人で夫の実家に行ってお正月を過ごしました。義弟が1冊の『轉法輪』を持って来て、私に読ませました。「これは何の本なの?」と聞くと、法輪功の本だと教えてくれました。「気功の本なの? 読みたくないけど、2年前から法輪功の煉功が家の近くにあるが、興味がないわ」と断りました。

 新年を祝う客が次々と来る中、義弟は師父の説法の録音を流しました。なんと素晴らしいお話でしょう! 私はたちまちその内容に引きつけられました。私は義弟に「この先生は幾つの大学を卒業されたのかしら? 天文学から、地理、人体科学、それに動物、植物に至るまで、何でも詳しいわね!」と敬服を隠せず聞くと、義弟は「興味があれば続けて聞いてください」と言いました。

 私は一日中、夢中で説法の録音を聞いていたので、誰がお正月のあいさつに来たのかも覚えていないし、誰も私の存在に気付いていなかったようです。最後まで聞いて、私は突然分かってきたように、「あら、これは佛を修めるものではないかしら? 佛は本当にこの世に現れたのね!」と興奮しました。「よし、私も修めよう。必ず成就します!」とその時、固く決意しました。

 以前、近所の女性から法輪功を勧められたことを思い出し、一日でも早く家に帰って、彼女に会って習いたかったので、お正月の3日目になって、私は夫に「今日はもう家に帰ろう。早く法輪功を習いたいの!」と言うと、夫と娘も賛同してくれ、休み明けを待たずにその日に帰りました。

 それから私は法輪大法を修煉し始めました。この20年余りの修煉の過程で、師父が私を見守ってくださり、そして私自身と周りの人に現れた奇跡を皆さんに伝えさせていただきます。

 一、師父は私の身体を浄化してくださった

 夫の実家から家に帰り、私は飲み食いもせずに2日の間熟睡しました。3日目の朝起きた時、生まれ変わったように全身が軽くなりました。マンションの1階にある共同用の給湯室から二つのポットにお湯をいっぱい入れて、両手に一つずつ持って5階にある我が家まで歩いて持ち帰りましたが、疲れもなく軽々と階段を上りました。心から喜びを感じた私は、この法輪功を勧めてくれた近所の女性の家を訪れました。彼女は私を補導員の家に連れて行き、するとちょうどそこで、師父の広州での説法ビデオが流されていました。私は座って部屋にいた学習者と一緒に見ました。しばらくすると胃が痛くなり始め、だんだんと激しくなりましたが、ベッドにもたれて見続けました。師父の説法が一講終わる頃には胃の痛みもすっかり止まりました。説法の具体的な内容は覚えていなかったものの、ただ素晴らしいと直感しました。不思議なことに、それから私を長年苦しめていた胃の病気は完全に治り、再発しませんでした。

 翌日の朝から私は煉功場に行って煉功をしましたが、初日から激しく嘔吐しました。補導員は私に「師父があなたの身体を浄化してくださっているのよ」と教えてくれました。この時私は「浄化してもしなくても、私は佛を修めよう!」と思いました。当時の私はまだ法理がよく分かっておらず、ただ円満成就したい気持ちが強かったのです。私はいつも修煉を成就できるか、法理が悟れるか、同修たちに遅れをとっていないかばかり考えていました。これらの事に執着して、後日、邪悪に隙に乗じられ迫害を受け、何度も大きな損失をもたらしました。私は痛々しい教訓から、佛を修めること自体にも執着してはいけないと分かりました。

 修煉する前に、私は数々の病気を患っていました。気管支炎、心臓病、子宮筋腫、リンパ炎症、神経症、胃炎、痔、腰痛、眼病、それに重度の老眼などが、煉功してから1カ月も経たないうちにすべて治り、全身が軽くなりました!

 その後『轉法輪』を学ぶ中で、師父は本当に修煉者のために身体を浄化してくださると分かりました。師父は「本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですからわたしは身体を浄化してあげなければなりません」[1] と語られました。私に健康な身体を与えてくださるのは、師父が私を修煉させるためであると悟りました。師父に感謝申し上げます!

 二、師父は煉功するように、私を起こしてくださった

 私の上司は私の結婚祝いに、目覚まし時計をプレゼントしてくれました。娘が幼い時に、その目覚まし時計で遊んでいて壊してしまいました。中の部品も壊れたままの状態で、どこかに納めていました。私は朝4時に起きて煉功すると決めていましたが、起きられるかどうか心配でした。そこで目覚まし時計があればと思っていた時、偶然にも長年しまっておいたその目覚まし時計が見つかりました。試しにネジを回して4時にセットしておくと、信じられないことに、翌日の朝4時に正常にベルが鳴りました! 私はとても嬉しかったのです。それから毎朝4時にベルが鳴り、私を起こしてくれました。

 ある日、娘から「母さんが起きたら時計を6時にセットしてね、時計を見なくても学校に遅れないように」と頼まれたので、目覚ましを6時に設定して出かけました。ところが、私が煉功場から家に帰ってくると、娘は泣きながら「母さん、この時計おかしいよ。6時になっても鳴らなかった、今日は遅刻だよ!」と文句を言いました。しかし、不思議なことに、毎日4時になると正確に鳴ってくれました。それは私が煉功するようにと、師父が起こしてくださっているのだと分かりました。

 三、「師父!」と呼ぶと、傷口がすぐ治る

 私は失業したため、古い家を借りて洋服を作って生計を立てていました。ある日、暖房に使う薪を切る時に誤って手を切ってしまい、いきなり血が流れ出ました。私は思わず「師父!」と叫ぶと、間もなく血が止まりました。切口がかなり深かったのですが、私は気にもせずに続けて薪を全部割り終え、薪ストーブに火をつけました。それから傷口を洗って普段通りに洋服を作り、仕事が終わった時には完全に傷口がふさがり、良くなっていました。その後、傷跡も残りませんでした。

 私は料理店でも働くことがありました。ある時、厨房の下水が流れ図、床に水がありました。そこで食器を洗う時に滑って転倒してしまい、床の割れたタイルがお尻に突き刺さって、切り口がちょうど三角形の傷口になっていました。一緒に働いていた若い子たちは私を病院へ送ると言いました。当時、私は迫害されて労働教養所から出たばかりなので、「自分は法輪功を修煉しているから大丈夫よ」と言えませんでした。しかし心の中で「師父、病院には行きません!」と言いました。その時1人の若者がどこかから透明のガムテープを持って来たので、私は傷口を水で洗った後でガムテープを貼り、そのまま仕事を続けました。仕事が終わり、自転車に乗って帰宅しましたが、翌日になると傷口は完全にふさがり、傷跡も残っていませんでした。

 2002年、私は迫害により労働教養所に入れられました。そこで2人の警官らはスタンガンで私の身体を電撃し、火花が出ましたが痛みは感じられませんでした。スタンガンを初めて見た私は「何をするの?」と聞きました。2人の警官らは電気ショックに反応しない私を見て、すぐにやめました。師父が私のために受け入れてくださったと分かりました。どんな所でも、師父はいつも弟子を守ってくださっています。

 2003年9月、市の大法の資料拠点が破壊されたため、同修たちは師父の経文が入手できなくなり、法輪功迫害の真相を伝える資料もなくなりました。そんな中で、私は大法の資料を作る決意をしました。北京に行ったこともない私は娘と一緒に北京の中関村を尋ね、順調に資料を作る機械を買ってきました。初めて資料を作った時のことは今でも忘れられません。その日私は印刷用紙を買いに行きました。行く時には快晴でしたが、店を出てバスを待っている時に小雨が降り始めました。雨で交通渋滞になり、なかなかバスが来ませんでした。私は二つ包の紙を抱えて雨の中で20分も待っていたところ、向こう側のバスから20歳前後の女の子が降りて来て、道を渡ってまっすぐ私に向かって来て、傘をさし出してくれました。女の子に面識はなかったのですが、彼女は親切に「大丈夫ですか?」と聞いてくれました。私は「大丈夫よ」と言うと、女の子はそのまま私のために傘をさし続けてくれて、バスが来るまで1時間もそばにいてくれました。その間、私は彼女に大法の真相を伝え、大法のお守りをあげました。彼女はお守りを手に取って、何も言わずに私の話を真剣に聞いてくれました。ようやくバスが来て、私がバスに乗ったのを見て女の子は去って行きました。

 当時私はあまり深く考えませんでしたが、家に帰ってから不思議に思いました。「そうだ、師父はいつもそばで弟子を見守ってくださり、励ましてくださっているのだ!」と思うと、思わず涙が流れてきました。

 四、親戚や友人が大法の中で受益

 私の姉は80歳です。姉は大法を修煉してから、心臓病をはじめ、高血圧、腰椎間板ヘルニア、骨粗しょう症、肋膜炎、婦人病など数々の病気が治りました。姉の息子が病気のため、嫁は1人で商売して忙しいので、買い物や家事は全部80歳の姉がしています。たまに電話すると、姉は「心配しないでね、私には師父がいらっしゃるから、とても元気だよ」といつも言いました。昨年私は里帰りをして姉に会った時、姉は「私は師父と大法を固く信じているよ!」と言いました。

 2003年に弟は出血性脳血管疾患で倒れて病院に運ばれましたが、医者から死後のことを準備するようにと言われました。私は病院に行って、危篤状態の弟に「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」を覚え、唱えるように伝えると、は弱々しい声で「うん」と返事しました。それから少しずつ回復し、なんと23日目に退院しました! 医者に匙を投げられた弟は、あれから16年過ぎた現在も元気です。車椅子に乗ることになりましたが、とても元気で、毎日「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」を念じていたそうで、以前にはよく見えなかった目も、「はっきりと見えるようになった」と言いました。

 甥は結婚して6、7年も過ぎましたが子供に恵まれず、病院で検査した結果、夫婦ともに原因があり、不妊症だと言われました。大きなショックを受けた2人は法輪大法を修煉しようと決心し、その年にめでたく元気な男の子が生まれました。

 五、刑務所内の縁のある人を救う

 2008年、私は中国共産党の酷い迫害により、拘置に不当に拘禁されました。拘置所の中で、私は小娟という女性に大法のことを教えると、彼女は大法を修煉するようになりました。拘置所にはお湯がなく、冬でも水でシャワーするしかありませんでした。ある日、私が水でシャワーをするのを見て、彼女も水でシャワーをすると言いました。風邪をひかないかと心配して止めましたが、「私も大法弟子なので、大丈夫です」と言いながらシャワーをしました。風邪を引くこともなく、その後私に「この大法は本当に奇跡ですね、シャワーを浴びてから27年間の冷え性が一気に消え、子供の頃からの持病の頭痛も治ったわ!」と嬉しそうに言いました。法を得た小娟さんはトラブルの前で、心性を守ることも分かるようになり、とてもよく行なっていて、1カ月後に釈放されました。新たな生命が大法に救われました。

 2009年に私は再び迫害され、刑務所に入れられました。受刑者の中に小慧という若い女性がいました。小慧さんは刑務所の中で甲状腺機能亢進症を患っていましたが、警官らは治療措置も取らずそのまま放置しました。希望を失った小慧さんは自暴自棄になり、受刑者の間で人を騙す行為を繰り返していました。私が第10監区に不当に拘禁された時に、小慧さんが私の監室に移動して来ました。寝る場所は私のベッドの上の段で、実は私を監視するように命じられていました。私は善良な心で小慧さんに接し、彼女に大法の真相と法輪功の素晴らしさを伝え、そして師父の法を聞かせ、師父の『洪吟』も教えて暗唱させました。こうして小慧さんは大法の修煉を始めました。彼女は生まれ変わったように、大法の法理に従って行なうようになり、甲状腺機能亢進症も治り、刑期を2年も減らされました。その後、新たにもう1人の若い受刑者が大法を得ました。

 六、私の一家全員が大法の恩恵を受ける

 私は1998年に法輪大法を修煉してから、家族3人とも病院へ行ったことがなく、薬を飲んだこともありません。夫は私が不当に拘禁されていた時期に修煉を始めましたが、昔、兵役を服する時に患った腰痛と皮膚病が、現在全部治りました。娘は子供の頃から鼻炎にかかり、月に2回ほど病院に行って、鼻を通す措置を受けていました。そしてしょっちゅう風邪を引いて、毎年数千元の薬代がかかりましたが、一向に治りませんでした。私が修煉するようになると、娘の病気の鼻炎風邪も完全に良くなりました。

 この20年近い修煉を振り返ると、師父が弟子に与えてくださったものは、言い尽くせないほど多いのです。しかし、師父が弟子のために受け入れられたものはどれほど大きいものか、弟子の私には知ることも出来ません。大法弟子として私は、師父を信じ、法を固く信じるほかありません。ここでは師父が与えてくださった恩恵を書き出し、大法の素晴らしさを証明すると共に、最後まで、修煉をやり遂げる固い決意を表したいと思います!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/12/352779.html)
 
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